1 誰が為の福音か

「今日、お父さんもお母さんも帰りが遅いらしいから、ご飯作っちゃうわね」


 自宅に帰り着くなり台所でエプロンを着けながら姉さんが言う。


「俺も手伝うよ」


「いいよ。ゆう君は宿題を済ませちゃいなさい」


笑顔で言う姉さん。


「……ああ、じゃあそうする」


 階段を登り自室に入る。

 十年ぶり、或いは二十年ぶり……いや、今朝ぶりか。

 兎に角、久方ぶりに見る自分の部屋は酷く生活臭の漂う雑多なものだった。


 机の上には教科書やドリルの類いが散乱しており、本棚にあるはずの漫画本などが床に散りばめられている。

 また、部屋の隅に積み上げられたゴミ袋の中には、大量のお菓子の空箱やペットボトルが詰め込まれており、ベッドの上は脱ぎ散らかした衣服が占拠している。……まるで、泥棒でも入ったかのような有様。


「これはまず片付けからだな……」


 そう思い、俺は手早く掃除を始めた。……とは言っても、元々大して広くもない部屋なので、ものの数分で綺麗になる。


「まったく昔の俺の事とはいえ、よくこんな汚し放題に出来るもんだ。

 ……まぁ、全部姉さん任せだったからな」


 俺は独りごちる。


――昔は何でも姉さんにやって貰っていた。

 掃除に洗濯、帰って来るのが遅い両親に変わっての料理、買い物、その他諸々。


 だが、流石に姉さんが上京する頃になるとそういった事は自分でするようになったが。

 だからといって、別に自立したという訳ではないのだ。

 仕方ないからやっていただけ。

 ……結局、俺は姉さんの庇護下から抜け出せなかった。

 どんなにイキがって見せたところでだ。


――コンコンッ


 不意に扉が鳴る。

 扉を開けるとそこには姉さんの姿。


「あら、ゆう君。お片付けしてたの? 偉いわね。お姉ちゃんが褒めてあげる」


 そう言いながら頭を撫でてくる彼女。

 俺はその行為に甘んじつつ、彼女に尋ねる。


「何か用?」


「うん。そろそろご飯出来るから呼ぼうと思って」


「わかった。すぐ行くよ」


「うん、待ってる」


 そう言うと、にこりと笑いながら、姉さんは階下に下りていくのだった。


――――


 今日の夕食は野菜炒めに味噌汁、それと白米。

 一般的なメニューだったが、姉さんの料理を久し振りに口に入れた俺は、思わず涙が出そうになった。

 「どうしたのゆう君?」と、姉さんは不思議そうな顔をしていたが、「なんでもない」と誤魔化した。


 食事を終え、姉さんに言われるままに風呂に入るべく、浴室に向かう。

 脱衣場で服を脱ぎ、それを籠に入れようとした時、ふと、そこにあるモノに気付いた。


 姉さんの体操服だ。


 暫しの葛藤の後、俺はそれを手に取り、短パンの股の部分に顔を埋める。

 遥か昔に、一度だけ行い、その罪悪感に打ち震えた禁断の行為。

 俺はまたそれを行おうとしている。


「……姉さん」


 俺は姉さんの名前を口にしながら、何度も匂いを嗅ぐ。

 ツンと刺激的で、甘く、脳髄を蕩けさせるような香り。……それが鼻腔を満たし、思考を麻痺させてゆく。


「姉さん、姉さん……! んっ……ふぅっ……! はぁ……っ」


 息が上がり、呼吸が荒くなる。

 快楽に身を震わせながら、一心不乱に手を動かす俺。

 当然の如く、終わりに達するまでさして時間は掛からない。


「――っ!! はぁっ……はあっ……姉さん」


 俺は虚ろな目で呟く。

 気持ち良かった、今までで一番。

 だが、それ以上に罪悪感が募る。

 俺は頭を抱えながら、その場に座り込む。


 暫くの間、そのまま呆然としていた俺だったが、いつまでもこうしている訳にはいかないと立ち上がると、体操服に着いた精液を洗面台で洗い流し、他の洗濯物と纏めて洗濯機に放り込むと、洗剤を入れスイッチを入れる。


 バシャバシャと回る水の音を聞きながら、俺は風呂場に向かい浴槽に浸かる。


「姉さん……」


 湯船の中で呟く。

 彼女の事を考えるだけで胸が締め付けられるように苦しくなった。

 きっともう、いくら生まれ変わったところで、俺の中に過去の記憶があるかぎり、二度と以前の仲の良い姉弟という関係に戻ることは叶わないだろう、と。


 俯く俺に、悪魔が優しく囁き掛ける


 でも、それでいいじゃないか。

 だって俺はこんなにも、彼女に劣情を催しているのだから。


「――ああ、そうさ。

 俺は姉さんを……」


 俺がそう一人口にすると、また下半身が熱を帯び始める。


「ははは……」


 俺は乾いた笑みを浮かべる。

 それは諦めの感情から出たものだったのか、或いは高揚によるものなのか。それは分からない。

 ただ一つ言えることがあるとするならば、今俺は、この上なく幸せだということだけだ。

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