一年に一度のこと

「早暉くんは広島の出身でしょう? 牡蠣は好き?」

 かわいい衣真くんの質問に、僕はうーんと困ってしまった。

 おいしい牡蠣は好きだ。おいしい牡蠣というのは、地元で親戚からもらういい牡蠣のこと。東京で食べる牡蠣は、いまいち味が劣る気がする。それは僕がちゃんとお金を出して牡蠣を食べていないからなんだろうけど……。

「ものによるかな。どうして?」

 悩んで、無難に返した。

「両親がクリスマスイブのディナーに早暉くんを招待したがってるの。そこに牡蠣が出るから」

 やっぱりそうか。失礼ながら、衣真くんのご両親は、息子の恋人との距離感がバグってる。だからイベントごとのたびに僕を招待してくれるし、僕はご両親も「息子の顔をしている衣真くん」も好きだから喜んでお邪魔させていただく。

 でもクリスマスイブは衣真くんとふたりきりで過ごしたいのが本音。うーんと眉を寄せている僕を、衣真くんが不安な目で見ているのにハッとした。

「いや! お招きは嬉しいよ。でも……クリスマスイブの夜はふたりきりがいいな、なんて……」

「両親もそう思って、ディナーが終わったら早暉くんのおうちに行きなさいって」

「エッ!?」

 そんな堂々とした、ご両親公認のお持ち帰りってあるんだ……。まあ宮澤家はみんなぽわぽわしているのでいいのかもしれない。

「牡蠣はもう買ってあるの? 親戚からおいしいのを取り寄せられるよ」

「ほんと! 母に聞いてみるね」

 スマホのトークアプリを立ち上げる衣真くんの横顔をまじまじと見る。お母さんにメッセージを送るとき、やっぱり「甘えん坊の一人息子」の顔をしている。かわいい。

 そんなわけで12月24日。僕は料理が好きなので、朝からキッチンにお邪魔して腕を振るう。普段はワンルームマンションの極狭キッチンだから、ぴかぴかのグリル付きの素敵なシステムキッチンに心が躍る。

 宮澤家のクリスマスディナーはフランス式らしい。お母さんもお父さんもフランスに留学していたからだとか。

 お母さんもお父さんもキッチンに出てきて、衣真くんも周りでちょこまかしているからシステムキッチンでも混雑してしまって、でもそんなもみくちゃが嬉しい。僕はこのひとたちが好きだなあ。

 来年もこうだろうか。それとも来年は、衣真くんは僕のところにはいなくて、こんなてんやわんやを懐かしく寂しく思い出すんだろうか。

 余計な想像をして、少し涙がにじむのをオーブンをのぞいて誤魔化した。

 さあ、ついにディナータイム、アペリティフのあとダイニングテーブルに並ぶのは、ごつごつとした殻の中に嘘のようになめらかにつややかにキャンドルのゆらめきを映して輝く生牡蠣だ。

「早暉くん、ご両親から本当にいただいたものなの? こんなタイミングで言うことじゃないけど、お金は払わなくていいの?」

 衣真くんのお母さんがやや心配ぎみに訊ねる。今日はシックな黒の立ち襟のワンピースに、大粒の雫型のカットの揺れるピアスをしている。

「僕がどれだけこちらでご馳走になっているか考えてみてくださいよ。両親にもそう話したら送ってきたんです。今日だってこれからたくさんご馳走になる気でいるんですから!」

 ちょっと冗談めかして言うとお母さんもお父さんも衣真くんも笑った。

「その代わり、春休みに衣真くんを両親に紹介する約束になってるんです」

「あら衣真くん! よかったね!」

「ご家族からお招きいただくなんて、ありがたいことだよ。早暉くん、ありがとう」

「いいえ、こちらこそ」

 衣真くんは恥ずかしくてたまらない顔で真っ赤になって、口をきゅっと結んでいる。そのプラムみたいな頬から食べちゃいたいくらいにかわいい。

 そして素敵なディナーがいよいよ始まった。つやめく生牡蠣を鷲掴むときがきたのだ。

 僕は親戚が牡蠣を養殖しているので家庭で牡蠣を食べる機会はそれなりにあったし、中学生になると生牡蠣が解禁されて嬉しかったものだが、いつも実家ではポン酢で食べていたのでレモンだけで食べるのは新鮮だった。

 僕たち4人はおいしいおいしいと言って、僕の目測で1万円はするだろうかという分量の牡蠣をぺろりと食べてしまった。その間に衣真くんが薔薇のかたちに盛り付けてくれたスモークサーモンも食べた。これでまだ前菜である。

 メインに出てまいりますのは鶏の丸焼き。これは僕が一度作ってみたくて、オーブンを借りて焼いたものである。切り分けるとき生焼けだったらとどきどきしたが、すてきなオーブンのおかげでしっかり火が通っていた。僕の家のオーブンレンジではこうはならない。素晴らしいことだ。

 僕が鶏を切り分けるとほかの3人はわっと歓声を上げて、口々に僕を褒めてくれる。僕はますますこのおうちが好きになって、また衣真くんとのお別れのことを少しだけ考えた。

 ゆったりとした食事と会話の間にワインが飛び交う。僕はワインをあまり飲まないもので味が分からないが、舌が肥えていない僕が飲むにはもったいないすてきなワインだということだけ分かる。何やら複雑で重層的な味がするけれども味わうには経験値が足りない。

「衣真くんがワインを飲んでるなんてねえ〜。ついこの間まで哺乳瓶でミルクを飲んでたのに」

「お母さん! やめてよ! 成人して何年経つと思ってるの?」

「衣真くんが成人してもうすぐ3年が経つの? 信じられない。私たちが結婚した歳と同じになるんだね」

「そんなに早くご結婚されたんですか?」

 僕は驚いて口を挟んだ。衣真くんのご両親は2人とも大学教授だから、大学の博士課程を修了してから結婚して衣真くんが生まれたのだと思っていたのだ。

「そう。修士1年で学生結婚しちゃったの。だって人文系の博士課程なんて卒業に何年かかるか分からないし、私たちとっても衣真くんに会いたかったから、博士課程修了後なんて待っていられなかった」

「修士やりながら子育てしてたんですか!?」

 僕は研究と就活の両立だけでパンクしそうなのに、研究と子育ての両立なんて人並み外れた馬力がないと無理だろう。

「私もコウくんも半年休学したけどね。私の実家がこの近くだから、小さい頃は衣真くんを預けっぱなしで悪いことをしたと思ってる」

「お母さんはいつもそう言うけど、僕ぜんぜん寂しくなかったよ」

「そっか。衣真くん。愛してる」

「ありがとう」

 僕は、ディナータイムの会話の中に「愛してる」なんて言葉がさらりと紛れこむ家庭があることにびっくりして黙っていた。これだけの愛を注がれて、衣真くんは人に分け与える愛をあふれんばかりに持っているひとになったんだろう。僕の育った家とは全然違う。急に、自分が衣真くんとそのご家族の近くにいていい人間なのか分からなくなる。

 デザートのブッシュドノエルはコーヒークリームが苦くて、お腹がいっぱいなのもあってなかなか口に入らなかった。

「お2人は、博士課程修了後にばらばらの土地でポストが見つかったらどうする予定だったんですか?」

 ケーキのスポンジをつつきながら、今の自分がこっそり気にしていることを訊く。

「私はなんとしても首都圏のポストを見つけるつもりだった。衣真くんは東京の実家にしか預けられないし」

「僕の実家も東京なんだよ。もっと町田の方だけどね。だから首都圏のポストしかありえなかった。僕は3年非常勤をやったよ。美都里さんはすぐに見つけたけどね。あの頃は経済的に厳しかった。衣真くんは小学生になったのに本もたくさんは買ってあげられなくて悪いことをした」

「いいんだよ。おばあちゃんがこっそり本をたくさん買ってくれたからね」

「まあ、そんなわけで両親に頼って子育てしてたの。習い事も両親が勝手に通わせてくれたしね。どうして? 早暉くんは就活でお悩み?」

「えっと、そうなんです」

 お母さんに言い当てられてたじろぐ。

「私はゼミの子たちを見てるから、今の時期みんな悩んでるのが分かるの」

「僕は、フルリモートできるところを優先してエントリーしてるんです。衣真くんが研究者になるなら、どんな土地でも付いて行きたいし」

「あら! よかったね衣真くん!」

「衣真くんとのことをしっかり考えてくれてありがとう」

「いえ、僕が勝手に……」

 僕は恥ずかしくなって俯いた。酔いすぎて余計なことを言ったのだ。衣真くんはまつ毛を伏せて頬を染めて何も言わない。反応がかんばしくないから不安になる。僕が勝手に先走って将来を思い描いているだけなのだ。

「ありがとう」

 衣真くんはそれだけを言った。失望を誤魔化すように食べたブッシュドノエルはやっぱりちょっと苦かった。

 おそらく牡蠣の値段以上にご馳走になって、洗い物はいいからと、衣真くんと放り出されるように家を出た。21時過ぎの微風が、ワインで火照った頬を冷ましていく。

「早暉くん、大丈夫?」

「だいぶ酔った。普段ワイン飲まないから」

 楽しい食卓に、ついついグラスを重ねてしまったのだ。

「おうちに帰ったら休んでね」

「うん」

 電車のシートに座って、衣真くんの肩に身体を預ける。片手をきゅっと恋人繋ぎにすると、もう片方の手でよしよしと頭を撫でてくれる。

「僕は衣真くんもご両親もすごく好き」

 自分が何を言っているのかいまいちわからないまま、なめらかなチョコレートみたいにつるつると言葉が滑り出てゆく。

「嬉しいな。僕も早暉くんが好き」

「うん。ずっとこのままがいいな」

「……ん」

「来年こうじゃなかったら悲しいな」

「ん。早暉くんと、一緒にいたいね」

 衣真くんの返事で、自分が結構ぎりぎりのことを言ったと気づいた。でも衣真くんはまんざらでもなくて……。

 でも、就職の話をしてしまったとき、衣真くんが目を伏せて何も言わなかったのを思い出して、すっかり自信をなくしてしまう。

 酔いを言い訳に、衣真くんの首筋にちょん、とキスをした。

「ひゃ!」

「ごめんごめん」

「もう。だめですよ」

 なんて言いながら赤い顔の衣真くん。

 ねえ、あなたにふさわしい指輪を買ったら、受け取ってくれますか。受け取ってくれないんですか。その前に、一週間は消えない印をつけさせてもらえますか。見えないところがいいと思うんだけど。



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