閉所恐怖症

 強盗を繰り返してほぼ死んでいたような状態から捕まって入院し、十分な休養をとることができた。声を出すこと以外は大方元気になったところで、その日は突然やってきた。


 急に病室に現れた黒い服の女性は、リィア軍の紋章を付けていた。彼女は30歳くらいで優しそうな顔をしていたが、その所作には隙が一分も見当たらなかった。


(リィアの特務の隊服だ……この人、特務なんだ)


「こんにちは。早速だけど、あなたの身柄は今日から私が預かるわ」


 リィア軍に身柄を引き渡されると聞いて、心臓が大きく鳴った。女性は構わず話を続ける。


「残念だけど、あなたに拒否権はないの。今すぐ出発よ」


 すぐに女性に手渡された鼠色の服に着替えさせられ、半ば強引に病室から連れ出された。逃走しようにも、この特務の女性から逃れる自信はなかった。どこに行くのか、一体どうなるのかを尋ねたかったが、やはり喉は塞がったままだった。


(やっぱり声は出せないのか。どうすればいいんだろう)


 もしかすると知らない間に正体を調べられていて、処刑されるのかもしれない。しかし、それはそれで仕方ないと諦めていた。ただ、元気になるまでしっかり面倒を見てくれたことに疑問はあった。


(ここまで元気にしてもらったんだ。おそらくそう簡単に処刑、ということはないはず。だけど、リィア軍に預けられるってどういうことだろう)


「さあ、乗って」


 病院の外へ出て、再び馬車を目の前にして身体が思い切り反応した。恐怖で身が竦んで、足が石のように硬直する。息を吸おうとするほど身体が動かず、息苦しさに目眩がした。


「あら、やっぱり話に聞いていた通りね」


 女性は急かさず、馬車の前から病院の入り口まで動かない身体を引っ張って行ってくれた。しばらく背中をさすられ、ようやく呼吸が楽になったところで女性は告げた。


「地下牢で暴れ、馬車でも暴れ、乗ることを考えただけで過呼吸……典型的な閉所恐怖症ね、あなた」


(閉所恐怖症……なんだそれ)


 自分の状況を言い表す言葉があることに驚いた。まじまじと女性の顔を見ていると女性は続けた。


「狭くて逃げ場のないところが死ぬほど苦手なことよ。どこかに閉じ込められた経験でもあるのかしら?」


(閉じ込められた、というか、埋められたんだけどな……)


 女性も返事を期待しているわけではないようで、独り言のように続けた。


「困ったわね、これからあなたをリィアの首都まで連れて行かなきゃいけないんだけど、流石に徒歩で行くのは無謀よね。馬車でも2日ほどかかるっていうのに」


 それを聞いて血の気が引く思いだった。処刑されるよりも2日も馬車に揺られることを考えただけで吐き気がこみ上げてきた。


「大丈夫よ、何とかするわ」


 女性によって一度病院まで連れ戻された。病院の入り口に立たされると、女性はやはり優しく告げた。


「今から少しお医者様と相談してきたいの。だから少し待っていてちょうだい」


 女性によって腰に縄が巻かれ、更に病院の入り口の柱に反対側の縄が結ばれた。


「逃げようとしても無駄よ。もし逃げたら、死ぬよりも辛い目に会わせるからね」


 そう言うと女性は病院の中へ入って行ってしまった。


(何だい! 人を犬みたいに繋ぎやがって!)


 酷い扱いに一瞬腹が立ったが、冷静になってそれが何を意味するのかを考えた。


(待てよ、本当に逃げ出したらどうなるんだろう)


 繋がれているのはただの縄だった。解いたり何とかして切ったりすれば、容易に逃げられるだろうと思った。


(つまり、逃げ出したとしても捕まえる自信があるってことだよな)


 街中で見かけた特務の動きを思い出していた。彼らに追われて、逃げ切る自信は全然なかった。


(でもどうなるんだろう、死ぬよりも辛い目って何をされるんだ?)


 その発言に少し興味はあった。社会的に殺されて生き埋めにされることよりも辛くて、死にたいと願っている身としては何をされてもどうでもいいと思った。


(とりあえず大人しくしているか。あんな人とやり合いたくない)


 特務の女性は見た目こそ優しそうな顔をしているが、何度隙を探っても警戒を全く解かず、反対に叩きのめされる未来しか見えなかった。


(剣技を極める者、強きに当たるは弱きなり、だ……無理に抵抗しないで大人しく従っていた方がきっといい)


 その場に腰を下ろして女性が帰ってくるのを待った。柱に繋がれているのがひどくみっともないと思ったが、自分がやってきたことを考えると当然の仕打ちなのだろうと諦めた。


***


「あら、しっかり待っていたのね。上出来よ」


 しばらくしてから帰ってきた女性の手には、睡眠薬の瓶があった。


「あまり手荒なことはしたくないから、眠っていてちょうだい」


 そう言うと瓶から錠剤を一粒取り出した。ためらわず奪うように錠剤を受け取ると飲み下した。


「そうそう、名乗るのが遅れたわね。私は、クロノ・キアン。これからリィアの首都に着くまで私の命令に従うこと。返事は……?」


 返事をしようとしたが、やはり声は喉に詰まったままだった。とにかく一度頷いてみせて、それから情けなさでまた胸が少し痛くなった。


「わかればいいのよ。そろそろ薬は効いてきたかしら」


 常に寝不足の身体に睡眠薬はよく効いた。胸の痛みを消し去るような温かさが身体の中から次第にこみ上げてきた。


「さあ、出発しましょう」


 意識を完全に失う前にしっかりクロノに抱かれた感覚があった。


(久しぶりだな……こんなにあったかいの)


 久しぶりに落ち着いた気持ちで柔らかな人肌に触れて、姉のことを思い出した。姉を想いながら眠りに落ちていくのはとても幸せなことだった。


***


 それから時間をかけて、リィアの首都まで移動した。悪夢で跳ね起きる度にクロノに宥められ、休憩の後に睡眠薬でまた眠らされた。まるで赤ん坊にでもなったようだと恥ずかしかったが、これほどまでに気に掛けてもらえることがとにかく嬉しかった。


 夜は移動せず、宿場で休んだ。相変わらず縄で繋がれていたが、クロノが眠っている間に逃げることもできそうだった。それでも、久しぶりにまともに話しかけてくれた人から離れたくなかった。


(逃げ出してひとりぼっちで生きていても、また死にかけるだけだ。生き延びるなら、多分この人についていくしかないんだ)


 ベッドで眠っているクロノのそばで膝を抱えて夜を明かした。ひとりで雨に降り込められた時のことを思い出し、どうせ死ぬならせめて誰かに死を見届けてほしいとクロノの寝顔を見ながら思っていた。


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