第九話――最速のカガラ



「なあお前ら、ちょっと俺と話をする気は無いか?」


 星空の下、大穴の空く草原に彼らは佇んでいた。


「それさ、俺らになんか得ある?」


 カガラと相対する二人。その片方の黒いローブが反応する。


「得かは知らんが、わざわざ天界に顔を出すような死神さんならよ、中級天使の隊長と話せるなんてわりかしご褒美なんじゃないか?」


 死神に軽口を返すカガラ。


「ははは! お前面白いな。こんな出会いじゃなけりゃ友達にでもなりたいとこだよ。それと俺、死神じゃないから」


 カガラの軽口に更に軽口で返す死神は、自らを死神では無いと嘯く。


「そんな大鎌を持ってローブ着て、死神じゃないならなんだって言うんだ。なあ、説明してくれよ、フーガ」


 死神の隣、黒い風呂敷を背負う天使に問いかける。


「んあ? なぁんでおめぇ、俺ん名前知ってんだよ。俺はそんな有名だったか?」


 とぼけたような様子で返す彼はフーガ。ルシアやルルティア様の配下を手に掛けた天使。いや、彼はもう――、


「有名も何も、ただでさえ悪魔なんて噂が広まってる。それが今度は世界が始まって以来の大事件の唯一の関係者だ。よお人気者、羨ましいぜ」


 皮肉混じりにフーガの現状を説明する。そこに孕むのは微かな憤り。


「なあ、お前なんなんだ。じいさんに聞いたぜ。生まれた時から気味悪がられて悪魔なんて噂まで流布されたって。ずっと悪ガキみたいだったって。でもよ、お前にもバディが出来たんだろ? 大事な仲間が。大事な相棒が。何のつもりだよ。なんでこんな、全部ぶっ壊してまで、復讐のつもりか? その背負ってるもんはルシアの首か? 何のつもりでそんなことをやってんだ。お前のバディが、ルシアがどんな気持ちで死んだと思ってる? 爺さんが、どんな気持ちで、お前を今も、信じてると思ってんだ!!」


 言い終わる頃、カガラの言葉は既に怒りに染まっていた。どうしてルシアが殺されなければならない。どうして爺さんが奪われなければならない。どうして、お前は――、


「なんでお前は、泣く事が出来る」


 フーガ、お前がどうして悲しめる。その揺るがぬ表情で、涙を流せるのだ。


「あー、泣かしたー。ちょっとー、ウチのフーガちゃん泣いちゃったんだけどー? いって!」


「うっせぇ。とっとと門ってやつ開けよディラン。ここにもう用はねぇ」


「……あいよ。お前ほんっと愛想ねぇのな」


 そんなやりとりの後、死神は大鎌を手元で弄ぶようにして振り回す。それを何のきっかけがあったのか、彼は背負い投げのようにし、すぐ後ろに向けて振り返りと同時に振り下ろした。

 キンと甲高い音が響くと同時、彼らの背後に現れたのは人一人が通れるかと言うような、黒い黒い裂け目であった。


「もちっと大きく出来ねぇのかよ」


「うるさいな。まだ慣れてないんだ。先入れよ」


 既に彼らはカガラに取り合うことをしていない。裂け目に向かってどっちが先に入るのかなんて言い合っている。


 そんな油断をカガラは見逃さなかった。いや、油断と言うにはあまりに小さな隙であったはずだ。だから、それを狙っていたのがカガラであったことは不運と言える。


「――もう一回聞かせてもらうけどよ、俺と話をする気は無いか?」


「はあ? だから俺らはもう行くっつって……あれ?」


 死神の見た方、声のした方向にカガラはいた。しかし、それはさっきまでとは全く別の場所だ。カガラは大穴の真ん中で、ちょうど宙空にて翼を広げていた。その手に黒い包みを持って。


「……っ! おめぇ、いつ取りやがった?」


「今に決まってる。目を離した瞬間なんて、今だけだったろ」


 咄嗟に自らの首元を探るフーガ。しかしそこにあったはずの重みは無い。


「話す気なんて無いって、聞こえてなかった? コミュニケーションって知ってる? 天使さーん?」


「お互い様ってやつだ死神。知らないだろ。俺は天使最速なんだぜ? 今からお前達を突っ放して天界を逃げ回ることなんて簡単だ」


「あーはいはい。いいよいいよ。そんで? 俺らと話がしたいって? わざわざこっちの足引き止めるなんて、よっぽどのファンってやつだな。お前も悪魔になってみるか?」


「ふざけんなよ。俺が話したいのはお前じゃなくて、そっちで頭抱えてるくそ野郎のことだ」


「おいおい、そんなら尚更俺を通して欲しいね。こちとらまだまだ傷心真っ盛りなんだよ馬鹿野郎。なあ、フーガ……て、おい? どうした?」


 死神の見たフーガは、何かをぶつぶつと呟き、蹲っていた。


「……ふざけるなふざけんな煩いんだよあっちいけよごちゃごちゃと喋るな黙れよ……」


「お、おい、フーガ?」


 耳を近づけると聞こえて来るぼやきは呪いのような言葉が止めどなく、顔を覆う手は段々と歪む表情を掻き毟り始める。


 それは突然だった。


「……さっきっから……誰も彼も……うるせえんだよおおおオぉぉぉぉオオおオ!!」


 堰を切ったようにフーガのぼやきは咆哮へと変わる。


「なんだよ、急に……」


 その咆哮は離れたカガラすら、肌で空気の振動をピリと感じた。


「返せヨ……俺ノ……ツミを……」


 咆哮の鳴り止む頃、ゆらりと立ち上がるフーガの背は、漆黒の翼で飾られ、その光輪は漆黒を放ち、体の黒い斑点模様は更にその体を侵食する。


 その姿はまさしく悪魔であった。


「なんだよフーガ、そこまで悪魔らしくなんて言った覚え無いぞ?」


「あれは、本当に、天使なのか……?」


 カガラはこの時、硬直していた。これは完全なる隙であった。暗澹たる変貌を遂げた天使を前にして、恐怖に飲まれたのだ。それは魂に刻まれた恐怖だった。天界の危機だとか、比翼隊の隊長としての矜持だとか、そんなものを全て置き去りにして、逃げ出したかった。震える体は思うように動かず、思考は恐怖に染められた。だから逃げられなかった。その悪魔が飛び掛かって来ることを理解しながらも。


「カエせエえエエ!!」


「や、やべ――」


「退けカガラ!」


 悪魔が到達するその間際、カガラの身は弾き飛ばされる。カガラの居た場所、そこに代わりに居たのは――、


「爺さん!!」


 ――こちらを突き飛ばすトガは、安心したように笑っていた。



 * * *



「おや、カガラ。どうしたんだいこんなところで」


 それは昼下がりの中央通りにある天界レストラン。その窓を突き破って飛び込んできた天使へ向けた言葉だった。


「あ〜、いや、なんでも無いんだ。ほんと、邪魔して悪いな、タルファ。と、そっちはパトラだっけか」


「い、いえ……お元気ですのね、カガラさんは……」


 机の上で仰向けになってお椀を被るカガラ。直前までほかほかのワショクが並べられていた食卓だ。

 立ち上がったカガラは翼を広げる。


「まあ、埋め合わせはその内やっとくから、今は見逃してくれ」


 枠が壊れ、天使一人なら悠々通れるようになってしまった窓にカガラは足をかける。するとタルファが後方から再び声を掛ける。


「仕事かい?」


「おう」


「ほどほどにね」


「あいよ」


 その淡白にも思えるやりとりを終えると、カガラは目にも留まらぬ速さで飛び立った。遅れて吹き荒れる風が、机や椅子の散らばったレストランを更に掻き回して行くのだった。


「カガラさんって、嵐のような方ですのね……」


 レストランで残された下級天使パトラが、同じく残された中級天使タルファへ向けて独り言のように呟いた。それにタルファは斜めに曲がった眼鏡を直しながら返す。


「天使長直属、中級天使部隊比翼隊の隊長だからね。忙しいんだ。いつも天界中を飛び回ってるよ。あれはカガラにしか出来ない仕事だ」


「なるほどですわ……ですけど、自分で仕事を増やしてませんこと?」


「彼の仕事の半分は自分で増やしたものだったりもするんだが……て、わわ!」


「あらまあ……」


 一陣の嵐が過ぎ去った天界レストランにて、つるの折れた眼鏡がピシャリと落っこちる音が虚しく響いた。



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