第28話 堕天使と機械神1
ジェランドさんを抱えたまま宙に浮かぶピットナッチオは、俺たちをあざ笑うかのように見下ろしていた。
「卑怯者め、お前だって惚れた女性じゃないのかよ!」
「惚れた? 高尚なる神の眷族が愚鈍なる人間に? カカカッ、冗談も過ぎるわ! 我らの目的は機械神の創造に過ぎぬ。この小娘は利用価値があった、ただそれだけのことよ」
そう言ってグレムリンの王は、女性の首筋に禍々しい爪をくい込ませた。
「だ、ダメだ。時計を渡そう、ラ・トゥール」
「……仕方あるまい」
「本当に彼女を解放するんだろうな?」
「我らが王のお膝元で約束を
「王……やはりベルゼブブがここにいるんだな?」
「その問答は不要だ。貴様らにこの先はない。さあ、早くそれをよこせ」
ピットナッチオはラ・トゥールがもつ偽物には眼中がないのか、俺だけをじっと見つめている。やはりこの時計には、悪魔を引き寄せる何かがあるというのか。
「どうやら誤魔化すのは無理みたいだ。さあ、受け取れ」
俺は腰からチェーンを外すと、生きた時計を悪魔のもとへ放り投げた。すると相手はジェランドさんをまるで不要とばかりにあっさり手放した。慌てて受け止めようとした俺を押しのけて、オベールさんが彼女を抱きとめる。
「……息はあります」
「良かった。あなた方はカロルのそばへ」
まったく、こういう美味しいところだけ男を見せやがって。だが恋人をさらわれて魔王の城にまで来てしまうのだから、愛とは恐ろしいものだ。
「おお、鼓動を感じる! ザカリウスの心音が聞こえるぞ! これでようやくすべての時計が揃った。ようし、オーバーホーラー!
いつの間にか息を吹き返した獣型グレムリンが脇に引くと、人型種が黒塗りの木箱を抱えてやってきた。
まさかあの中には……。
開かれた蓋を覗き込む気にはなれない。だがそんなことをせずとも、悪魔は念力でもってそこに眠る人間の体を宙に持ち上げた。
「あ、ああ……師匠。ザカリウスさま……!」
俺はそれを見てぞっとした。
氷漬けの遺体。黒いマントに身を包み、長い白髪を乱れさせた細身の老人。
「悪趣味ってレベルじゃねーぞ! 人の尊厳を踏みにじりやがって!」
「父上……」
「ジェランドさん! 目を覚ましたんですね」
無事を確認できても、とても喜べる状況ではなかった。
目の前で父を殺されて、必死の思いで山頂に埋葬した遺体を、今また目の当たりにすることになろうとは、あまりにもむごい仕打ちだ。
ピットナッチオは懐から時計の束を取り出した。おそらくはオベールさんが集めて修理した、ザカリウス親方の作品群なのだろう。両の手に時計を提げた悪魔は恍惚とした表情で天を仰ぎ、腕を大きく広げて叫ぶ。
「いざ、覚醒の時は来たれり!」
すると、大広間の壁に飾られた時計たちがガタガタと震えだす。
見えないちからで浮かび上がり、老人の遺体へ次々と引き寄せられていく。
「目覚めよザカリウス、時計の神よ!」
悪魔はすべての懐中時計をひとまとめにして放り投げた。
邪悪な闇が破裂する。
光の消失ではなく、純粋なる虚無が爆発的に広がっていく。
部屋全体を飲み込んで、辺り一面が暗黒に閉ざされた。
自身が発した声すらも己の耳に届かない。
〝私の魂! 私の魂! 戻ってきた! 私の魂!〟
声が聞こえる。しわがれた老人の声だ。
〝人間は神と同等の存在になれる〟
〝神が時間を創ったように、ザカリウスは時計を作った〟
〝私こそが神だ。ザカリウスは神だ! 時計の神だ!〟
〝時計神、ザカリウスだ!!〟
激しい衝撃が身を襲い、視界を覆っていた闇が爆風とともに一気に晴れる。
呆然とたたずむ俺たちの眼前に、それは浮かんでいた。
スイッチが入るような音がして、人造の神は活動を開始する。
巨大な文字盤を後光のように背にする機械の体。内臓機関が丸見えで、噛み合った無数の歯車がゆっくりと回転し、心臓部であるテンプが高速で往復運動を繰り返す。
おじさんの修理を手伝っていた俺にはその仕組みが理解できる。機械の神は、通常の時計とまったく同じ構造で時を刻んでいた。
「これがデウス・エクス・マキナ……?」
「何よこれ……」
冗談じゃねえぞ。こんな代物が出てくるとは想像だにしなかった。
だが、こうなることは必然であった。やはり運命には逆らえなかった。
自ら神と驕り高ぶった老人は、悪魔が創りし機械神へと昇華してしまった。
「──自分を神と同等にしようとする者は、永遠に呪われる」
背後から聞き覚えのある男の声がした。
「あ、あんたはベルヒトルト!」
「拙僧も手をお貸ししましょう。そんな紛い物はいらない。神は一柱で十分だ」
「いったいどういうつもりだ。仲間割れでもしてんのか?」
「自分は唯一の神しか認めない! ベルゼブブさましか認めない!」
「……よくわかんねえけど、敵の敵は味方だ」
「来るぞ!」
ラ・トゥールの叫びとともに時計神が降り立った。重量に耐えきれず、床が悲鳴を上げて砕け散る。
おいおい、ここは二階だぞ。下が抜けたらみんな落っこちてしまう。
「カロル、ふたりを任せたぞ!」
「わかった。気をつけて……」
作り物とはいえ、神を相手にしながら非戦闘員をかばう余裕などさすがにない。
「フハハハッ! 拙僧の信仰心をここにお見せしましょう。見守っていてください、ベルゼブブさま!」
大司教のワイルドハントは飛び上がり、両腕を広げて高らかに笑い声をあげる。
どう見ても悪者なんだが、本当に大丈夫なのか。まあ、人のことは言えないけど。一緒に戦ってくれると言うのなら、素直に感謝するとしよう。
機械が相手ならやはり雷か。真っ先にヨハン・シュトラウス二世の『雷鳴と稲妻』が思いついた。恐ろしさよりも楽しさを連想する曲であり、運動会で使われることもある。記憶から楽譜を引き出すと同時に、小学生のころの情景が瞬時に蘇ってきた。
共に演奏したくて吹奏楽部へと入ったのに、兄さんの体調は入れ替わるように悪化していき、結局、兄弟で肩を並べる夢は叶わなかった。あの日、家族に囲まれながら俺の演奏を聞いていた兄さんは、ただ笑顔を浮かべていたのを思い出す。
……急に手が止まってしまった。想い出が脳内を満たし、音楽に集中ができない。
「時計のロボまで出てきたぞ! どうするんだチュン二郎、早く!」
ラ・トゥールの声にハッとする。さいわいベルヒトルトが室内に呼び起こした嵐により、雑魚は壁際へと追いやられた。
しかし巨大な時計の神は針を高速で動かし始め、何かを仕掛けようとしている。
これ以上、迷ってる暇はない。雷、雷……いくつか候補はあるが、正直どれも俺の好みではない。
ふとベートヴェンの『田園』が思い浮かぶも、あれはいささかおとなしい。牧歌的で戦いの曲としてはふさわしくないだろう。
〝時よ回れ、時よ回れ。あの輝かしい日々よ、再びわがもとへ……〟
ああ──
どんな
吹き荒れる人工的な嵐にかき消され、ラ・トゥールの声が届かない。チュー太郎も何かを訴えているが、もう俺の耳に聞こえる音はなかった。
機械神の魔法、いや、科学のちからが完成した。辺り一面に数字を刻んだ光が映し出され、体が包み込まれる。強烈な爆発とともに周囲が白く崩壊していく。
俺はまだこんなところで終わるつもりはない。
魔王と会って……魔王と会って……どうする気だったんだ?
親を恨み、神を呪い、たどり着いた先がこんな結末だというのか。
俺はいったいどこに向かっていた。人生の歯車はいつ狂った。
ごめん兄さん、やっぱり俺にはあの約束を守れそうにない。
ザカリウスの放った神力の直撃を食らって、俺の意識は一瞬でかき消えた。
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