第5話 ロッカー事件

洗礼

 予備隊に入れられてから1週間が経った。「剣技は少しだけ見よう見まねでやったことがある」という設定で教官たちの指導を素直に聞きながら、何とかリィアの剣技を体に叩き込んでいった。声が出せるようになってから教官たちとも会話が出来るようになっていたが、自分の複雑な事情についてもちろん話せるはずもなく、自然と口数は多くならなかった。


 もうひとつ困ったのは名前だった。教官や他の予備生たちに何度か尋ねられたが、どうしても名前だけはどうしたらいいかわからなかった。その度に曖昧に誤魔化してきたが、そろそろ限界が来ていた。


(どうしよう……ジェイドの名前は絶対出したらダメだろうし、だからといって、他の名前を自分で考えるなんて、俺には無理だ。なんか勝手に呼んでくれないかな……)


 いっそ名前はないと開き直ることも考えたが、その後の追求を考えると得策ではなかった。


(訓練中は32番って呼ばれるけど、それ以外はみんな普通に名前で呼び合ってるしな……どうしたもんだか)


 訓練中には首から下げる認識票を携帯する義務があった。そこにはただ「32」と番号が振ってあるだけだったが、それだけでも今の自分を証明する何かがあるということは有り難いものだった。数字なんかではない名前が欲しいという気持ちもあったが、それ以外の名前が思い浮かばない自分が恨めしかった。


(自分だって犬1とか言っていたくせに)

(うるさいな、しょうがないだろ!)

(姉さんがいたら、他の名前を付けてもらえたのかな)

(そうしたらこんなところにはいないんだって)


 姉のことを思い出して、もしあそこで襲われなければ今頃どこで何をしているのかと考えるときもあった。姉は一体新しくどんな名前を考えたのだろうと思うと更に暴漢たちを恨めしく思った。


***


 それでも何とか予備隊に馴染もうと努力している姿を評価され、他の子供たちの中で生活する段階に進まされた。


(想像以上に、ここは過酷なところかもしれないな……生き残りたければ、の意味がようやくわかってきた気がする)


 まず集団生活の環境はそれほどいいものではなかった。10歳以下の子供は男女の別を問わず、大きな蚕棚のようなベッドに押し込められ、生活用品をしまう棚がひとつあるだけの部屋から出たら後は訓練と食事休憩があるだけだった。週に一度、休養日が設けられていたが14歳以下は一切の外出を禁じられ、それ以上も特別な許可が下りないと外出はできなかった。


(まあ、ほぼ刑務所だよな。大体ここにいる奴ら、そういう奴らばっかりだしな)


 予備隊に所属させられる少年少女は、そのほとんどが触法少年であった。聞こえてきた話だと、多かったのは路上で強盗を働いて収容されているというものだった。他にもスリの常習犯や虐待の末親を殺して逃げてきた者などがいるらしい。


(俺も人のこと何にも言えないけどな)


 彼らに共通していたのは、親兄弟が既にいないか見捨てられたものたちだったということだった。そのせいか居心地の悪さがあまりなかった。ひとりぼっちになったときのあの寒々しい気持ちを知っている者がたくさんいると思うと、あまり無下にも思うことができない。


(それでも……どうしてだろう。誰とも話したくないのは)


 やっと声が出せるようになったので思い切り誰かと話がしたかったのだが、それまでの孤独な生活で他人に話しかけるということがなかったために改めて親しく話をするということがどういうことだったのか思い出せないでいた。


(自分以外の友達も欲しかったはずなんだけど……どうやって友達になるんだっけ?)


 人の輪に入っていけないことで、人の目を避けて暮らしてきた代償をひしひしと感じていた。同じくらいの年頃の子供たちが親しげに話している輪に入っていきたかったが、「仲良くなっても、正体を知られたらおしまいだ」と心のどこかで彼らを遠ざけていた。

 そうすると、何かと目をつけられやすくなる。見た目だけなら背も低く、なるべく目立たないよう終始俯いているため弱そうに見えたのかもしれない。


 最初は頻繁にものがなくなった。着替えや生活用品がどこか別の場所にあったり、ゴミ箱に捨てられていたりした。


(つまんないことする奴もいるんだな)


 それから露骨な嫌がらせが始まった。配膳された食事をひっくり返される、わざと転ばされ笑いものにされる、物陰でこっそり腹を殴られるなど嫌がらせは激しさを増していった。


(ムカつくな。ぶっ飛ばしてやろうかな)


 しかし、騒ぎを起こすと「懲罰房」へ行く危険性があった。懲罰房へ行くくらいなら、つまらない嫌がらせを受け続けたほうがマシだった。


(まあ、そのうち飽きるだろ。みんな俺なんかに構うなよな)

 

 嫌がらせには困ったが、剣を握るとどうでもよくなった。はやく左手でも右手と同じように剣を扱いたくて、素振りを中心に熱心に鍛錬を続けていた。それが周囲からは面白くないと見られていることに気がついていなかった。

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