神聖なきらめき

 初めて衣真くんと手をつないで人通りのある道を歩く。僕はどきどきして最初はちょっと手を離しかけたけど、衣真くんがしっかり掴んで離さなかった。電車の中でも衣真くんから手を握ってきて、僕は「衣真くんってこんなに甘えてくるタイプなんだ」と嬉しさがシャンパンの泡みたいに弾けた。改札を抜けたら今度は僕から手をつないで、マンションまで歩く。

「ちょっと5分片付けの時間もらえる?」

「いいよ。急にごめんね」

 衣真くんを僕の部屋の玄関前で待たせて、急いで部屋を片付ける。来客用のクッションのホコリを取って、長く使っていなかった来客用のグラスをすすいで、少し迷ってから枕カバーを交換した。別に下心があるわけじゃないんだけど、念のため。

「お待たせしました」

「いいえ。ありがとう。お邪魔します」

「いらっしゃい」

 衣真くんが家に来てくれるのは、学部2年生の春、僕が風邪を引いたとき以来だ。あのときからあんなに焦がれていたひとが、ついに恋人として家に来てくれた……!

「綺麗に飾ってくれてるんだね。ありがとう」

「ん? ああ、薔薇?」

「そう」

 数日前にもらった9輪の薔薇は、少し花が開き気味だけどまだ綺麗に咲いてくれている。花言葉を調べたことを言うか迷って、僕への信頼を秘密のつもりで託したのだろうと思って言わなかった。

「座って。ミントティーを飲む?」

「ミントティー? 素敵な響き。いただきます」

 衣真くんはクッションに座ってもらって、水出しの紅茶をローテーブルに並べる。この夏は紅茶の水出しにハマっていて、今日はミントの香りを付けたフレーバードティーを水出ししてあった。

「めちゃくちゃに甘くして飲むのがアラビアンらしいよ」

 僕はガムシロップを4つ転がす。ひとり2つという意味である。

「ああ、留学したときにホットのミントティーを淹れてもらって飲んだよ。懐かしいな」

 ふたりでガムシロップをぐるぐるかき混ぜながら飲んで、おいしいねって顔を見合わせた隙にキスをする。甘くてミントの香りがする。衣真くんはきゅっと目を閉じている。かわいくてもう一回する。手で頬を包むと、桃みたいな産毛と伸びかけたひげが手のひらに触れる。衣真くんが男の身体を持っていることを急に思い出して、首筋の毛が逆立つくらいぞくぞくした。

 衣真くんがくるりとした目を開けて僕の目を覗く。「もうしないの?」と目で語っている。衣真くんのやわらかい手が僕の頬を包んで、小さな鼻が先に顔に触れて、それから唇がしっとり押しつけられた。ちゅ、ちゅ、と角度を変えて重ねられる。そのたびにわずかに粘膜がこすれる。軽いキスだけでこんな気持ちいいのは初めてだった。衣真くんは僕よりずっと性経験があることを思い出したけど、嫉妬より先にキスのもどかしいきもちよさに溺れた。

「きもちいいね?」

 衣真くんが優しく訊く。でも言い方は小悪魔みたいだ。清廉で、性の目つきで見ていいのかすら分からないと思っていたひとは、僕の思い込みよりずっと積極的だった。

「きもちいい」

「嬉しい」

 衣真くんの片手が、僕が床に逃した手の上に重ねられた。もう一方の手は僕の頬に添えたまま。

 もう一度粘膜が触れ合う。衣真くんの唇は少しもかさついたところがなくて、唇を見せつけるように舐めれば剥きたての桃のよう。また厚く唇を重ねられて、熱い粘膜に唇を食まれる。それだけなのに身体が小刻みに震えるほどきもちいい。

 舌はもっと熱くて、ミントの香りがして、唇の縦じわを伸ばすようにたどられるともうだめだった。


 レモンイエローのポロシャツを脱がせて、一瞬迷ってから軽く畳んで床に置く。衣真くんの服を粗末に扱っては、あとで怒られるような気がした。衣真くんは自分でデニムのハーフパンツを脱いで、くしゃくしゃのまま床に放り投げる。あ、畳まなくていいタイプのひとなんだ、と思う。今から初めて大切なひとの全部を知るのだと実感して、心がすり下ろされるような不安にたじろぐ。

「早暉くん。脱がない?」

「いま脱ぐよ」

 Tシャツを裏返しのまま床に放って、ベルトを外す手は男の欲望でいている。グレーのデニムパンツを脱いで僕たちは下着だけになった。

「衣真くん」

 名前を呼んで色白な身体に覆い被さる。シャワーを浴びたあとの肌はやわらかくてすべすべだった。僕は衣真くんの肌に夢中になって、肩に頬をすり付ける。それから肩から首筋へキスでたどっていって、首筋に鼻をうずめた。ボディソープの香りの向こうに男の身体のにおいがした。


 恥ずかしいことに泣いてしまいそうだった。好きなひとと身体をつなげることがこんなに神聖で、一瞬一瞬のきらめきを忘れたくないなんて思うことを知らなかった。

「早暉くん。きて」

「キスしよ」

「ん」

 衣真くんの身体を畳んだ姿勢で衣真くんの全部をベッドに押し付けて、唇を重ねた。何度も。全身で抱え込んで、誰にも渡さないと誓った。

「僕のきら星」

 昂りに手を添えて、少しずつ熱いナカへ進めている。快楽に押し流される前に、約束を、交わそうよ。

「衣真くん。僕だけのきら星」

「早暉くんだけの僕にして」

 近くちかく顔を寄せた僕たちだから衣真くんの目が暗がりで潤むのもよく見えて、まつ毛の先の線香花火のようなスパークが僕の目に飛び込んできそうだった。

「ぜったいに僕だけだよ!!」

 ぐ、と奥までねじ込む。衣真くんが甘い声を上げる。僕たちの熱い息と唇は、絡まりあうみたいにどちらかが結んではどちらかがほどける。僕から先に衣真くんの優しい指を求めてつなぎあう。結ばれた身体と身体はなめらかな快楽を与えあい、求めあって甘い波がはじける。

「衣真くん」

 絶頂で息もつけない衣真くんの名前をわざと呼ぶ。衣真くんの目がわずかに開いて、まつ毛の先に点々と涙の粒が光る。

「衣真くん、僕もそろそろ」

「ん。いっしょに」

 優しい手を強くつよく握り込んで、誰にも渡さない、と独占欲で塗りつぶされるほどますます昂って、衣真くんの甘い声が鼓膜から脳を突き刺して、真っ白にスパークした。

「衣真くん。すきだよ」

 ほうけた頭でまずそう思った。

「僕の早暉くん。だいすきだよ」

 ああ独占欲を抱えているのは僕だけじゃないんだって、目の前に季節外れの桜が舞うようにまぶしくて、愛してるなんて言ってしまったら軽い男だと思われるだろうかって一心で口に出すのをこらえている。

「衣真くん。綺麗なひと」

「早暉くんの方がかっこいい!」

「ぜんぜん分かってないね。あなたが世界でいちばん綺麗だってこと、ひみつにしておこうね」

「……ありがとう」

 衣真くんははにかんで目を逸らした。耳はまだ桜貝の色に染まっている。こんなことで照れちゃうなんて、今までの男は衣真くんに何を言ってきたんだろう。何も言ってこなかったんだろう。「ちょっとかわいいだけの男の子」。それくらいにしか思ってなかったんだろう。僕だけがこのひとのうつくしさを拾い上げて「あなたはうつくしい」とその魅惑的なかたちの耳に流し込んであげられるんだ。

 また「僕たちは長く一緒にいられる」という予感がした。衣真くん、いまはまだ気づいていなくていいけれど、僕があなたの最後の男になるんだよ。



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