強盗
頭の中の友達2人を連れて、宛てのない放浪は続いていた。
少年たちから奪ったナイフは思いの外役に立った。それまで鞄に手を入れるスリしかできなかったのが、一気に鞄ごと奪えるようになったのだ。特にぼんやりと歩いている肩掛け鞄を下げているカモは狙い目で、そっと近づいて一気に紐を切り落として荷物だけ持って逃げるという盗み方は確実に財布や金品を狙えた。スリの場合は財布に見せかけた別の品物ということも多々あったが、鞄ごと手に入ればそれなりのものが手に入る。
しかしこの方法は多少派手なため、更に一所に留まることができずに頻繁な移動を余儀なくされた。
「へへ、今日も大漁だ……なんだこれ」
ある日奪った荷物を物陰で物色していると、煙草の束と着火器が出てきた。
(知ってるよ、これ。火をつけて吸う奴)
エディアにいた頃、港でよく煙草を吸っている大人を見ていた。
「せっかくだし、やってみようぜ」
(でもそれ、確か体に悪いんじゃないの)
「構うものか。どうせ死んだ身だ。健康なんか気にしてられないよ」
一緒に入っていた着火器で火をつけ、記憶を頼りに何とか煙を思い切り吸い込んだ。最初は噎せて変な味がすると思ったが、それなりに繰り返しているうちに寝不足で常にぼんやりしている頭がはっきりしてくる気がした。
(どうジェイド? 変な感じ?)
「変というか……こう、スッとするというか」
(スッとする?)
「うん、なんか、なんて言うんだろう……いろいろ何でもいいっていうか」
今まで「これからどうしよう」という不安が常につきまとっていた。それはどうしようもない空腹やうまく眠れないことからの癒えない疲労、居場所のない焦燥感が合わさって手探りで先の見えない暗闇を歩いているようなものだった。それが煙草を吸ったことで、無理に歩いて行かなくてもいいのではと開き直ることが出来た気がした。
「もうどうでもいいや。何もかも。生きてたって死んでたってどうせ何も変わりはしない。ジェイドは死んだんだ。きっと姉さんと一緒に、埋まってるんだ」
(じゃあ俺は何なんだ?)
「俺は、俺は……何なんだろうな」
自分のことがよくわからない。確かにこの前まではエディアでジェイドと名乗って、カラン家の次期当主として大事に育てられていた気もする。しかしエディアもカラン家もなくなり、更に生き埋めにされてから以前のジェイドには戻れる気がしなかった。
以前の彼なら他人の鞄から財布をかすめ取ったり、鞄そのものを奪って行くような行為は絶対しなかった。そんなことをするのは弱い立場の人間だとすら思っていた。その弱い立場の人間以下の存在になってしまい、今までの記憶を消したいと何度も思っていた。
「でも、どうだっていいんだ。考えるのを止めよう。こうやって戦果があったんだ、それだけですごいじゃないか」
煙草を1本吸い終わると、そのまま2本目に火をつける。
(それから先は?)
「それからねえ、どうしようか。どこまで生きられるかもわかんないし、明日殺されるかもしれない」
(それもそうだな、とりあえず今を生きよう)
「そうそう、今が楽しけりゃそれでいいよ」
(今は楽しい?)
「へへ、お前らがいるから楽しいよ」
(それはよかった)
「すごく楽しいんだ、もう次期当主だの姉弟だのなんだの面倒くさいことは考えなくていい。俺は俺のやりたいようにやる。だってもう死んでるんだぜ? 盗んだって殺したって関係ないね……それにさ、これ、また欲しいな」
(どうして?)
「あの時に似てるんだ、あの、痛み止めをもらったときに」
療養所で地獄のような苦しみを味わっていたときに貰った「痛み止め」の感覚を、未だに忘れることができないでいた。
あの時の怪我の痛みはほぼないはずなのだが、特に胸がずっと痛い気がしていた。きちんと眠れていないからとかろくな食事をしていないからとかとその度に気のせいだと誤魔化してきていたが、最近では胸の痛みでうまく歩けないこともある。埋められた後遺症か何かの病気なのかもしれない。
「そんならさ、いっぱい吸えばずっと痛くないんだ。すごくないか?」
(でも、いつも鞄に入ってるとは限らないよ)
「だからさ、確実に鞄に入ってるところを狙うんだよ。俺頭いいな」
(確実に鞄に入ってるところだって?)
「そう、こいつを売ってるところのそばだよ。いい考えだと思わないか?」
その時はとてもいい考えだと思った。惨めさも罪悪感も胸の痛みも煙草で全て忘れる方がいいと思い込むことにした。
***
人々が行き交う表通りとは別に、裏通りと呼ばれるあまり治安のよくない場所に煙草売り場はよくあった。小遣い稼ぎのごろつきから組織的でしっかりしているものまで、その売り場は様々であった。そこでは煙草の他に痛み止めや興奮剤など、様々な薬物が取引されていた。
「ほら、あそこで張り込めば絶対行けるから」
小さい煙草売り場を見つけると、そこが見える物陰からずっと売り場を見つめ続けた。
「しめた、女が1人で買いに来た」
そこにやってきたのは、成人したかしないかくらいの少女だった。いくらで煙草を買ったのか、不服そうな顔をして歩いてくるところをしっかり見定め、狙いを定める。少し少女の後ろを歩き、周囲に人がいなくなる瞬間を待った。
(今だ!)
後ろから猛然と鞄を掴むと、その紐にナイフを入れる。少女が叫び声を上げる前にその鳩尾に肘を入れる。転がる少女を蹴り倒すと、鞄を持って走り去る。再度人のいない場所まで走ってくると、急いで鞄の中身を改める。
(やった! 思ったよりチョロかったね!)
(へへ、やればできるじゃないか!)
「あったあった、大量だ」
狙いの煙草の束、そして少しの金品掴むと弁当の残りだと思われる食べかけのパンを頬張って、それ以外を物陰に投げ捨てた。
「いよいよ俺も運が向いてきたな」
あちこち逃げ回ってから、改めて戦利品を眺める。現金よりも、煙草の束のほうがキラキラと輝いてみえるようだった。
「さて、早速一服といくか」
この前奪った着火器で火を付けると、一気に世界が澄んで見えるような気分になった。この胸の痛みを何とかしてくれるなら、煙草でも薬でも何でも欲しいと思っていた。
「もう何も怖くないんだ。だって、もう失うものが何もないんだから」
その事実がひどく滑稽なように感じて、ひとりでケラケラ笑ってみる。とても愉快な気分だった。このままの勢いで何もかも忘れられればいいのに、といつも願っていた。煙草が切れると胸の痛みは増すばかりで余計煙草が必要になり、更に強盗を繰り返した。
たまに鞄に入っていた睡眠薬や痛み止めは遠慮なく使った。煙草よりも簡単に楽になれるそれらのほうが好きだった。ナイフと薬と頭の中の「友達」で世界は何とか回っていた。もう誰にも頼る気はなかった。
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