6-2(ディートリヒ)

 二か月半という月日も、過ぎてみればあっという間である。


 王城の謁見の間には、これから『魔王封じの儀式』に向かう者たちが集められ、出発のための激励の式典が行われていた。


 自分やレオンハルトを含む、黒騎士の面々が十五名。魔法士団から闇魔法使い一名を含む、十二名。そして聖女と呼ばれる最も光の魔法に秀でた魔法使いと、同じく光魔法を使う女性の魔法使い二名。総勢、三十名であり、聖槍を使う勇者が率いる一行ということで、俗に勇者一行と呼ばれる。


 ちなみに、ギルドから派遣される闇魔法使いは二名見つかったらしく、『黒の森』の入り口で合流するという話である。




(三人もいれば、わざわざ俺が名乗り出る必要もないよね)




 良かった、と心の中でほっとしていた。この時は。その考えが、随分と甘い物だとも知らずに。


 謁見の間の一段高くなった位置には、勇者一行を激励するために、国王を始めとする王族の方々が、厳かな椅子に腰かけていた。


 その一番端の席に目をやって、ディートリヒは思わず頬を緩める。美しい銀色のドレスを身に纏い、それに合わせた、銀色のベールを身に着けた彼女は、その黒く真っ直ぐな髪と相俟って、とても神秘的な雰囲気を醸し出していた。


 近頃、王女が常にベールを身に着けるようになったと聞いていたが、この目で見るのは初めてである。やはり、仮面よりもベールの方が、彼女の持つ雰囲気に似合っている気がした。




(俺の言葉が、おかしな風に伝わっていたらと心配してたけど、そんな必要なかったみたいで、良かった)




 思い、我知らず頬を緩める。


 彼女は本当に、ファッションとしてベールを身に着けているのだろう。ベールとドレス、双方の精緻な意匠は、作り手のこだわりが透けて見えるようだった。


 式典は順調に進み、国王、王妃が順に言葉を述べる。その後、王太子もまた、後ほど合流するという旨の言を告げ、皆にそこまでの道中をよろしく頼むと鼓舞して。大臣の一人が、式典の終了と、勇者一行の出発を告げようとした。


 なんで、と思った。




(彼女は、何も言ってくれないのか)




 勝手に、彼女もまた自分たちを激励するためにそこにいるのだと、そう思い込んでいた。あのゆったりとした涼やかな声で、自分たちの旅路の安全を祈ってくれるものだと。だから。




「……あの」




 しん、と音が消え去る広間の中。思わず張り上げてしまった声は、自分が思っていた以上に、大きく響き渡った。




「何だね、黒騎士の……ディートリヒ・シュタイナー卿。何か問題でも」




 式典の進行を務めていた大臣が、怪訝そうな顔でそう問いかけてくる。同時に、一斉に視線がこちらに集まるのを感じた。


 隣に並んでいたレオンハルトが、「どうした、急に」とでも言いたそうな、不審そうな表情でこちらを見ている。


 自分でも、何で声を上げてしまったか分からない。ただ、思ってしまっただけだ。


 これから、命さえも危ういような、危険な地に足を踏み入れるのだから、彼女からも、激励の言葉が欲しい、と。たった一言でも構わないから。


 それこそ、女神から祝福を受けるようなものではないか。




「王女殿下からも、何かお言葉を頂くことは出来ないでしょうか? これから、魔物が犇めく地へ赴くのです。王女殿下のお言葉は、何よりも我々への加護と成り得るでしょうから」




 胸に手を当てた状態で頭を軽く下げ、そう声を張り上げる。周囲の空気がざわついた。ディートリヒの声に、同調するように。


 魔法使いたちはともかく、騎士である自分たちにとって、彼女はまさに女神であり、彼女の言葉は女神の言葉と同義であったから。


 自分で言いながら、なかなか良い考えではないかと思う。その実、ただ彼女のことが気になっただけだ、なんて、決して口にする気はない。


 ベールを提案したのは自分であるが、口許まで覆ってしまっているため、彼女がどんな表情をしているのか分からなかった。だからせめて、その声色だけでもと、そう思ってしまったから、なんて。


 あの日と同じように暗い声で言葉を発するのではないかと、そんなことが気になってしまったから、なんて。


 周囲の騎士たちを伺えば、やはりと言うべきか、そこには明らかな期待の表情が見えた。何を言い出すのかと警戒していたレオンハルトでさえ、じっと彼女の方を見ている。


 流石に急な話だから、無理だろうか。思いながら、静かに応えを待つ。




「私などの言葉でよろしければ、いくらでも」




 静かに、そして柔らかな色を纏って聞こえて来たのは、そんな少女の声だった。




「ここにいるのは、この国で最も優れた戦士たちと言っても過言ではありません。しかし、道中は非常に過酷なものとなるでしょう。皆様が守りたい方のために戦い、そして、またここに戻ってきてください。招集に応じてくださった皆様に、心からの感謝を。……どうか、皆様に女神の加護があらんことを」




 穏やかに、それでいて朗々とした声が響き渡る。高過ぎず、それでいて低くないその声は優しく、凛としていて。


 騎士たちが自然と、その頭を下げる。国のために、とは言わないのだ。彼女は。ここにいる者たちが、自ら守りたいもののために戦うことを、許してくれる。ちょっとした言葉の差でありながら、とても大きな気持ちの差がそこにはあった。


 あの日、暗闇の中で聞いた苦しそうな声とは、全く違っていたけれど。あの時に感じた、胸を打つような感覚だけは、何も変わらない。己を犠牲にして民を救おうとする彼女らしい、優しい気遣いに溢れた言葉であった。


 そうしてその日、ディートリヒを含む総勢三十名の勇者一行は、『魔王封じの儀式』を成功させるべく、メルテンス王国の王城を出たのだった。

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