夕陽になったらバイバイを

筒木きつつき

夕陽になったらバイバイ

 校舎を走る。

 駆け抜ける廊下にはほとんど人はいない。所々の教室から吹奏楽部の演奏する楽器の音が聞こえるばかりだ。

 階段を駆け上がる。

 冬場だというのに体から汗が流れ出ていて、体も熱くなっている。息が乱れて呼吸するのも苦しい。それでも俺は走るのをやめない。

 俺は校舎四階の一番奥、誰にも使われていない教室に駆け込んだ。


「日和! どういうことだよ! 今から死ぬっていうこのメール!」


 俺、影山光騎は幼馴染の桂日和に自信のスマホに送られてきたメールを見せつけながら問いかけた。


「そのままの意味だよ。私は今から死ぬの。それだけ」


 いつもと変わらない様子でそう答える日和に、心配よりも先に怒りを感じずにはいられなかった。


「なんでだよ、意味わかんねぇよ。急に死ぬなんて言われて許すわけないだろ」


「じゃあ事前に伝えてたら文句言わずに死なせてくれた?」


「いや止めるけどさ」


 そりゃそうだ。幼馴染が死ぬと言っているのにそれを止めないのは人間性を疑うレベルだ。


「でしょ、だから言わなかった」


 日和は黒い髪を艶やかに輝かせながらポニーテールを揺らし、腰の後ろで手を組みながら教室の中をぶらぶらと歩きながらそう言った。


「どうしていきなり死ぬんだよ。自殺とか絶対許さないからな」


「自殺? ないない自分から死ぬわけないじゃん。生きてるの面白いもん」


 俺の真剣な質問に笑いながら答える日和との空気が風邪を引きそうなほど温度差があった。


「私ね、『時限型肥大化症候群』っていう病気なんだ」


 机の上にひょいっと座り、日和はさも当然な顔をしながら俺にそう告げた。


「なんだよ、それ。意味わかんねぇよ」


「意味わからなくて当然だよ。私って最近知ったんだし。ひどいよね親も。生まれた時から知ってたなら教えろっての」


 日和は笑いながら言っている、目は笑っていなかった。むしろ悲しんでいるように思えた。


「なんなんだよその病気」


 聞いたことも見たこともない病名を言われてもいまいちピンとこない。


「この病気はね、心臓にできたしこりがどんどん肥大化していって、次第には心肺停止になって死亡する病だよ。世界でも前例が少ないから知らなくて当然だよ」


 突然そんな病気を教えられても俺はどうすることもできない。

 俺は日和が座った机の隣の椅子に腰を掛けると、大きなため息を吐いた。


「そんなため息つかないでよ。ちゃんと別れの挨拶を言うために呼び出したんだから」


「俺は、俺はお前に死んでほしくない。まだやり残したこともあるんだよ」


 俺はまだ、日和に気持ちを伝えられてねぇ。



「光騎、いつも私のわがまま聞いてくれてありがとう。嬉しかったよ」


 日和は窓の外を見ながら俺に言った。

 窓を見ていると、風が入り込みカーテンが揺れる。その隙間からは、よく一緒に見ていた夕陽が空を紅く染めていた。


「昔はこの夕日見ながら一緒に帰ったよね。夕陽に見とれてたまに門限破っちゃって怒られたりしてさ」


「懐かしいな。あの時はすごく楽しかった」


「なんだよぉ。今は楽しくないみたいじゃんかよ」


 肘でグイグイと押して笑おうとしている日和の目には涙があった。


「じゃあこれだけ渡して先にいくよ」


 日和は俺に何やら手紙のようなものを渡すと窓に向かってかけていく。


「日和、ばか! やめろ!」


 机を押しのけ急いで窓へと向かうが追い付かない。


「夕陽になったらばいばいしなきゃだからさ」


 彼女は俺にそう言い残し、あと数歩のところで窓から落ちていった。


 階段を駆け下りた。

 目から流れ出る涙のせいで視界がぼやけているのなんて気にせずに。

 校舎の外まで走った。

 ただ彼女の元にたどり着きたいという思いだけで死に物狂いで走った。

 たどり着いたころにはすでに人だかりができたいた。

 周りの人間をはねのけて日和の元へ駆け込んだ。

 彼女は笑っていた。笑顔で目をつむり、ただ天を仰ぐように固まっていた。もう動かない。

 俺は周りの目など気にせずにただ泣き続けた。日和を救えなかった自分を嘆いた。


 俺が家に返れたのは日和が飛び降りてから五時間後ほどだった。警察からの事情聴取を受け、ようやく解放されたところだった。

 事情聴取の疲れと、幼馴染である日和を失ったことによる消失感で俺はベッドに倒れこんだきり起き上がれずにいた。


「そうだ。あの時の手紙」


 俺はポケットから、死ぬ前に日和が俺に託した手紙を取り出した。

 あまりの出来事に完全に存在を忘れていた。

ポケットから出した手紙はクシャクシャになっていた。

そんな手紙をゆっくりと開けて、本文に目を通す。


『親愛なる人光騎へ

 こんな形で命を捨ててしまってごめんなさい。生きているのがもう苦しくて自ら命を絶ってしまいました。私はずっと昔から光騎のことが好きでした。大好きでした。だから小さいときのように、ずっと一緒にいられると思っていました。

でも、高校に入ってからは違いました。光騎は部活が忙しくなってなかなか会えなくなりました。結構寂しかった。

そんなときから私へのいじめが始まりました。最初は体を通りすがりにぶつけられるくらいでしたが、だんだんと物を隠されたり、変な噂を立てられたりしました。辛かった。

誰にも相談できずにいました。光騎に迷惑をかけたくないから光騎にも言えませんでした。もう我慢できなくなってしまったんです。ごめんなさい。

病気の話は嘘だから大丈夫です。でも光騎優しくてバカだから信じちゃうんだろうなぁ。騙されないようにしなきゃだめだよ。

夕陽を見たと時に思い出してくれたら嬉しいな

愛してるよ、光騎。

あなたの幼馴染の日和より』


俺はそれを読み終えたとき、涙と怒りが止まらなかった。いじめをしていた奴らにではない。それに気が付いてあげられなかった自分に対しての怒りだった。

もう何も考えたくない。心が空っぽになってしまったようだ。目頭が熱い、胸が苦しい。

俺は夜空を見て、夕陽が恋しくなった。

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夕陽になったらバイバイを 筒木きつつき @ryunesu

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