ふすま

日向寺皐月

ふすま

 伯父さんが死んだ。くも膜下出血らしい。元々血圧が高かったらしいので、それ程驚きはしない。とは言え、もう何年も会っていないからか、妙に実感が湧かなかった。

 取り敢えず家族で暇を持て余しているのは、腐れ大学生である僕だけ。そして叔母さんが一人だけになるので、色々と手が必要になる。と言う事で、電車に一時間程揺られて掛川までやって来た。田舎は涼しいなんて思って居たが、寧ろ逆だ。暑い。兎に角暑い。

「あら、久し振りねぇ」

 日陰に居ながらも吹き出す汗を拭っていると、叔母さんがそう言って現れた。本当に久し振りだ。最後に会ったのが……確か中学生の頃、親戚の誰かの葬式だ。

「この度は御愁傷様でした」

「あら良いのよ。あの人も最後に大好きなお酒で死んだのだから。本望よ、きっと」

 叔母さんは笑ってそう言うが、その目はまだほんの少し腫れていた。それはそうだろう。あんなにも仲睦まじい夫婦だったのだから。

「取り敢えず、こんな所に居ても暑いだけだから、行きましょうか」

 そう言い、叔母さんは駅前に停めた軽自動車に向かった。

「昔は夏休みなると、毎年ウチに泊まりに来てたわね。本当、懐かしいわ」

「小学生の頃ですよね」

「そうそう。確か……五年生の頃以来よね」

 伯父さんの家に向かう道中、そんな会話になる。確かに夏休みの思い出は、この掛川ばかりだ。虫を取り、山を駆け回り……

 その時ふと、伯父さんの事を思い出した。だがその記憶の伯父さんは、何故だか怖い顔をしていて。しかし怒られた記憶は無い。一体……

「さて、着いたわよ。久し振りの我が家へようこそ!」

 山際にある、大きな日本家屋。それが伯父さんの家だ。築百年近くと聞いている。それを結婚してから買ったらしい。

 玄関を開けると、木の匂いが僕を包む。ほんの少し独特な、古い家の木の匂い。意外と好きかも知れない。荷物を車から下ろして玄関を進むと、その先にある部屋を叔母さんが開けてくれた。

「取り敢えず、あの人に挨拶ね」

 その部屋には、伯父さんが居た。布団に寝かされて、既に死化粧をされている。手を合わせると、伯父さんが死んだと言う事がじわじわと実感が湧いて来る。

 叔母さん曰く、最後に会ったのは小五の頃なので、もう十年近くなるだろうか。随分と会って居なかったからか、随分と老け込んでしまった様に思える。と、その時。ふと思う。そう言えば、何故伯父さんの家に来なくなったのだろうか。

 中学になってからは、部活で忙しくなったのだ。しかし、小六でここに来ていない。それだけの事なのだが、何故だか引っ掛かる。そして思い出そうとしても、記憶に靄が掛かった様な感じがするのだ。

 とは言え。悩んでいても仕方無い。僕は叔母さんの手伝いをしなければならないのだ。そう思い直し、伯父さんにもう一度だけ頭を下げて後にした。


 それから後は、かなり忙しかった。続々と集まる親戚や、生前伯父さんと仲の良かった人達が挙って訪れたのだ。伯父さんはかなり顔が広い人だったらしく、本当に色んな人がやって来た。そして次に坊さんが来て、通夜が始まる。それが終わると、集まった人達で宴会に。

 なんだかんだでやっと落ち着いたのは、日付が変わって暫くしてからだった。

「ありがとうね。私一人だったら、てんてこ舞いで大変だったわ」

「いえいえ。こんな事で良ければ」

 死屍累々……と言うか、酔っ払い達がそこらで寝ている中、叔母さんと一息付く。エアコンの風が少し肌寒く感じるので、どうやら外はそれなりに涼しいのだろう。

「そうだ。貴方の寝る場所を探さなきゃね。でも、結構埋まってしまったし……」

 確かに、集まった人達の殆どが宴会をして寝てしまった。幾らこの家が大きくても、こんなに人が居たらあっさり埋まってしまう。

「そうねぇ……うーん……」

 叔母さんに連れられて、家の縁側を歩く。月明かりが青白く廊下を照らし、外の森は黒々と茂る。そうだ。確か、昔泊まる時によく使って居た部屋がある筈だ。

 叔母さんにそれを伝えると、ほんの少し難しい顔をする。だが、多分空いてる部屋はそこ位だろう。そう言うと、叔母さんは更に眉間に皺を寄せた。

「あの部屋ねぇ……」

 真っ直ぐな廊下の右手にある砂摺りの壁。その突き当りを曲った所に、障子がある。そう、この部屋だ。僕はそう思い出し、障子を開ける。と、中からプンと日本酒の匂いがした。

「……あの人が倒れていたの、この部屋なの。掃除はしたのだけど……匂いは染み付いてしまったみたいね」

 電気をつけると、懐かしい部屋が現れた。四畳半の四隅が障子と襖に覆われた角部屋で、その襖には見後な竹藪と虎が描かれている。

 しかしこの内の一つの襖は、実は何の意味も無い襖なのだ。そんな事を思い出しながら、その襖を開ける。そこには、先程廊下から見えた砂摺りの壁があるだけ。そう、この襖は壁に付けられているのだ。

「あの人、お塩をツマミにここでこっそり飲んで居たのよ。相当苦しかったのね。私が来た時には、何方も散らばっていたのよ」

 やっぱりこの部屋はやめておきましょう。叔母さんはそう言ったが、僕は懐かしさの方が勝った。なので無理を言って、ここに布団を敷いてしまった。


 今思えば、"呼ばれた"のかも知れない。


 布団で横になると、何と無く昔の事を思い出す。昔はこうして横になりながら、持ち込んだ漫画や小説を読んでいた。いやはや、本当に懐かしい。

 と、何処からか何かが擦れる音がする。最初は風が強いからかと思ったが、それなら硝子戸が揺れる音がする筈だ。

 僕は身体を起こし、耳を澄ました。恐怖より興味が勝ったのだ。だが暫くすると、その擦れる音は聞こえなくなる。次に訪れたのは、怖いくらいの静寂だった。

 部屋を見渡す。障子が一組と襖が三組ある。そしてその襖の内の一組、障子から見て右手にあるのが例の壁にある襖だ。と、再び音がし始める。何かが手で襖を擦っている様な、不定期で気になる様な音。そしてそれは矢張り、あの例の襖からしていた。

 ゆっくりと手を伸ばし、その襖を開ける。砂摺りの壁がある筈のそこには、もう一つ部屋があった。

 真っ暗なその部屋を、スマホのライト機能で照らす。同じ様な四畳半で、同じ様に四方を襖で覆っている。ヒンヤリとした空気は、こんな空間を見付けた恐怖と相まって背筋を凍り付かせた。だがしかし、何故だか見覚えがある気がする。

 恐る恐る、部屋に一歩踏み出した。真っ暗な闇が身体に纏わり付く。そうだ。僕は昔、この部屋に入ったのだ。それと同時に、僕は全て思い出す。小五の時に、何があったのか。




 その夜は、何時もの様にこの部屋で寝ていた。矢張り同じ様に、何処からか何かを擦る音がする。そして、この部屋を見付けたのだ。

 あの時は怖いもの知らずだった僕は、そのままずんずんと奥まで進む。眼の前の襖を開けると、同じ様な部屋が出て来る。また開けると、また同じ四畳半が。ほんの少しだけあった恐怖も徐々に薄まり、この四畳半が何処まで続くのかと言う興味が勝って来る。

 だが、それも唐突に終わった。何枚目かの襖を開くと、そこは森の中だった。真っ暗な木々の中、轟轟と吹く風の音が何かの唸り声に聞こえ、思わず怖くなって来た。と。

「……ぼうや」

 そんな声が、風に乗って聞こえて来る。辺りをキョロキョロ見渡すと、森の奥に灯りがキラキラと見えた。

「ぼうや、こっちだよ。ぼうや。おいで」

 そこから僕を呼ぶ声がする。何だかそっちに行かなければいけない気がして、ふらふらと歩き出す。が、しかし。その直後、肩を誰かに掴まれた。

「こらっ!何してる!!」

 ビックリして振り向くと、そこに居たのは伯父さんだった。見た事が無い程怖い顔をして、此方を見ている。

「お、伯父さ――」

 そう言い掛けた僕の口を塞ぎ、伯父さんは僕を抱えて入って来た襖に戻る。

「待てぇ……ぼうや置いてけぇ……こっちだよぉ……こっちだよぉ……!」

 そんな声が、走る伯父さんの後ろからする。それは段々と近付き、後ろから光が伯父さんを照らす。

「怖くない怖くない……大丈夫だよぉ……ほぅら、おいでぇ……!」

 その声が耳元で聞こえた瞬間、伯父さんと僕は最初の部屋に帰って来た。そして伯父さんは直ぐに振り返り、襖をピシャリと閉める。ドンッと何かがぶつかる音がして、一瞬襖が此方に膨らんだ。だが、伯父さんが何かをブツブツ呟くと、襖の膨らみが無くなる。そして静寂が訪れた。

「……ふぅ……間に合って良かった……」

 汗だくの伯父さんは汗を拭い、僕の方を見る。そして頭に拳をコツンとぶつけて、しゃがんで目線を合わせてくれた。

「良いかい。もしまた何か音がしても、決してこの襖を開けてはいけないよ」

「伯父さん、あれは何……?あの部屋は……」

 僕が言うと、伯父さんはほんの少し眉を潜めて……溜息混じりに答えてくれる。

「……まぁ、呼ばれた以上はまた呼ばれるかも知れないしな。あれは、私は「伏魔」と呼んでいる」

「襖……ってこれ?」

 襖を指差すと、伯父さんは首を横に振る。

「そうだけど字が違うかな。伏せる魔と書いて伏魔。伏魔殿と同じ字だ。あの部屋自体が恐らく「魔」なんだ」

 そう言い、伯父さんは襖をゆっくりと開く。見慣れた砂摺りの壁がそこにはあった。

「何が出て来るか、そしてどうしてそんな場所があるか、未だに分からない。だけど、どれもこれも"良くないもの"なのは分かっているんだ。何回か襲われたしね」

 伯父さんは笑う。怖い顔を見た後だったからか、その表情でホッとする。途端に、あの声や光が恐ろしく思えた。

「兎に角、絶対にこの襖の先に行かない事。それから、呼ぶ声がしても返事をしてはいけない。分かったか?」

 僕が頷くと、伯父さんは笑って頭を撫でてくれる。その手が暖かくて、先程の恐怖が吹き飛んだ。




 思い出した。それで、この家が怖くなって次の年から来なくなったのだ。そして、伯父さんの言葉を再び思い出す。この襖の先に行かない事。だが、僕は踏み出してしまった。しまった。

 慌てて帰ろうと振り返る。だが、入って来た襖はいつの間にか閉ざされて、こじ開けようとしても開かない。

 と、その時。背後の襖から何か音がする。誰かが襖を開けようとしている、そんな音だ。ヒヤリとした空気が身体を包み、脳内に警告音が鳴り響く。ヤバい。これはヤバいと。

「ぼうや……開けておくれ……ぼうや……」

 声が、した。背後の襖の先から、僕を呼ぶ声が。

「久し振りだねぇ、ぼうや……会いに来てくれたのだろう?開けておくれよぉ……」

 その声は、あの日に耳元で聞こえたそれと同じ。答えてはいけない。それが伯父さんとの約束だ。だから無視をする。無視をして、襖を開ける為に体当たりをした。

「大丈夫だよぉ……怖がらないでおくれ……」

 二回、三回。襖に肩をぶつけるが、ビクともしない。まるで何か壁でもあるかのように。身体をぶつける度に、焦りが生まれる。"声"はどうやら此方には来れないらしい。が、何時襖を突き破って来るか分からないからだ。

「ほぅら、開けておくれ……開けて……開けてぇ……!」

「大丈夫か!?」

 突然、そんな聞き慣れた声が眼の前の襖の向こうから響く。

「おい、中に居るんだな?出られないんだな!?待ってろ!今開けてやる!」

「伯父さん!!」

 そう言って、しまったと思った。そうだ。伯父さんは死んだんだ。その葬式の為にここに来ていて――

 それと同時に、後ろで襖が開いた音がした。土や草の匂いに混じり、生温くジメッとした空気が背中を伝う。不味い。不味い。返事をしてしまった。

 不意に訪れる静寂。僕は怖くなり、身体が動か無い。そんな僕の耳元に、囁く様な声が。

「ありがとう、ぼうや。返事をしてくれたねぇ……」

 手が、肩に触れる。まるで木の枝に無理矢理皮を貼った様な、人のそれとは明らかに違う手が。嫌に冷たく硬いそれは、僕の肩を握る様に掴む。そして、かなりの力で僕を引っ張ろうとして来た。

「ほぅら……怖く無い怖く無い……連れて行ってあげるからねぇ……!」

 足を踏ん張るが、徐々に徐々に引き摺り込まれる。畳で足が滑り、全く抵抗出来ない。

「後少し……後少し……」

 生温い空気が近付き、否が応でも後ろの襖が近い事が分かる。嫌だ、嫌だ……!

 その瞬間。僕の肩から手が離れた。そして、身体が突き飛ばされる。

「お前……!また邪魔をする!口惜しや口惜しや……!!」

 入って来た襖をぶつかる直前、僕は見た。あの日に見た謎の光に照らされた、伯父さんの後ろ姿を。その光の先に居る"何か"を抑え込み、僕を一瞬だけ見た伯父さんを。

「伯父さん!!」

 僕が叫ぶが早いか、身体が襖にぶつかって襖ごと寝ていた部屋に倒れ込んだ。僕は倒れた襖の上を転がり、反対の襖に激突。縁に頭を強打した。

「痛ッたぁ……!!」

「だ、大丈夫かい!?」

 凄い音がしたのか、寝ていた人達がこの部屋に集まって来る。部屋に電気が付くと、もう砂摺りの壁に戻っていた。

「あらあら、襖が外れちゃったのね……大丈夫?」

「あ、え、はい……何とか……」

 心配そうな叔母さん。痛む頭を擦りながら起き上がる。と、僕は見てしまった。外れた襖の裏側、つまり砂摺りの壁側の方の上張りに、大量に貼られた御札を。そしてそのどれもが、まるで剥がされる直前の様に捲れていたのを。


 葬式から数日後。叔母さんから、あの家を売り払う事にしたと言う電話があった。何でも、叔母さん一人では広過ぎるかららしい。確かにあの家は大きいから、その判断は間違いじゃあ無いと思う。

 そして、あの襖だが……結局取り外したまま、売りに出されるらしい。僕が突き破ってしまった上に、縁が折れていたそうだ。

 結局、あの空間……伯父さんが言う所の「伏魔」が何だったのかは解らずじまいだった。強いて言うなら伯父さんは死ぬ直前、あの部屋で塩をツマミに飲んでいた訳じゃあ無く、多分だけれど除霊か何かをしようとしたと言う事だ。そして、失敗してしまった。

 けれど。伯父さんはあの家を、叔母さんを守れたのだろう。そう考えると、あの家を売るのは何だか少し淋しい気がする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ふすま 日向寺皐月 @S_Hyugaji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ