第4話

 式典が終わったのち、エステルは結婚へ向けて社交することもなく退出した。


 アンドレアはもちろん引き留めなかった。


 途中、ここぞとばかりに向かっていくアレス伯爵が見えたから、この場にユーニもいるのだろう。


(もう、じゅうぶんだわ)


 彼女がいるのなら、ますますこの場を離れてあげないと、という気持ちもある。


 それと同時に、離れたい、という気持ちがエステルの足を動かせた。


 会場で談笑していた両親に合流した。今すぐ帰りたいと告げたエステルに、二人は驚いた顔をした。


 これまで両親の行動を遮って困らせたこともなかったからだろう。


「お話したいことが」


 エステルの感情が宿った目に、これは大事な話らしいと察したようだ。


 父は同じ跡取り同士で話していた兄を、人を使って呼び出した。


「後遺症で痛むというので」


 帰る理由を問われたら、そう言えば簡単だった。


「まぁ。それは大変ですわ」

「最近は風も冷えてまいりましたかな」


 そんなことはここ数年ほとんどなくなってしまっていたことだが、たまに鈍痛があったり、あの頃の痛みを夢に見るので嘘ではない。


 そもそも誰も、事実かどうかは気にしない。


 アンドレアが興味もない婚約者に、とくに関心がないからだ。


 彼らも薄々予感している。アンドレアは婚約者を伯爵令嬢に変更するか、あるいは魔力量関係でエステルとの間に子は作るが、用が済めばユーニを繰り上げる――。


 恋をしたエステルには、それはとても残酷で最悪な展開だった。



 屋敷に戻ってすぐ、エステルは人の目がないところでの自分達の関係を打ち明けた。

 そして彼と伯爵令嬢の噂は、ほぼほぼ事実だ、と。


「嫁ぎ先を、変更させてください」


 リビングでエステルの口からそう出た時、見守っていた執事の方にまで緊張が走っていた。


 けれど家族は、ようやくこの先に待っているかもしれない二つの残酷な展開を思い浮かべることができたらしい。


「殿下は、彼女をお選びになります」

「そんな……まさか殿下は我が公爵家を裏切ったのか?」


 兄もまったく気づいていなかったらしい。


 アンドレアが多忙なのは事実で、魔法騎士として数週間から一か月の不在もある。


「いえ、彼は恋した相手を選んだだけです」


 恋、と口にした際に、こらえきれず涙がすーっと流れていった。


 家族は、初めて見たエステルの涙に驚愕していた。それから動揺し、そして狼狽を浮かべた。


「エステル……お前、まさか……」

「事態が公爵家を巻き込んでしまう前に、私の嫁ぎ先を変更させてください」

「待て、殿下を慕っているのにそれを切り出そうとして話したのか? どうしてそう普通に話せるっ、お前は十年以上も婚約者として努力を――」


 兄の肩を、父が掴んで止めた。


 エステルの深いアメシスの目からは、ずっと涙がはらはらとこぼれ落ち続けていた。


 表情だけが、ただただ落ち着きを払っている。


 とうとう母が痛ましいと口にして、顔を両手で覆い、泣いた。


「ごめんなさい、ごめんないエステル。あなたがこんなにもつらい思いでいたなんて……」


 婚約の解消を一方的に突きつけられるか、王家の判断で結婚続行か。


 どちらも公爵家には痛いことだった。


 場は母の泣き声を残し、重い空気に包まれた。


「ですから先に、こちらで変更させてしまえばいいと考えています。彼との結婚資格である魔力を〝なくしてしまえばいい〟んです」


 その方法を打ち明けたら、父と兄も驚いていた。


 エステルがずっと考えて練っていた解決策を話し聞かせると、悩ましい顔ながら最後は説得に応じてくれた。


「仕上げで隣国への嫁ぎ、か……たいしたことを考えるものだ。愛する娘とほとんど会えなくなってしまうのは、私としては避けたいところだが――」

「父上」

「う、む。分かっている」


 兄に真剣な目で睨まれて、父が言う。


「エステルは、私達のことまで考えて覚悟している。だが、本当にいいのか? お前への負担ははかりしれないぞ」

「承知しています。覚悟のうえです」


 持つべき魔力を失ったら、少なからず不調はきたすだろう。



 魔力量で選ばれた。


 それなら、その魔力をなくせばいい。



 ――魔力を、捨てる。


 それが今のところもっとも安全な解決策だった。


 エステルは魔法をほとんど使えないが、大怪我をした日に〝癒し〟だった魔力の属性が、特殊な医療属性を持っていた。


       ∞・∞・∞・∞・∞


 その筋書きは、こうだ。


 エステルは伯爵令嬢との噂に錯乱し、外に飛び出してしまう。


 これは公爵令嬢らしからぬ態度として、殿下の相手に相応しくないという評価の一つになる。心が強くなければ、妃には相応しくない。


 錯乱し、たどり着いた先でエステルは偶然にも医療機関に助けられる。


 そして彼女は魔力暴走にてそこにいた者達を治療したことで、魔力の大半を失ってしまう――。


 何せ、その〝治療〟は、禁術だからだ。



 魔力移植による、難病の消滅。


 持っている魔力を外に放出するという、魔法とはまたまったく別系統の医療手段になっている。



 大変リスクが高いと言われ、かなりの魔力量を持っていなければ成功率は極めて低いとされる特殊な医療魔法だ。


 エステルは出血多量で死にかけたのだが、医療魔法の専門家達が駆けつけるまで生きていたのは、魔力放出と呼ばれる医療魔法稀有な反応を起こし、ギリギリのところで出血が抑えられたから。


 その魔力放出の型を持っていれば、魔力移植を行うのは可能だ。


「医療を専門とする方々の協力を受ければ、成功率はかなり安定する思われます」


 エステルが魔力放出を行い、そして周りが彼女を魔力源にして治療を行う。


 禁断の魔法だと言われたのは、その方法が発明されてから魔力量を多く持った医者達が引退宣言と共に、それを行って時には命を落としたからだ。


「私の魔力量なら、王都の大病院一つ分の患者達に分け与えられる分はあると思います。利用するようで申し訳ないのですが……患者への治療率は百パーセント。向こうも断れないでしょう」


 エステルが家族に語っていた通り、兄と交渉に乗り出すと一日で話はまとまった。


 魔力移植の魔法治療を、難病患者も各地から運ばれたり通ったりしている大病院のすべての患者に、施行する。


 そうすればさすがのエステルも、魔力は枯渇ギリギリまで失われるだろう。


 大病院のパカル院長は、魔力量を測定した結果から算出をした。命に関わることなので、各名医にもあらゆる計算方法と考察手段にて慎重に計算を繰り返した。おかげで話し合いはその日いっぱいかかってしまった、というわけだ。


 無事に許可も得たと、エステルが兄と帰宅した際に報告したら、母は目を潤ませた。


「それでいいのですか? お前は、それほどまでに……」


 涙を浮かべた母が、とうとう泣く。その肩を父が支えていた。


 ――それほどまでに、もう、殿下との結婚が嫌になったのか。


 母にそう尋ねられているのは分かった。


 死なずに成功させられたとしても、続いて国外から嫁ぎ先を選定しなければならない。そうしたらなかなか会えなくなる。


(本当は、結婚したかった)


 ほんの少しでも、夫婦として手を取り合って頑張れたのならエステルも決断できなかっただろう。


 アンドレアが、政略結婚で協力する気もしないという姿勢を崩さないままでいてくれて、そうして今回ユーニと堂々交流を持ってくれて、よかったと思っている。


 おかげでエステルは決断できた。


「ごめんなさいお母様、させてください」


 スカートの前で合わせていた両手に、そっと力を込めて冷静な口調を努めた。


「貴族令嬢としては愚かでしょうが――私は、心から、殿下をお慕いしてしまったのです」


 アンドレア、と間違っても言わないように意識した。


 名前を口にしたら、覚悟が揺らいでしまいそうだから。


「彼が振り向いてくれるかもしれないだとか、そう期待するのにも疲れました。ましてや形だけの夫婦で、彼は愛した人と仲良くしているのを私は平気で流すことができません。――お許しください」


 これから彼を騙すことになるのが、心苦しい。


 苦しめられているのはエステルなのに、自分との婚約や伯爵令嬢とどうするのかについて何も言わないでいる彼に、嫌でも決断を迫るような状況を作ることに胸が痛む。


 けれど、これでアンドレアもはっきりせざるをえない。


 合わせる顔がない。

 会いたくない、ここにいたくない――。


 そんな彼女の心境を察して、ことが起こったあとは、領地にエステルを避難させあとは自分達がすると、家族は言ってくれた。

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