眠れない夜
ジェイドが拾ってきた子犬は、ライラによってスキロスとキオンと名付けられた。カラン家の屋敷はジェイドとライラの他に、叔父一家が住んでいた。犬は叔父一家にも受け入れられ、従兄弟のミルザムとフィオミアも新しい家族を気に入ったようだった。
その夜、籠の中で眠っている子犬をしばらく家族全員で眺めてからジェイドは寝室へ入った。開け放たれた窓からは海からの夜風と月明かりが入ってきて、心地よい眠りへと誘ってくれそうであった。
「なんだい、僕だって悩みのひとつやふたつ……みっつやよっつ……」
寝転んで天井を眺めるが、思い描くことが多すぎて落ち着いて眠ることが出来ない。
「言えるか!」
ジェイドは誰にともなく叫んで起き上がる。
(言えるわけがないだろ! 本気で自分の姉が好きだなんて気持ち悪いこと!!)
(どうせ好きと言ったって姉だからとか母親代わりだからとかそんな普通なこと言われるに決まってるんだ! 違う、違うんだよ! 本気でそういう感じで好きになってるんだよ!)
(だって姉さんすごく美人じゃん! 家族の贔屓目とかじゃなくて本当の本当に美人じゃないか! ひとつ屋根の下でどうして好きにならないでいられるんだ!?)
(あの髪の毛とかさ、本当に人間なのかな。あんなにサラサラして、手触りが良さそうで、実は姉さんは海とか月からやってきた妖精とか、いや光そのものとかとにかく何て言うか声なんか楽器みたいで聞いててうっとりするし手なんかすべすべで柔らかくてさ、なんかお菓子みたいでやっぱり姉さんは人間じゃないんだ。うん、決まった。姉さんは姉さんって生き物なんだ)
(何で僕はずっとこんなことを考えているんだろう、姉さんの存在がもうなんていうか姉さんじゃん、美しいって言葉が逃げ出すくらい姉さんは姉さんなんだよ。みんなよく普通の顔して一緒にいられるよね。なんで?)
頭を抱えて一人で悩んでいると、次第に思考は飛躍していく。
(もし姉さんが僕の恋人になったら……僕が大人にならないと姉さんには釣り合わないだろうな。早く大人になりたいな。そしたら姉さんを守って、姉さんにいいところいっぱい見せて、そして、そして………)
(大人の恋人同士は一緒に寝るんだよな……)
悶々とした気分で寝室の扉を見つめる。
(一緒に寝る……まだいけるかな。5歳まではたまに一緒に寝てたし……)
ジェイドは幼い頃に母を亡くしてからしばらくは何度か不安定になって、夜になると姉に甘えていたことを思い出した。また大事な何かが寝ている間に目の前から消えてしまったらどうしよう、そんなことを本気で思っていた。
(いやいや……そんな小さい子供じゃないんだから……)
(そろそろ寝ないと明日に響くから寝ないと、眠らないと)
「眠れない」
(……顔見に行くだけ! 顔見に行くだけ!)
「僕は眠れないんだ、それを姉さんに相談しに行くんだ。それだけだ」
邪な気持ちのほうが上回り、身体が勝手に姉の寝室へと向かっていく。そっと姉の寝室の扉を開けると、すっかり眠りに落ちていたライラのしどけない姿があった。
(眠っている姉さんもかわいいなあ)
「あの、姉さん」
「どうしたの、こんな夜中に?」
声を掛けると、ライラは不機嫌に目を覚ました。
「あの……怖い夢見て……それで眠れなくて……」
適当な嘘を並べてみて、姉の様子を伺う。
「なあに、あなたいくつになったと思ってるの?」
「……8つです」
(やっぱりダメか……)
「じゃあ一人でさっさと寝なさい」
再び寝ようとしたライラにジェイドは追いすがった。
「待ってよ姉さん、本当に眠れないんだ」
(眠れないのは本当なんだから、仕方ないだろ!)
「困ったわね、しょうがないなあ。着いてきなさい」
「はい!」
夜中に突然起こされたライラはジェイドを調理場へ連れて行った。母が亡くなった後ジェイドはしばらく夜中に起きて泣いていた。それをライラがよく宥めていたため、ライラはジェイドがまだ子供なのだと思っていた。
調理場の椅子に座って待っていると、ライラがカップを2つ持ってきた。
「はい、眠れないときはこれよ」
「これは?」
温めたカップの中で白い液体が湯気と共に揺れていた。
「温めた牛乳に蜂蜜を溶かしたもの。よく眠れるわ」
「へぇ……姉さんも眠れないときがあるの?」
「今あなたに起こされているんですけど」
「……ごめんなさい」
姉の眠りを妨げたことに多少罪悪感はあったが、それよりもいたずらっぽく微笑む姉の姿を見れたことが何倍も嬉しかった。
「ところで、怖い夢見たんだって?」
「え、あ、うん」
「どんな夢?」
ジェイドの心臓が高鳴った。出任せの話をするのは苦手であった。
「え、言わなきゃダメ?」
「怖い夢はね、誰かに話すとどこかに行くのよ」
姉に促されて、思いつく限りの適当な嘘を並べてみる。
「えー……えーとね、父さんも姉さんもどこかに行っちゃって、みんないなくなってひとりぼっちになる夢……」
「何それ?」
「起きたら、何となく怖くて……」
「大丈夫よ。夢なんだから」
「うん……そうだね」
ぼんやりと姉の顔を見る。ランプに照らされた顔はほんのりと輝き、本当に世界に2人きりになったのではないかと錯覚させた。
「じゃあ、私は寝るから」
「えー、もっと一緒にいてよ」
空のカップを手に立ち上がるライラにジェイドは追いすがった。
「何言ってるの、この前は顔も見たくないとか言ってたくせに」
「あ、あれはあれ、これはこれじゃないか!」
確かにこの前はそんなことを言った気もする。しかしそれは姉の顔を見ているだけで気持ちがむずむずしてどうしようもなくなった時だった。その時は姉に対する恋心を意識していなかったが、今なら姉への愛の言葉をいくつも並べることができる。
「全く……本当に一貫性がないんだから。誰に似たのかしらね」
「何だよそれ」
「もう少し考えてから何事も喋りなさいってことよ。いつも言われてるでしょ」
「……これでも考えてるつもりなんだけどな」
父にも姉にも同じことを指摘され、ジェイドはどう気持ちを伝えればよいのかわからなくなった。
「とにかく早く寝なさい。おやすみ」
「……おやすみなさい」
これ以上の姉との接触は難しそうであった。諦めて寝室に帰ったが、やはり姉のことばかり考えてしまう。
(姉さんの寝顔見ちゃった)
(すっごいかわいかった)
(こんなにかわいいの見ちゃっていいのかな)
(もしかして、世界で一番幸せ者なのでは)
(いやいや、寝顔見ただけで何でこんなに舞い上がってるんだ……流石に気持ち悪過ぎるだろ)
(このままずっとこの気持ちはどうにもならないんだろうか)
(でも、できればずっと……このままでいたい)
(大人になったら、きっと僕は……姉さんだって……)
(いけないいけない、寝よう)
「やっぱり眠れないよ……」
心地よい夜風に抱かれながら、ジェイドは悶々とした夜を過ごすことになった。
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