第十話――故郷



 店の弁償にひっそりと眼鏡の弁償も混ぜられることを知る由も無いカガラ。彼は天界を飛び回り天使内での問題解決に勤しむ比翼体の隊長である。天界の治安維持が忙しすぎて魂の回収の仕事もほとんど回されることはない。


 レストランから風よりも早く飛び立ったカガラは現在、巷で噂となっている暴れ者バディのダイスケとキョウヘイを追っていた。


「くっそアイツら、デブの癖して逃げ足がはえぇったらありゃしねぇ」


 さっきは二人の罠にまんまと嵌められてレストランにつっこんでしまった。また仕事を増やした。明日も残業だ……。そしてアイツらも見失った。町を飛び回ってはみるが、次の仕事も控えてる。せめて今回の分は懲らしめておきたいところだ。


「ん、あれは……」


 ふと見えたのは町から離れた場所にある山。そこに入っていくダイスケとキョウヘイ。あの山には禁忌の神殿へと繋がる道がある。遥か古代にルルティア様が封印したという場所だ。しかしそれを知っているのは天使長であるトガさんと、その寝言を聞いた俺だけのはず。あの二人が知っているのかは分からないが、あれ以上入られるのも面倒だ。痛い目見せてやろう。


「おいお前ら、俺と話をする気は無いか」


「ぁあ!? おまぇ〜、なあ〜んでここが分かったあ〜?」


「くそが……! とうとうバレちまったか」


 俺の声掛けに先に反応したのはダイスケ。いや、キョウヘイだったか? 正直、どっちがどっちかは覚えてない。無駄に似てんだよ。


「もういいから、めんどくせぇんだお前ら。とっとと盗んだもん返せ。どうすんだよ、下級天使のコレクションのおもちゃなんざ盗んで」


「お、おんめぇには、何も関係ねぇだろうがよぉ〜!」


 もう片方のデブは、そう言いながら殴りかかる。あまりに遅いそれは避ける必要も無い。


「いっでええぇえ!」


 その拳が繰り出されるよりも素早い移動のスピードを乗せた蹴りを、そいつの鼻目がけて放つ。いくら脂肪が厚くても関係無く痛みを与えられる。天使は死なない分、際限無く痛みを味わうことが出来る。昔、天使が天使に罰を与えた時の方法だ。聞いたのはタルファから。アイツは物知りだ。


「お前らじゃあ無理だっつってんだろ。ここまで詰めりゃあ逃げ足なんて関係無い。早いとこ諦めな」


「ふぐぐ……こうなったら、しょうがない……」


「お、今回は往生際がいいじゃねえか」


 体のデカい方が地面に膝を着き、自らの体を抱くようにして降伏を示す。なんか妙な降伏ポーズだが、気にしなかった。後がつっかえてるから。


「き、キョウヘイ……でも、許可がまだ……」


 お前がキョウヘイだったのか。ややこしい見た目してやがる。ところで、許可って言ったか? ダイスケの言葉が引っかかるな。もしやまだ上に指示を出す者が……? と思考を巡らせているところ、キョウヘイの方から何やら呻き声が聞こえた。


「ぐ……ぐが、ぐぎぃいいい!」


「は? 今度は何だって……おいおい待てよ、待てって」


 呻き出したキョウヘイは、自らの右肩を掴み引き裂こうとしていた。みちみちと音を立て、キョウヘイの肩の中で何かが引き裂かれていく。それを修復しようと、光が包み込むのだが、その修復が終えられる前に、キョウヘイはもう一方の肩を同じように掴み、引き裂く。肩口から現れる光は次第にその腕を包む。

 何をしているのか、全く理解出来なかった。それが俺を困惑させる目的だったとすれば大成功だ。この隙にダイスケが俺を取り押さえでもすれば、盗品を持ったキョウヘイが逃げるなんてことも出来ただろう。しかし、キョウヘイに釘付けにされたのはダイスケも同じで、作戦としては全く破綻している。それならこの天使は一体何を……。


 その時だった。キョウヘイはこちらに光に包まれる腕を差し向け、言った。


「ゲンショノ……コウヨ……」


 光の中から垣間見えたその腕は、錆び付いているように見えた。


「カノテンシニ――シュクフクヲ」


 何かが来ると、そう確かに予感した。身を強張らせた俺は、咄嗟に腕を顔の前にやって目を強く瞑ることしか出来なかった。ただそんな予感は杞憂に終わる。


「いっでええ!!」


 その声に俺は目を開く。そこには転げ回るキョウヘイと、倒れ伏すダイスケ。そしてもう一人――、


「――何だいこいつらは。変な奴らだな」


 銀髪の天使アルタス。後に俺とバディを組み、その人望から比翼隊副隊長を任される天使である。


 ――それから俺とアルタスは行動を共にした。


 アルタスはちょっと前に生まれた新顔の天使で、中級天使としても最近覚醒したと言う。森の中で道に迷っていたところ、物音のする方へ行ってみると俺とキョウヘイとダイスケが居たのだと。力持ちなのが取り柄らしく、あの暴れ者バディを一瞬で制したその実力は本物だ。その力を見込んで比翼隊に誘ったのも俺。爺さんに頼み込む所までは俺の隊長権限だったが、副隊長になったのは単にアルタスのポテンシャルの賜物だ。


 アルタスは力の強さと体の丈夫さを活かして喧嘩っ早い天使を即座に黙らせた。マイペースな気質を活かして、独特な視点から物事を解決に導き信頼を得た。天界の治安は俺とアルタスの貢献が少なからずあると自負出来る。


 この天界は天使達の幸せと、神格様の愛情が込められた場所だ。俺にとっても大事な場所だ。俺と、比翼隊のみんなで守っていく。アルタスみたいな凄い奴だっているんだ。みんなで、この故郷を守る。きっと、きっと何が来たって大丈夫だ。きっと、どんな困難だって、乗り越えられる。そして、いつか俺も、先代のように、輪廻に迎えられて――。



 * * *



「良かったのか? あいつら。最後に話さなくてさ」


「別にどうでもいい。それより、取り返すもんは取り返した。とっとと連れてけよ、アイツんとこに」


「へいへい。まあ、天使のことなんてどうでもいいしな」


「さっさと門に入れよ、お前のことだって信用した訳じゃねぇんだ」


「お前まだそんなん言ってんの? もう良いけどさ。別に門の向こうに罠なんて無いからな? ああいいよあったら土下座でもなんでもしてやらぁ――」


 言いながら裂け目に入っていくディランの言葉は、その体と同様に裂け目に吸い込まれていった。


 振り返り、見渡す。


「はあ……カガラのスピードだけは、いくらやっても慣れねぇな……」


 ルシアと二人で過ごした草原。ここで一人になるのは久しぶりだ。ルシアと出会う前だから、しばらく前になる。あの頃とは大分変わっちまった。ルシアが死んで、ルルティア様も死んで、ジジイも死んだ。他の奴らも何人か死んだ。そしてこれからもっともっと、死んでいく。俺はもう、戻ることは出来ねぇな。悪魔だもんな。でも、せめて、許されるなら、もう一度くらいルシアに会って……そんで……、


「おい」


 その声は裂け目から。浸っている間にディランはお怒りのようだ。


「そりゃ先に入ったらこうなるとは思ってたけどさ、どんだけ待たせんだ!」


「わりぃ。もう行く」


「ったくさぁ! こっちもアイツに急かされてるってのに……って待て待て待て押すな押すな狭いんだからってう、うわああああぁぁ――」


 ディランを足でやりながら無理矢理裂け目に押し入るフーガ。二度と戻らない家に別れを告げる。


「あばよ俺ん家。今まであんがとな――」


 この日、悪魔達の物語が動き出した。大穴に沈んだ二人の天使を餞として。



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