49
「……っくりしたあ」
夕凪が、溜息と共に驚きを吐き出した。
三人は、地下にいた。
尻餅をついた大理石の床は冷気を放っていた。
寒くて思わず肩を縮ませた。
楼子は立ち上がり、ローブの裾を掃い、隣で立ち上がったネイの上着の埃をぽんぽんとはたいた。
見上げると、かなり上にぽっかりと大きな穴が開いていた。
神官たちの叫び声が小さく聞こえる。
着地の衝撃はこの高低差のものではなく、精々一メートルほどの落下かと思われた。
怪我はない。
ただ祭壇の足は壊れて斜めになっていた。
「大聖堂の地下、ですよね……」
薄暗い。
穴から差し込む光で、なんとかあたりの様子を確認する。
とにかく出口を探さなければ。
立ち上がり周りを見る。
少し目が慣れてきて、壁には絵画、彫刻が並べられているのがわかった。
石の壁に厚地の幕が垂れている。
幕には煤けているが金糸で紋章が縫われている。
宝物室なのかもしれない。
「わ! マジ、ガラケーだ。バッテリー残ってる」
先に起き上がって歩き回っていた夕凪が壇上に並べられたものを見て声を上げた。
画面の明かりに照らされた夕凪の顔が暗がりにぼんやりと浮かぶ。
「画面ちっさ」
ガラケー……携帯電話があるのか、と楼子は驚いた。
全然機能を使わないが、楼子でも持っていたのはスマートフォンだ。
「ガラケ?」
「電話……通信できる機械のことです」
首を傾げて聞いたネイに答えて、楼子は脈打つ心臓を押さえながら夕凪の元に寄った。
壇上には携帯電話のほか、長財布や表紙にプリクラが貼り詰められた手帳、化粧ポーチなども並んでいる。
「これも通信機?」
ネイが丸い雫形の機械を指さして楼子に訊ねた。
それはたまごっちだ。
楼子は長財布の横に並んだクレジットカードや日本のお金を見た。
五千円札が新渡戸稲造だ。
順番に、大きさごとに並べられた硬貨を見て、社員証の顔写真とその横に書いてある名前を読んだ。
……火崎芳、ひさき、かおる。
「ロロ、見てガラケー、動くよ。写真ある。画素数粗すぎ」
「夕凪、勝手に触っては」
「あ、これ、この人がそのカードの……火崎って人じゃない? ……隣の男の人」
二つ折りの携帯電話の上画面に、白の儀式装束を身に付けた火崎芳、その横に、プラチナの髪に紫の眼の男性が並んでいた。
金の刺繍の軍服に白色のマントの男性は、既視感がある。
右ボタンを押すと自撮り写真だった。
続けてボタンを押す。
自撮りが多い。
狭い画面に映りこんだ二人は随分親密な距離だった。
「ロロ、この人、さっき博物館で見たよね。百年位前の王様だよ」
夕凪は宮廷の教師たちから王家の歴史を学んでいる。
今日の博物館訪問もその一環だった。
館長の説明も長かった。
百年前のアンリアンス国王については、今一番旬な人物だ。
夕凪以前、最後に聖女召還した王様なのだから。
「アンリワード二世。即位前の名前は」
「……レナート・ヨークラウ・アンリアンス」
楼子は正面を見た。
幕に半分隠れた正面の油彩画は、博物館の方がレプリカだ。
この人だ。
携帯電話の写真にある右目の泣きボクロは描かれていなかったが、間違いない。
携帯に残された写真に既視感があるのは、崩した表情がヒューベルトに似ているからだ。
「この火崎って人が聖女なんだね」
儀式や功績の文献は残されていても、聖女その人に関する記録はない。
それこそ、肖像画のようなものも保管されていない。
誰も顔を知らない、百年前に召喚された、聖女。
「なんだろ、この部屋、聖女の持ち物を隠してたっぽいよね」
夕凪の呟きに、同感した。
きちんと並べられているところをみると、大切にされていた様子も伺える。
楼子が手帳を手に取ろうとしたとき、パラ、と表紙に小石が落ちた。
「……?」
楼子は、頭上を見上げた。
顔に小石が当たる。
小雨が降るような音がする。
何かがずれる音もする。
これは、天井が、崩れる。
「夕凪、ネイ、て、んじょうが」
「ロオ!」
茫然と見上げるしかできない楼子の名前を呼ぶ。
崩れた瓦礫と一緒に飛び降りてきたのはリシュトだった。
石が落ちる轟音が響く。
石の塊は、楼子たちがいる場所を押し潰した。
土煙が爆発のように拡がった。
衝撃に怯えて目を瞑った楼子が、息苦しさの中、目を開けた。
「……リシュト」
楼子の声にリシュトが楼子を抱え込んでいた腕の力を弛めた。
崩落よりも先に楼子に届いた安堵感よりも、楼子に訪れた危険に対する恐怖が勝ってリシュトの顔は蒼褪めていた。
楼子はリシュトの頬を撫でた。
その指先を握ったリシュトの手が、震えた。
頭上には透明な傘があって、瓦礫を押し留めていた。
リシュトの魔術なのだろう。
傘の隅、ギリギリの場所に倒れたネイの姿があって、楼子は叫んだ。
「ネイ!」
「ネイ、無事か」
「無事」
楼子とリシュトの呼びかけに、ネイはむく、と肘で自分の身体を押し上げた。
這うように楼子に近付く。
リシュトの腕の中の楼子の顔を見て、ネイは小さくほっと息を吐いた。
ネイが自分を心配してくれたことが嬉しかった、だが次の瞬間、楼子は悲鳴のように名前を呼んだ。
「夕凪……夕凪!」
「こちらも大丈夫だ」
低い声が返事をする。
リシュトが頭上の透明な傘を操作して瓦礫を避けた。
少し離れたところで、土埃の中厳めしい顔をして、気絶した夕凪を抱えて立ち上がったのは、肩幅の広い、銀灰色の瞳の騎士だった。
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