7-2(アウレリア)

 何と言うべきか。嫉妬というのは恐ろしいものだなと、素直にそう思った。

 まあ、ディートリヒとはもう関わることもないだろうから。それほど気にする必要もないだろう。


 そんなことを思っていたところで、トントン、と扉がノックされる。そちらに顔を向け、「何かしら」と問えば、「クラウスです、殿下」と、穏やかな低い声が聞こえた。




「王太子殿下たちの姿が城下に見えたと報告がありました。そろそろ謁見の間に向かった方がよろしいかと。扉を開けてもよろしいでしょうか?」




 どうやら、勇者一行が到着したらしい。


 クラウスの言葉に、アウレリアだけでなく、侍女たちの表情も明るくなる。準備はすでに終えていため、「どうぞ」と言えば、扉を開けて、アウレリアの第一護衛騎士であるクラウスが入ってきた。


 亜麻色の髪は緩く波打ち、その冷たくさえ見える端正な面持ちを優美に彩る。すらりとした体躯はしなやかに鍛えられており、白騎士たちの中でも背が高い方なので、相変わらず、どこにいてもとても目立つ人だった。


 黒騎士団に所属する美貌の騎士、ディートリヒ・シュタイナーが『魔王封じの儀式』に参加したことで、侯爵家の嫡男でありながら白騎士であり、顔も良い彼の注目度は一気に上がったらしい。以前よりも、女性たちに囲まれる姿を見ることが多くなった気がする。本人は相変わらずの仏頂面で、興味もなさそうだったが。


 そんなクラウスはアウレリアの元に歩み寄ってくると、跪き、「とてもお美しいです、殿下」と、ほんの少しだけその顔に笑みを浮かべた。付き合いの長いアウレリアでさえも首を傾げるほどの、ほんの少しだったが。


 機会を得て、やっと着ることの出来た美しいドレスとベールのセットを褒められて、アウレリアは素直に喜ぶ。「そうでしょう。このドレスとベール、私も気に入っているの」と返せば、クラウスは少し間を空けた後、不思議そうな顔で首を傾げていた。




「それにしても、兄様たちは予定よりも早く着いたのね。夕方近くになるかもしれないということだったけれど、まだ昼前だもの。皆様お疲れでしょうから、早くお迎えして、帰還式を終わらせなければ」




 本当はそのような式など後でも良いだろうにと思うけれど。残念ながら、この式を行うまでが、『魔王封じの儀式』なのである。であれば、早く終わらせるに越したことはないのだった。


 「仰る通りです」と言って頷き、クラウスはさっとその手を差し出してくる。年を重ねるごとに、徐々にしかし確実に体力が落ちているアウレリアのエスコートをすることが、ここ一年程のクラウスの仕事の一つになっていた。


 白い手袋に包まれた手にいつも通り自らの手を載せる。向かいましょうか、とクラウスに声をかけようとして、思い出した。そういえば、質問に答え損ねたままだった。


 ディートリヒ・シュタイナーに再び声を掛けられたら、どうするか。


 「パウラ」と、アウレリアは先ほど自分に問いかけてきた侍女の名を呼んだ。彼女は驚いたような顔で「何でしょう、殿下」と応える。その表情に、彼女がおそらく質問したことを忘れているのだろうと分かったけれど。


 変に誤解されたままでいるより、これを機にきちんと答えた方が良いだろうと、アウレリアは口を開いた。




「ディートリヒ卿からまた声をかけられたらどうするか、という話だったけれど、……私はあの日、初めて彼の姿を目にしたの。それまで会ったこともないし、それからももちろん、会っていないでしょう?」




 あの日のことがあり、アウレリアは元々、ディートリヒと交流があったのだ、という認識を持った者がかなりの数いたらしい。ここにいる侍女たちの中にも、そう思っている者がいるだろう。


 だから素直に、そう答えを返しておく。


 ディートリヒに恋する令嬢たちの嫉妬の的になりたくないのももちろんあるが。本日、本人が帰還するため、それまでに誤解を解いておきたかったのもある。


 全く知らない相手と、知らない内に妙な噂になっているなど、あまり気分が良いものでもないだろうから。


 「だから、『そもそも声を掛けられるなんてあり得ない』、と思っているわ」と、アウレリアは笑みさえも浮かべて続けた。これでもう、誤解は解けるだろう。




「彼はあくまでも、『女神の愛し子』の激励が欲しかっただけよ。『魔王封じの儀式』が終わった今、彼が私に声をかけてくる必要はないわ。ねえ、クラウス卿」




 第一護衛騎士であるクラウスは、常にアウレリアの傍に控えている。彼がアウレリアの言葉に頷けば、間違いなく、アウレリアの言葉が嘘ではない証明になるだろう。


 アウレリアはディートリヒと言葉を交わしたことはない。だから、今後、彼から言葉をかけられるようなことは有り得ない、と。


 思い、彼の方を見上げた。のだが。




(……? 少し、怒ってる?)




 少し。ほんの少しだけ、不機嫌そうな顔をしているように見えて、アウレリアは首を傾げる。「クラウス卿?」と声をかければ、彼は、はっとしたように僅かに目を見張った後、「殿下の仰る通りです」と呟いた。




「殿下がディートリヒ・シュタイナーと言葉を交わしたことはありません。私が傍に控えている時には、一度も。決して」




 淡々と、彼はそう言い切った。欲しかった言葉に、しかし彼が少し不快そうなのが気になったけれど。「これで誤解は解けたわね」と言えば、侍女たちは納得した様子で、「もちろんです、殿下」と答えていた。




「それとなく、皆の誤解を解いておいてくれると助かるわ。……それじゃあ、勇者一行の皆様をお迎えしてくるわね」




 せめてここにいるものたちだけでも分かってくれて良かったと思いながら、そう笑みを向ける。侍女たちは「行ってらっしゃいませ」と言って、静かに頭を下げた。


 その様子を横目に、クラウスのエスコートを受けて部屋を出る。開いていた扉の向こうから、「何かクラウス卿、機嫌悪くなかった?」というパウラの声が小さく聞こえてきて。


 私もそう思う、と、口に出さぬまま、ちらりと隣を見上げてアウレリアは思った。

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