第2話「練習ではなく、これが現実」
「来るな!」
子どもが道路を横断する前に、足を止めたかった。
魔法で対処するのが魔女を目指す者として、相応しい行動であることは間違いない。
でも、俺は咄嗟に声を出してしまった。
魔法ではなく、自分の声を使ったことが、悲惨な事故を招いてしまった。
「っ」
一瞬、時が止まったような感覚。
目に映る、耳に届く、すべての光景と音が、街の平穏な空気を一気に崩しにかかる。
「なんの騒ぎ!?」
「事故か!?」
魔女の恰好を珍しいと好奇心を弾ませていた子どもが道を横断する際に、勢いも速度もある馬車に轢かれた。
轢かれたなんて生易しい言葉では済まない。
体重の軽い子どもは馬車の勢いに吹き飛ばされ、地面に子どもの体が落下したときの音と悲惨さに言葉を失う。
「あれは、もう助からないだろ……」
「酷い事故だな……」
母親の泣き叫ぶ声が聞こえる。
周囲にいる人たちは、他人事のように事件の悲痛さについて語っていく。
(なんのために女装魔法使いを貫いてきたんだよ……)
目の前で、魔法の力を必要としている人に手を差し伸べるため。
真っ先に優先すべきは、苦しんでいる人を魔法の力で助けること。
急いでノルカの横をすり抜け、俺は苦しんでいる客の元へと駆けつける。
「アンジェ……っ」
ノルカに名前を呼ばれたような気もするけど、今はそれを気にかけている暇はない。
子どもに突っ込んでいった馬も落ち着きがないように見えるが、子どもを移動させている時間すら惜しい状況では
「魔女様っ……」
母親から預かった子どもを横たわらせ、頸動脈に指を当てて脈拍を確認する。
「助けてください! お願いします! 魔女様っ」
次に口元、鼻らへんに耳を近づけて呼吸を確認する。
母親だけでなく、俺の服も手も顔も子どもの血で赤く染まっていく。
これだけの量の血液が流れ出てくる状況では、脈も確認できずに呼吸も回復しない。
(練習ではやったことないけど……)
魔法で瀕死の人間を助ける練習はしたことがあっても、瀕死の人間を助けたことはない。
これは練習ではなく、本番。
自分の魔法が失敗したら、この子の命は助からない。
(まだ大丈夫だ……まだ助かる可能性はある……)
魔法を発動させるのに、特別な詠唱は必要ない。
魔法を発動させるのに大事なのは想像力、創造力、妄想力、願う力。
(生きろ……生きろ……生きろ……!)
死んだ人間を生き返らせることはできない。
けれど、魔法が発動しているということは、この子の命が助かる可能性があるということ。
魔法の力で、救える命があるということ。
必死に祈りを込めて、子どもの意識が魔法の力で回復することを信じた。
そのときだった。
「ぁ……マ、マ……?」
意識が回復するだけでなく、言葉を発することができるくらい子どもが回復したことに驚いた。
これが魔法の力と言われれば、それまで。
でも、魔法が起こす奇跡を目の当たりにした自分の目元にはほんの少し涙が滲み始めていた。
(街と衣服を綺麗にしないと……)
血が広範囲に飛び散ったが、『悲惨な光景を見せたくない』という俺の願いは魔法が叶えてくれた。
子どもの視界に入るよりも早く、子どもの体から溢れ出た衣服や体に付着した血液は魔法の力で綺麗さっぱり消え去った。
(本当は、事故が起きる前に魔法で対処しなきゃいけなかった……)
魔法で、事故の発生を止めることができなかった。
結果的に、子どもが救われたから良かったでは済まされない。
子どもの命が危険に晒される前に、なんとかすることこそが魔女に与えられた使命。
(学園の外では、起こる出来事すべてが現実……)
子どもの命が救われたことは事実。
でも、こうなる前に何か行動を起こせなかった自分に対して、悔しさや情けなさが生まれてくるのも本当のことだった。
「さすがは魔女様!」
「素晴らしい魔法でした!」
街の人たちから送られる賛辞の数々。
この言葉を受け取る価値が、自分にはあるのか。
魔女を目指しておきながら、事故を未然に防ぐことができなかった自分を素直に褒めることはできない。
「ご協力感謝いたします」
駆けつけた警察官が、俺とノルカに向かって律儀に敬礼をしてくれた。
街の人たちは子どもを轢き殺しかけた御者に鋭い視線を向けながら、御者が連行されていく様子を見守る。
「男が魔法で治療なんて大丈夫なのか?」
これで元の平穏な街が戻ってくると安堵すると、その隙を狙ってきたかのように次の問題が発生した。
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