魔法の名は「その恋は、けして実らない」

沙崎あやし

【其の一】白銀サクラという乙女

 春めいた昼下がりの暖かな日射し。教室の窓際の自席であたしは小説を読んでいた。文庫本。タイトルはカバーで隠してある。そんな恥ずかしいものではない。女子高生なら誰でも読むような恋愛小説である。


 もっと詳しくいえば、白馬の王子様が灰かぶりの女の子を迎えに来る様な、ベッタベタの内容のものである。御話はクライマックスを迎え、二人は結ばれる。童話であればここで「めでたしめでたし」と終わるところだが、この小説は続く。ここからである。ここから始まるキャッハウフフの甘々な展開こそがあたしにとっては本編と言って良い。口元が思わずニヤける。


 だから、背後に忍び寄った人影に気がつくのが遅れた。


 「ぐへっ!」


 教室は昼休み。生徒たちの雑談で騒がしい中を、一際大きな悲鳴が辺りに響いた。教室に居る全員が、わたしの方に振り返る。でもその悲鳴は、あたしのものではない。


 「……あっ」


 あたしは呆然と、振り上げた自分の拳を見つめた。その拳の痛みによって、ようやく何をしでかしたか認識する。やってしまった。またやってしまった。無意識の内に繰り出された拳が、背後から近づいた男子生徒の顎を打ち抜いたのだ。


 ボクシング漫画の様な、綺麗なアッパーカット。だったと思う。床にひっくり返った男子生徒の周りを、友人らしき男子生徒たちが慌てて取り囲む。


 「おい! いきなりなにしやがるんだッ!」


 その怒声にびくっと身体が震える。ごめんなさいごめんなさい。無意識なんです、わざとじゃありません。その台詞は掠れて出てこない。


 「なによ! サクラに触ろうとしたのが悪いんでしょ?」

「肩叩いて呼ぼうとしただけじゃないか。それで殴るのかよ」

だって分かってるんだから、そっちが悪いのよ」


 あたしの前に庇うように友達たちが並び、代わりに言い合いを始める。すみませんすみません。ホントは殴った方が悪いよね。庇ってくれる友達たちに感謝しつつ、殴った相手にも頭を下げる。ホントは傍に駆け寄って直接謝った方がいいんだろうけど、あまり近づくとまた殴ってしまいそうなので、結局友達の壁の後ろで縮こまっているしかない。


 ややして教師たちがやってきて、この小さな騒動を納めてくれた。殴られた男子生徒は、特にあたしに文句は無いとのことだった。ただ去り際、怒った様な失望した様な、そんな複雑な表情であたしを一瞥したのが、ぐさりと心に刺さった。


 たぶんね、自意識過剰じゃなければ、好意を持って近づいてくれたんだよね。あの人は。それを拳で迎撃してしまった。そりゃあ、あんな目で見てきますよね。あたしは溜息をつく。どんな理由であろうと、相手から失望されるというのはイヤなものだ。





 ——白銀サクラ、十六歳。自称乙女。但し、近づこうとする男に対して激しく物理的な拒絶反応を起こす、厄介系の乙女。恋に憧れつつも、その強烈な個性は今日も男子を寄せ付けない。そんな春の昼下がりであった。






  —— ※ —— ※ ——






 「男嫌い」かと言われると、些か語弊があると反論する。自称ながらも乙女である。恋心を抱く相手だっている。勿論二次元じゃ無い。いや二次元にもいるけど。


 ……正直にいえば、あの瞬間まで「恋」なんていうものを実感していなかった。いやそりゃね、「恋なんて幻想」なんて風にまでは思っていませんでしたよ? これでもお年頃。胸は慎ましいかも知れないが、同級生とはあの男子は良さげーだとか、ありゃ減点だーなんて話は良くしていたし、ドラマでも小説でも定番メニューの一つとして食してきた。


 でも、どこか他人事だったんだよね。ふわっと。霧のような幕の外側で、舞台の裏から劇を見ている感じ、といえば近いかも。友達が一人、また一人と、恋という名の劇に参加していくのを、あたしはぼんやりと見送っていた。あの日までは。


 ——三年前。


 突然。あたしは白いスポットライトに照らされた舞台のど真ん中に立っていた。観客はなっしんぐ。舞台の上にはあたしともう一人、長髪の少年だけ。その少年は私と同年代で、頭一つ高い。その高さから注がれる視線と台詞に、あたしは硬直した。


 『      』


 なんて言われたのか、まったく憶えていない。日本語だったと思う。いやごめん、ちょっと自信無い。あの声で「いやロンゴロンゴ語で喋ったよ」と言われたら信じちゃう。ついていっちゃう。


 ——ああ。


 これが「恋」なんだ。確信してしまった。本当にこれが恋なのか、見て聞いて比べられるものは何も無いのに。でも、もうそんなことは関係ない。あたしにとって、これが「恋」だと思ってしまった。もうそれが全て。あたしが今「恋」という言葉を定義したのだ。






 —— ※ —— ※ ——






 下校時間になった。あたしは友達を待つ為に校門の横に立っている。時間がある。鞄から例の小説を取り出して立ち読みする。イチャイチャ的にはかなり盛り上がってきているので、家に帰ってから集中して読もうかと思っていたが、誘惑には敵わない。ちょっと、あともうちょっと読み進める。はー、いいよね。こんな男子ばかりであれば、あたしもこんな苦労をするハメにはなっていないんだけど。


 その時。ふと気配を感じて顔を上げた。校門から出てくる学生たち。その中に、見つけてしまった。長髪の少年を。


 ただの長髪の少年では無い。名前は金城ハヤト。同い年で、今年は隣のクラスになれた。身長はあたしの頭一つぐらい高い。学食ではよくとんかつ定食を食べている。恐らく紅茶党。剣道部所属。験担ぎの為か、靴下の色の変化に一定のパターンがある。最重要情報、彼女はいない。繰り返す、彼女はいない。


 やばい、ストーカーかあたしは。彼の横顔を見ただけで、かっと頬が赤くなるのを感じて脳裏が彼の情報で埋め尽くされる。なおこれは最秘匿情報だが、あたしは彼に片思い中だ。


 何故片思いか? それは勿論告白していないからだし、なぜ告白しないのかといえばアレだからである。アレ。お前は恋する相手にアッパーカットを食らわせたいのか? ノーである。幸い、まだ彼には食らわせていない。慎重に触れることを避けてきたからだ。


 そんな訳で、気がつけば知り合ってから三年も経つ。友達歴=片思い歴である。長い……正直、高校進学の時はどうしようかと思った。彼はあたしよりワンランク頭が良いので、必死に受験勉強した。受験に成功した時は、さすがに泣いたね。数少ないあたしの成功体験の一つだ。やれば出来る。


 そんな訳で、あたしは彼の前では若干挙動不審になる。うん自覚している。普段、なんとか普通に友達関係出来ているのは隣のクラスという絶妙な距離関係と、彼の前に出るときは脳内練習を繰り返して出来るだけ平静を装う(あと触れないようにする)からだ。


 つまり、今みたいに不意に出会ってしまうと非常に困る。あれ? いつも放課後は剣道部の練習のはずなのに、どうしてここに?


 あ。目が合った。彼が何故かコチラに気がついて振り向いたのだ。校門をそのまま歩いて出て行こうとした彼が、くるりと振り返る。そして人並みを掻き分けながらコチラへと歩いてくる。彼の姿が、あたしの視界に占める割合が急速に大きくなり、それに比例して胸がバクバクいう。ほらそこ、壁とか言わない。慎ましいと言え。


 「よお、白銀じゃん」

「よ、よう」


 彼はあたしの前で、辛うじて、ギリギリで止まった。何がギリギリなのか。それは手と足が届かない距離という意味である。如何にあたしの悪癖でも、物理的に届かなければ大丈夫だいじょうぶ。絶対シュシュ防衛圏である。


 「こんなところで何してんの?」

「友達待ってるだけだよ。それよりハ……金城くん珍しいね。部活は?」


 危ない危ない。思わず下の前で呼んでしまうところだった。それはまだ、私の脳内妄想の中だけの話である。


 「んー、まあいいか。隠すようなことでもないし。むしろちょうど良いや」

「うん?」

「白銀、これからちょっと時間空いてるか? ちょっと付き合って欲しいトコあるんだけど」


 『付き合って欲しい』。はい、リピートアフタミー。『付き合って欲しい』。ええい、あたしの反射神経がプロスポーツ選手並みであれば、速攻スマホの録音機能をオンにしてREC.したのに! はいはい、分かってますよ。そういう意味じゃないってことは。だからこそ、夢ぐらい見たいのよ。この場合は「聞きたい」か。


 「ほら、駅前にさ、確か『ルシアン』とかいう名前のショップあるじゃん。あそこ」

「ああ」


 そのお店ならよく知っている。こぢんまりとしたアクセサリーショップだ。お値段手頃でセンスが良いので、我が校の女子(勝手に)御用達のお店である。あたしが今つけている桜の花弁を模したヘアピンもそのお店で買ったものだ。


 「誰かにプレゼントでもするの? いいよ、かわいいの選んであげる」

「何言ってんだよ、お前にだよ」


 ……は? 余所行きのあたしの笑顔が硬直する。あたしに? プレゼント? なぜなにゆえに? そそそそれは深い意味があると解釈してよろしいのか。いやまさか、そんな。


 「白銀、そろそろ誕生日だろ? 丁度良い機会だなと思ってさ」


 デスよねー。そうだと思いました。実は仲間内で誕生日にはプレゼントを贈り合う習慣を構築したのはあたしである。こうすれば合法的に彼からプレゼントしてもらえる、そういう寸法である。わかってた、でもさちょっとは期待するもんじゃん? いつかはそういうの抜きでプレゼントしあえる関係になりたいじゃん?


 くいっと顎で促されて、あたしは歩き出す。小説は手に提げた学生バッグのポケットに差し込む。学生たちが一方向へと歩いていく流れに乗って、彼とあたしが並んで歩く。


 「白銀に貰ったボールペン。あれ使いやすいよ。結構高かったんじゃないのか?」

「いえいえ、そこはあたしの目利きの良さを褒めていただければ。大して高くないよ」

「ふーん。あ、そろそろインクが切れそうなんだよな」

「それじゃあ売ってるお店教えるよ。すぐ近くだし、コレ終わったついでに行ってみる?」

「あーそうだな。そうしてもらえると助かる」


 いよっし! 心の中でガッツポーズ。彼との同伴イベントが延長されました。計画通り。消耗品が必要なプレゼントなら、こういうこともありえるかなーとは思っていました。半年前の自分を褒めてあげる。さすがよの越後屋、いえいえお代官様。


 内心ウキウキしながら、並んで歩く。ゆっくりとした下り坂になり、その先に駅前の商店街と電車が見える。ゆっくり歩いて十分程度かな? 極力ゆっくりと、時間がかかる様にローファーを踏み出す。


 ——正直、浮かれていました。はい。いつもなら並んでは歩かない。そりゃ絶対シュシュ防衛圏内になるからね。肩が触れ合わない程度には注意していたけど、その分足元が疎かになった。


 「あッ!」


 躓いた。転がっていた石を踏み抜き、体勢を崩す。学生バックが宙を舞い、アスファルトに向けて上体が転倒する。思わず目を瞑る。


 「——おい、大丈夫か?」


 しかし、顔面に痛みはやってこなかった。代わりに何やら暖かいものが胴の辺りに巻き付いている。あたしの体勢は完全に崩れていたが、地面には転がらず、宙にぷらんと浮いている。


 「引き起こすぞ。せいの!」


 ふわりと視界が回って、あたしはアスファルトの上に立たされた。ローファーの片方がどこかへ飛んだのか、右足の方は靴下越しに地面を感じる。


 あたしは目を見開いた。目の前に彼の胸があって、少し見上げると顔が見える。状況的に見て、転倒したあたしを彼が支えてくれたのだ。しかし、その両手は今、私の肩に置かれている。


 ——触れた、ヤバイ!


 あたしは思わず目を瞑ってしまった。反射的に出るであろうアッパーカット。その光景が瞼の裏に映る。


 しかし、手応えはなかった。あたしの両手はだらんと下がったまま、動いていない。おそるおそる目を開けると、不思議そうな表情をした彼が見える。無事だ。あれ? もしかして……あの悪癖が出ない? 今日も一人、不幸な男子をマットに沈めた、あのアッパーカットが。


 「どうした? どこか打ったか?」


 彼が聞いているが、あたしは両の掌を思わず眺めた。彼に触れられても、現在進行形で彼の両手が肩にあるが、悪癖が発動する気配はない。思わず手が震える。これって悪癖が直った? いや、もしかして「彼」相手だと悪癖が出ない? なんで、どうして?


 疑問が脳裏を一周した後には、喜びが込み上げてきた。理由は分からないけど、あたしは彼相手だったら悪癖が出ない! それはまるで雲の上に登るかのような心地だった。


 「うへ…えへ、えへへ」

「どうしたんだよ……気持ち悪い」


 困惑した表情の彼。どうしても嬉しさを堪えきれないあたし。だから気がつかなかった。その時の異常に。


 路上に投げられたあたしの学生バック。そのポケットから例の恋愛小説の本が転がり落ちていた。本は二度三度とアスファルトの上を転がった後、不自然に開く形で停止する。ゆっくりとページが捲られ、丁度魔女の挿絵が描かれているページで止まる。


 そして、魔法が唱えられる。







 ——魔法の名は「その恋は、けして実らない」。







 あたしが気がついた時には、周囲の様相は一変していた。周りにいたはずの周囲の学生たちは全員消えていて、周囲の光景もまるで劇の書き割りみたいになっている。その書き割りの間に、魔女が一人立っていた。


 魔女の杖が天を衝く。すると黒い雲の中から、歯車で出来た巨大な城が姿を現した。天空の城?! その幅は頭を振らないと見渡せないほど長く、そして頂上はまだ雲の中に隠れて全貌は見えない。ガタン、ゴトンと歯車の回る音だけが無気味に響いている。


 「あぶないッ!」


 彼が叫び声と共に、あたしの手を引こうとする。しかしその前に、二人の足元ががらりと崩れて宙に放り出された。あ、この感覚。ジェットコースターで落ちるときの感覚だ。屋上の地面も、校舎も、遠景の街も。全てが崩れ去って落ちていく。


 降下する風の勢いに、ポニーテイルにしていた髪紐が千切れて飛ぶ。ぶわっと黒髪が溢れて視界を遮り、それが通り過ぎると彼の姿が見えた。あたしの近くを共に落ちていっている。


 手を伸ばす。指先が彼の方へと近づく。彼も手を伸ばした。風に煽られながら、少しずつ近づいていく。ぐぬぬと声を出したいところだが、風圧で声は出ない。お互いの口だけが動いて、お互いの指先が近づき、遠のき、そして近づく。


 「!?」


 そして指先が触れると同時に、彼の手が一気に伸びてあたしの手を握り締めた。強く、大きく、そして暖かい感触。あたしも握り返す。


 その瞬間。周囲が白い光に包まれた。彼の姿も自分の姿も光の中へと消え、そして握り締める感触すらも白く塗りつぶされて——。












 ——そして。あたし白銀サクラと金城ハヤトは、異世界へと飛ばされた。

その異世界の名前は、『サンドリヨン』。

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