はじまりの言葉

上雲楽

 最初に死体があった。それは主張であり、物体としては見つかっていない。そして斎藤かおるは亡霊として存在する。これは斎藤の意志そのものと思って貰って差し支えないが、斎藤の死にまつわる5W1Hを開示することにも秘匿することにも関心はない。どちらの需要も満たすには斎藤の身辺にまつわる情報を散りばめて状況を推理してもらうのが手っ取り早いが八方美人かもしれない。斎藤は亡霊だから足がなく、足跡がつかないので現時点でどこにいるのかはわからないがいつも声が聞こえるので後ろにいるらしい。この呼吸とも発音ともつかない不快な音は脳に伝わるが、空気や鼓膜の振動を伴わない気がする。斎藤について警察が捜査し、検察が検挙し、裁判所が判決を下した。裁判所という真理の場に亡霊は存在しないので、斎藤はいなかった。何人かの男と女とそれ以外の人間と盲導犬が斎藤の死について議論した。盲導犬は吠えなかったからその場にいてもいなくても変わらなかったが斎藤は盲導犬しか見ていなかった。犬は斎藤を見ていたが、視線の方向は犬の正面なので背後の斎藤を見ることができないはずだった。鏡が犬の背後を映し出したが、裁判所に鏡があるのかわからない。

 件の現場について写真を見たことがある。夕日とオーブに照らされ何も見えなかった。オーブを亡霊の証拠とするのはナンセンスだが、これは秘匿への意志がもたらしたものだった。部屋内の指紋はすべて拭き取られていた。

 最初にあの発音を聞いたのは取り調べを行った刑事だった。

死体の存在を主張したのは宅配ピザの配達員で、それが斎藤かおると発音したとき、刑事はまだかすかな違和感を覚えるだけだった。部屋の鍵は閉まっていたので配達員はピッキングしてピザを届けた。部屋の内側は窓が閉まっていたし密室だった。だからピザの配達員は被疑者として起訴された。届けられたマルゲリータは誰も食べず冷えた。

 便宜上、斎藤かおると呼ばれるそれは部屋のある土地の登記者の名前だった。その土地には真新しいアパートがあったが、そこには一室しかなく、内部にキッチンもトイレも洗面所もなかった。また、部屋の中に保険証や運転免許証のような名前を確認できるものはなかった。その土地はずっと前に時効取得されたもので、斎藤かおるが生きているならその年齢は人間ではありえない。事実上所有者不明土地だった。

 アパートの建てられた時期は特定に成功した。その土地の外れに教会があり、そこへ通っていた信徒たちの証言を得られた。その教会の教導者は信徒たちを忌むべき存在とみなしていた。声帯の振動した声帯閉鎖音、あの斎藤かおるが発する音を信徒たちも発するようになっていたからだった。教導者はその言葉は隠れていなければならない、その言葉は天地創造以後に生み出された言葉であり、呪いであると何度も説法したが逆効果だった。信徒たちの話す言葉は次第に日本語から遠ざかり、一人称と二人称を発するたびにあの不快な音が鳴り響いた。信徒たちはこの言葉を、斎藤かおるを含めた十二の死体から聞いたと述べた。しばらくしてその教会は天災によって崩壊した。

 斎藤かおるの名を語る人物は捜査の過程で増殖したが、誰もその名を聞いたきっかけを思い出せなかった。ただ斎藤かおるの名だけが伝達し、いつの間にか刑事も彼らと同じ発音で斎藤かおると発するようになっていた。

 裁判では何人か死刑になった。斎藤の死を招いたと主張するのはかつてテロを起こしたカルト教団の残党だった。同様の理由でいくつかの死体が斎藤と関連付けられて、政治的なデモンストレーションのために必要なオブジェクトだったとして処理された。テログループの人員の死体は寿命死を迎えたものは少ない。少しあとで死刑を宣告されなかった人たちは自殺した。テログループの人員が供述をする前に必ず斎藤かおるが発する、あるいは発さないあの言葉が脳裏に浮かんだ。その言葉を彼らはアレフと名付けていた。 

 すべての死体は焼かれた。斎藤は亡霊だから死体の数は0以上1未満であるとする。その間にあるすべての実数が自然数と一対一関係を持つとする。その実数を網羅したリストを考え、その対角線上に並んだ実数をずらしてみる。するとその実数は存在しないので、リストよりも実数は多く存在することがわかる。存在する死体以上の死体が存在することがわかる。その過剰な死体は斎藤含めて十二個あった。すべての死体には死因がある。テログループはそれを信じていたので、死因のわからない死体を存在させるわけにはいかなかった。死体のない死体を存在させるわけにはいかなかった。これを述べればハウダニットは解決するので、もう終わりにしてもいいのかもしれないが、フーダニット、テログループの構成要員の名前を列挙することは容易である。死体の数に比べれば0に近しい。実際、そのようなテログループは存在しなかったので、死刑の結果として、死体の順序数は変化したのかもしれないが濃度は変わらない。

 テログループの存在は時間とともに風化していったが、あの発音は誰もが口にするようになっていた。赤子は喃語よりも前にあの発音を行うようになり、父母の名前よりも先に斎藤かおるの名を発した。その父母は自分の子供が呪われていることを悟った。

 その言葉と同時に皆が斎藤かおるを思い出していった。同時に皆が自らの言葉を忘れていった。かつてヘブライ語がアラム語になったように、皆の発音は少しずつ同化し、忘却されていった。それが忘却ではなく再生であると気が付いたのは一部の言語学者だった。我々は完全に口蓋化子音も円唇化子音も歯擦音も破擦音も吸着音も複合母音も二重母音も思い出し、無限の発音能力を、喃語のエデンの園へ回帰したことに歓喜したと同時に、テログループは敗北を悟り、自殺を重ねた。我々は次第に斎藤かおるの意思を理解できるようになった。あらゆる言葉は風習のように土地と時で変化する。例外はもはや語ることのない死体と、最初の人間と同時に作られた最初の言葉だけである。最初の言葉は無限にあった。正確に言えば可算無限。我々は無限の言葉に秩序を与えて無限の向こうの斎藤かおるを祝福した。

 しかし、これはあとで知ったことだったが、裁判所の職員のバッジは八咫の鏡を象っていた。だからその反射の内側か外側のどちらかに斎藤かおるはいる。

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