第79話 悲劇の少女

「はぁ……はぁ……はぁ……」


 逃げないと。


 大樹たいじゅの裏へと走ってバンズおじさんの家に逃げ込む。


 朽ちた台所で息を殺す。何度目を拭っても涙が溢れ出して来た。


 なんで……? 私達が何をしたって言うの……?


 外から翼の鳴る音が聞こえて心臓が止まりそうになった。


 しばらく耐えていると、翼の音が遠くなっていく。ゆっくりとドアを開け、周囲を確認してから外へと出た。



 空からは見えづらい路地裏を走って家へと向かう。


 お母さんの所へ。お母さんまで……死んじゃう。


 お父さん、みたいに……。



 燃え尽きる瞬間のお父さんが頭から離れない。苦しそうな顔が、離れない。あんなに優しい顔だったのに。その全てが今の瞬間で記憶から消されてしまったみたいに……。



 ダメだ。弱気になるのは逃げてからにしろ。


 頬を叩いて自分を奮い立たせる。



「今はお母さんを連れて逃げる方が先だ」


 ウチの家は外敵には分かりにくい場所にある。まだ大丈夫。落ち着きなさい。ドロシー。



 自分に言い聞かせながら走って。



 走って。



 走って。



 自分の家が目に入る。茂みに隠れて辺りを見渡す。誰もいないことを確認してから急いで扉へ駆け寄った。




「お母さん!!」




「あら。ふふっ。お帰りなさい」


 


 聞こえる「お帰りなさい」の声。



 だけど、それはいつもの声じゃなかった。



「だ、誰!?」



「あら。随分可愛い反応するのね? もっと凶暴な種だと思っていたのに」



 そこにいたのは、知らない女の人だった。




 銀髪の髪に褐色の肌。本で見たことのあるダークエルフの、女の人。



 その人が、テーブルに座って微笑んでいた。その人は、私の顔を見て上品な笑みを浮かべた。それがこの状況と不釣り合いすぎて、気味が悪い。



「自己紹介。私は魔王様の配下。フィリア・・・・と言うの」



「あ、アイツの……配下!?」



 急いで部屋を見回す。荒れた形跡の無い部屋に、支度されたまま放置されてる料理。でも、肝心な人が見当たらない。



 いない。お母さんがいない。



「お母さんを……どこにやった!?」



「母親? これのこと?」



 フィリアが何かを投げる。ドスっと床に転がる何か。それは、私の足元に転がり、床を赤く濡らした。



「う、ウソ……」



 それは、血に染まった右手だった。




「ウソじゃないわよぉ? 魔王さまから貴方以外は要らない・・・・と言われたの。ごめんなさいね? 左手しか残して挙げられなくて。ふふ」



 嘘だ。



「やっぱりゲイル族の力は強いわね。私も散々兵士を殺したけど? ここまで激しく抵抗したのは初めてだったわ」



 嘘だ。



 信じたくない。わ、私……家を飛び出す時お母さんに酷い事言って……。



 恐る恐る左手に手が触れる。まだ柔らかい手。子供の頃から知っているお母さんの感触が、嫌でもお母さんの手だということを告げていた。



「あ、あ、ああああああぁぁぁぁ……!!」



 何も考えられない。なんで? なんでお父さんもお母さんもこんな目に……私達はもう、滅ぶのを待つだけだったはずなのに……なんで……こんな酷いことするの!!



「あら? 泣いちゃったの?」



「……っ!?」



 咄嗟に台所にあった包丁を掴みフィオナに飛び掛かる。体中が熱くなって何も考えられない。



「殺してやる!!」



 包丁を振り下ろすと、勢いよく女の肩に突き刺さった。



「……痛ったいわねぇ!!」



 女が私の頬を叩く。あまりの力に体が吹き飛び、壁に叩き付けられてしまう。



「あぅっ!?」



 ガラガラと音を立てて崩れる。全身が傷まみれになって痛い、痛い、痛い……。



 痛みに全身が支配されて一気に冷静になってしまう。



「ほら立ちなさい。続きをしましょうよ? 骨を折るくらいなら魔王様も許してくれそうだし」



「おかあさん……うぅ……」



「はぁ? 何アンタ? 赤い瞳の割にそこまでねぇ……あの母親みたいに抵抗するかと期待してたのにぃ。残念」



 側から声が聞こえる。勝てない……近くのモンスターくらいなら倒せるのに、この女は全然強さが違う。一撃でそれが分かってしまった。


 に、逃げないと……。


 でも、逃げなきゃいけないと分かっているのに、力が入らない。


 その時。


 ガチャリという音と共に、フィリアという女の声が引き締まった。



「魔王様。目的の娘を捕らえました」



「母親の練度は?」


「はっ。国家騎士相当の手練れだったかと」


「なるほど。そこの娘は?」


「母親には遠く及びませんが既に能力は開花しております」


「それは手間が省けたな。移動魔法ブリンクの準備をせよ。帰還する」


「承知しました」


 フィリアが家を出て行く。私の側に立った魔王は冷たく言い放った。



「立て」



「……うぅ……お父さん……」

 


「愚かな娘だ」



「かは……っ」



 首を掴まれ持ち上げられる。息が出来なくて苦しくて、涙が止まらない。


「力はあっても意思は弱い。ダメだな。全くダメだ」


「あ……うっ……」


「だが、むしろ器の製造にはその方が都合が良い。原初のアミュレット無効化の為のな」


「い、嫌……」


 魔王が私の顔を引き寄せる。恐ろしく冷酷な瞳が私を覗き込む。


「そう抵抗するでない。貴様はこれから死ぬまで我が城に住まうのだ。抵抗すれば苦しみが長引くだけだぞ?」


 魔王の右手に力が込もる。苦しさが増し、意識が飛び飛びになる。


「あ……ぐ……」


「完成まで飼ってやろう。決して壊さぬように。くく。それが幸福かは知らぬが」



 お父さん。お母さん……誰か……。



 助けて。




―――――――――――

 あとがき。


 囚われたドロシーの記憶。次回、この記憶を見たレウスは……?

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