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楼子が異世界から来たことは未だ伏せている。

夕凪には、楼子が嘘を吐いたと責めるとか、楼子の正体を明かそうとしたとか、そういう意図はない。


楼子の言うことはわかる。

夕凪に悪意はない。


楼子の手を握り返して、リシュトは溜息を吐いた。

我ながら余裕がない。

朝からジョゼットと議論しては捲し立てられ、ヒューベルトには痛いところを突かれ、楼子が元帥執務室内務に取られ、夕凪に楼子の正体を見抜かれる。

情け無い姿を好きな人に晒し続ける。

その上庇われ続ける。

ひどい日だ。


楼子は、少し散歩しましょうか、とリシュトの手を引いた。

とぼとぼ、がふさわしい自分の足取りがわびしい。


楼子は、冷静だった。

夕凪に言われた時には驚いていたけれど、リシュトが動揺して逃げ出すような真似をしなければ上手く誤魔化しただろう。


楼子が異世界からの転移者であることを、知られるわけにはいかないのに。


ヒューベルトが「少し背が伸びた」と評した楼子の姿を視界に収める。

リシュトの手を握った楼子が、道端に自生する青色の小さなスミレの間を歩いていく。

魔導士の青色のローブが、スミレの花に溶けてしまうようで。

繋いでいる手が、ぼやけていってしまうようで。


楼子は振り向いて、笑う。

リシュトだけに笑う。


なぜ。

わからないことだらけだ。

早く聖女の力の正体を解明しなくてはならない。

早く楼子をしがらみから解放しなくてはならない。


王城から第三騎士団の城に戻ってから、聖女の力を調べ直していた。

旧ウェゼル公国領の異変を第十二隊が報告に駆け付けたのは、積み上がった聖女の資料に、第七隊の砦の人員配置と業務内容の変更記録、魔導士団がヒューベルトに提出した報告書、ヒューベルトが下した処分結果の審判書に半ば埋もれかかっていた時だった。

頭は冴えていた。

リシュトが内に感じた警鐘は、間違いなく、放置しておけば国家存亡に関わると知らせた。


でもそれどころではないかもしれない。


南西の森で女王蜂を倒したきっかけは楼子だった。

ただの虫除けが女王蜂の動きを止めて、魔力を弱らせたから、ネイの風の刃が女王蜂に届いた。

城壁の連絡橋で大鼠の、魔族の瘴気を受けたリシュトのそばにいたのも楼子で、真綿で墨を吸い取ったように、リシュトは何事もなかったように完治して。


夕凪と同じ瞳の色———


勘のいいヒューベルトが気付くのは時間の問題だ。


「ユウナギは、聖女の浄化の術を使えない」

「え……」

「ロオだけなんだ。だから、もし」


リシュトは、言葉を飲みこんだ。

言うつもりはなかった。

リシュトの本心を披歴してしまえば、きっと呆れられるだろう。

あまりに自分勝手に、楼子をそばに縛りつけようとしている。


楼子は口を閉ざしたリシュトを見上げた。

俯いて考えを巡らせて、また、リシュトを見る。

春風が、楼子の髪を波打たせる。


「聖女の力を使うと消滅するかも……ですね」


そうだ、その通りだ。

だけどそれは綺麗な方の理由で。


リシュトは空いた手で楼子の髪を撫でた。

巻き上がる風から守るように指の間に絡め取って、引き寄せる。

毛先を放すのも惜しくて、リシュトは指の間に楼子の髪を挟んだまま、ローブの前身頃で手を止めた。


この王国において、召喚魔術に因って呼び寄せられた者は聖女として、畢竟王国の所有物となる。


(ロオが聖女の資格を有するのだと知られたら)


浅くなった呼吸に、顔面から血の気が引いていく。

この国に、ヒューベルトに楼子を取られてしまう。





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