第3話 透明な存在

移送


 取り調べが終わった後、すぐにでもこの狭い部屋から出たいとしばらく思っていると警備隊員が2人やってきた。


「立て。今から移送する」


 移送、と聞いて身が震えた。足は竦むし右足はますます痛んだ。怪我をしていることを知っているのか、警備隊員は最初から両肩を支えるように掴むと建物の外まで半ば引きずられていった。


(どこへ連れて行かれるんだろう、殺さないって言ってたけどやっぱり殺されるのかな)


 外へ連れ出されて移送用の馬車を見た瞬間、目の前がひっくり返るような衝撃を受けた。そこから一歩も踏み出すことが出来ず、ただ冷や汗をかきながら立ち尽くすことしかできなかった。


「乗れ、どうした?」


(嫌だ、これに乗りたくない、嫌だ、嫌だ、嫌だ……)


 頭では絶対そうでないとわかっていても、乗ったら二度と生きて戻れないとしか思えなかった。


(でも、悪いことしたから仕方ないんだ、僕が全部悪いんだ)


 困っている顔の警備隊員を見た瞬間、今まで忘れていたものがこみ上げてきた。それはぼろぼろと涙になって目から落ちていく。


(どんなことでもするから、お願いだから、これには乗りたくない)


 その場に座り込んで泣きじゃくる。どんなにみっともなくても、馬車に乗せられるよりマシだと思った。


「大丈夫だから、乗れ。その怪我を治してやるんだから」


 警備隊員の言っていることがよくわからなかった。めそめそ泣いているうちに痺れを切らした方の警備隊員によって無理矢理馬車に押し込められた。途端に目の前が真っ暗になって、また埋められていくような気分になる。


(何だよ、誰も助けてくれないじゃないか……助けてよ、誰か……)


 それからよくわからなかったが、馬車の中で暴れたような気がする。気がつくと馬車から降ろされて、再び両脇を抱えられて歩かされていた。頬がひりひりと痛む。暴れたときに叩かれたのかもしれない。


(ああ、嫌だな……本当におかしくなってるんだな、俺……死んでるんだものな、仕方ないよな……)


 警備隊員たちに連れて行かれたのは病院のようだった。手錠を外されたが、見張られているために逃走は難しそうだった。ぼんやりしているうちに数人女性がやってきた。

泥だらけの服を脱ぐよう言われ、逆らう気力もなく指示に従った。


「これは何かしら?」


 女性の一人が胸から下げている指輪を見つけて、触ろうとした。


(ダメ!)


 慌てて指輪を握りしめ、その場にうずくまった。この指輪が取り上げられてしまえば全てが終わる。姉の形見をなくすことは死に等しく、また指輪を詳細に調べ上げられた場合待っているのはやはり死だった。


「どうしたの、そんなに大切なものなの?」


 女性は不審に思うでもなく、優しく語りかけてくる。それでも指輪を取られたらと思うと再度死刑宣告を受けたような気分になる。


「お母さんの形見か何かなのかしら?」


 一生懸命頷いて、指輪が取られることがないよう祈った。


「……それじゃあ大切にしないとね」


 女性は指輪についてそれ以上触れようとはしなかった。それでも指輪が取られると思ったときの全てが終わってしまうと思った恐怖からしばらく体を動かすことが出来なかった。


「とても怖い思いをしたのね、もう大丈夫よ」


 強ばる体を女性たちの手で丁寧に拭いてもらい、真新しい服に袖を通す。


(大丈夫って、何が大丈夫なんだろう……人の気持ちもわからないで、適当なこと言いやがって)


 とても優しくしてもらっているはずなのに、何故か女性たちが恨めしくて仕方なかった。あちこち身なりを整えて貰い、足の怪我の手当やその他様々な箇所を医者に診察され、最終的に小さな病室に通された。病室には窓があり、息が詰まることはなかった。


(何でだろう。優しくされたはずなのに、どうしてこんなに嫌な気分なんだろう)


 もやもやした気分を抱えながら清潔なベッドに横たわると、身体が溶けていくような感覚があった。


(久しぶりだな、こんなきれいな場所にいられるのは)


 それから気がつくと、夕刻であったはずなのに急に部屋が真っ暗になっていた。驚いて身を起こそうとしたが、まるで身体が動かない。療養所ににいたときのことを思い出して不安になったが、痺れているように身体が動かないので大人しくベッドに横になっていた。しばらくすると外が明るくなってくるのを感じた。


(あ、朝だ……眠っていたのかな。眠れたんだ、よかった)


 それから看護婦と思われる女性がやってきて、気分はどうかなど尋ねられたが何も応えられなかった。彼女は2日以上眠っていたからお腹が空いたでしょう、と食事を持ってきてくれた。


「少し落ち着いたら、お話聞かせてね」


 無心で食事に食らいついているうちに彼女はそれだけ告げるといなくなってしまった。


(お話って、名前とか聞かれるのかな……どうしよう、本当にどうしよう)


 腹は満たされたが、胸の中にはどうしようもなく埋めがたい空洞が広がっていた。


(どうするべきなんだと思う?)


「本当は……きっと助けてって言うべきなんだと思う。ひとりで隠れて生きていくなんて無茶だったんだ。どこかの孤児院かそういう世話してもらえるところにちゃんと隠れて、大人になるまでじっと待つべきだったんだ。そうすれば強盗もしなくて済んで、誰かを傷つけることもなかった」


(でも実際のところは?)


「実際は……わかんない。何をすればいいのかさっぱりだ」


(それで本音は?)


「本音? そうだね、とりあえずここの奴らと、その辺の奴ら全員ぶっ殺したい。なんで俺だけこんな目に合わなくちゃいけないんだ。みんな俺と同じくらい不幸になればいいのに」


 実際にその辺の人々を真剣で殺し回ることを想像すると、少し愉快な気分になった。そしてそんな自分がひどく惨めで嫌になった。


「死ねばいいんだよ、こんな奴は」


 それでも自分で死を選べない意気地なしであることを呪った。外の様子が知りたくて右足を引きずって病室の扉まで歩いて行ったが、固く施錠されていた。今は俎上で捌かれるのを待つばかりの身であることを再確認して、改めて悲しくなった。


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