*1 碧い眼の娘と愛想のない紫の眼のお役人

 月桂樹の実は、秋の終わりに収穫期を迎え、冬の間の農閑期の産業の一つとして製油が行われる。

 元々はそれまで蒼黒石そうこくせきという特殊な鉱石を特産としていたのだが、その鉱脈がかれてきてしまったため、代わりとして十年ほど前から栽培され始めたのが月桂樹だった。

 石を掘り尽くした跡地を中心に月桂樹の木を植え、その実を収穫して油にして売り出せるようになったのはほんの何年か前からである。

 ただ実から油を搾り出す工程を見せるよりも目を惹くのか、ザングは先程よりも興味深げに小高い丘一面に広がる月桂樹の樹々を見渡している。


「この樹々を植える指揮は、あなたが?」

「ええ、あんちゃ……兄に、“やってみないか?”と言われまして。まだたった十五になるかならないかの小娘の言う事なんて聞いてくれるのか心配でしたけれど」


 鉱山跡地付近を中心に月桂樹の樹々を植え、本格的に精油をするための大規模な畑を作ろうとグドが提案をし、その手助けをしたいとまだ子どもと言える年頃のサチナが申出て任されたのが植樹の指揮だった。

 もちろん、全責任を負わされると言うわけではなかったが、現場での陣頭指揮を執るのはもっぱら彼女だった。

 親よりも年上の大人たちに指示を飛ばすのは気が引けることではあったが、自分は村のおさ一族であることを背負っている以上、年端に関係なく人の上に立つ機会が多いのは務めとも言える。

 そのため、彼女は若くして長となった兄・グドの意見を参考にしつつ、大きな使命を全うしたのだ。

 そんな話を、サチナは深い緑色の葉の茂る樹々の間をゆっくり歩きながらザングに語る。ザングは、サチナの話に静かに耳を傾けていた。

 月桂樹畑の入り口から一町(約百十メートル)と少し歩いたところでサチナの言葉が途切れ、二人は無言となる。

 乾いた土の道を二人が踏みしめて歩く微かな音だけが静かに聞こえる。

 先程興味深げに畑を見渡していたザングであったが、もう興味を失ったのか、数歩の間をおいてサチナの後をついて歩いてくるばかりだ。

 グドはザングには随分と助けられた、いつもちょうどの間合いで現れて自分を助けてくれた、と、それはそれは誉めそやしていたが、不愛想とも取れる彼の態度からはそんな気の利いた様子はうかがえない。

 それでも、ザングはグドが長についた当初からたびたび村を訪れてはいるので、サチナも彼が全く愛想のない木偶でくの坊のような男でないことは知っている。

 ただ、その愛想のなさが、彼女の前では顕著になるように思えるのだ。


(気のせいかと思いたいけれど……アズナにはにこやかになさるのよね……)


 昼餉ひるげの時に彼女の五つ下の妹・アズナと楽し気に言葉を交わしていた様子を思い出し、自分にだけわかるように溜め息をついた。


「わあ、ザング様、氷のお花になったわ! すごい!」

「そっとお持ちになってくださいね、アズナ。氷の花は儚いのですぐに壊れてしまうのです」


 そう言いながら、アズナが朝方庭で摘んだ花を魔術の一種で凍らせてみせ、にこやかにアズナに手渡していたのを、サチナは少し離れた場所で見つめていた。

 庭に咲いていた黄色い蒲公英たんぽぽの花はザングが吹きかけた吐息で瞬く間に真っ白に凍り付き、指先でつつけば霜をこぼして揺れる。

 きらきらと氷の欠片をこぼすそれを、サチナも手にしたかったのだが、自分にも、と声をかけるのが何となく子どもじみている気がしてためらってしまったのだ。

 そうこうしている内に兄のグドから精油所を案内したらどうかと言われ、いまに至っている。


(……でも、あたしにもどうですか? くらい言ってくれてもいいのに……)


 べつにそういう手品のようなものを見せてもらえなくて腹立たしいほど子どものつもりではないのだが、 何か彼の気に障るようなことをしてしまったのかと思えてしまう。しかし、思い当たる節がサチナにはない。

 グドに相談しようにも、そう頻繁に訪れる客人でもないので、気に留めるほどではないと言われればそれまでかもしれない。

 自分の気にしすぎだろうか――そう、思っていると、どこからともなく何かが羽ばたく音が微かに聞こえる。

 サチナが立ち止まって辺りを見渡していると、数歩後ろを歩いていたザングも足を止め同じく見上げる。

 羽ばたきの音は段々と近づいてくるようだ――と、もう一度ぐるりと頭上を見渡すと、純白の翼をもつ美しい鳩が舞い降りてきているところだった。

 この国での通信手段は基本、手紙を鳩などの鳥に託して相手の許に飛ばす。俗にそれを「翼を送る」と言い、その足の付け根に小さな金属の筒を括りつけて手紙を託すのだ。

 サチナは手を差し出して鳩を停まらせ、慣れた様子でその足に括りつけられた筒から手紙を取り出した。

 銀色の筒の中には小さく折りたたまれた紙が入っていて、それを広げると達筆な文字の並ぶ手紙が現れる。

 サチナは、それを目にした途端に大きく溜め息をつき、困惑した表情になった。

 手紙の相手は、サチナがよく月桂油を卸に行く街・乙巳おつみの中でも屈指の豪商の息子・ゴウホウという二十代後半ぐらいの若者からだった。

 手紙自体は取引先なのでやり取りそのものはなくはないのだが、問題はその内容だ。


貴女あなたを思うと一夜が千夜のように長い。次にお会いできる日が待ち遠しくていまにも飛んでいきたい』


 これなどまだ大人しい部類になる内容で、取引内容とは全く関係のない内容を日、一日とあけずよこしてくるのだ。

 例えば、『いま見上げる月の美しさをあなたに伝えたい。しかし貴女は風流な方だから、きっと今頃同じく月を見上げていると思うと心が躍るようです』だとか、『庭のどの花よりも貴女の笑顔が美しいので目に映る景色の味気無さに溜め息が止まりません』だとか、おおよそ取引や商売に必要なこととは思えない内容ばかりを。

 それだけならまだしも――サチナが手紙を手に佇んでいると、遠くサチナを呼ぶ声が聞こえる。

 顔をそちらに向けると、上背のある偉丈夫な青年が満面の笑みを湛えてサチナに向かって手を振っている。

 サチナは、その姿に溜め息をこっそりつきながら手を振り返しているのだが、浮かない表情は傍らに立つザングに見られていた。サチナは、それには気付いていないようだが。

 段々と近づいてくる人影に、サチナはいよいよ表情に戸惑いをにじませる。


「サチナ! ここにいたのか!」


 大きく良く通る声が畑一帯に響き渡り、サチナはひとまずそれに笑顔で応じる。胸中に含まれる感情の戸惑いや複雑さは、いまはここにないものとして振舞いながら。


「やあ、近くまで来たので立ち寄ってみたよ。こちらにおいでだと聞いて、失礼を承知で来てしまった」

「まあ、そうですか」

「おや、お客人かな?」

「ええ、ザング様、こちらは乙巳の商人のゴウホウ様です。ゴウホウ様、こちらはお役人のザング様です」


 サチナが両者をそれぞれ簡単に紹介すると、ゴウホウはすかさず握手を求めてくる。

 ザングもそれに応じるが、その表情にゴウホウへの友愛の感情は見受けられなかった。心なしか、先ほどよりもムッとしているようにも見えなくもない。それでも二人は握手を交わし、二言三言挨拶を交わす。


「ああ、あなたがゴウホウ殿ですか」

「おや、俺を御存じとは」

「まあ、この辺りであなたを知らない者はいないでしょうね」


 ザングの言葉に、ゴウホウはまんざらでもない顔で頷き、謙遜すらしない。ゴウホウが近隣の町では知らぬものがいないと言うほどの有名人であるのは事実だからだ。

 彼は剣術はじめあらゆる体術を得意とするせいか肌はよく陽に焼けて闊達かったつで、容姿も眉が凛々しく雄々しい雰囲気漂う健康的な好青年だと言われている。

 その上、食品を手広く取り扱う豪商の両親の許、商売の勉強と称して店に顔を出しつつ持ち前の人当たりの良さと巧みな話術で相手を魅了し、特に若い女性を虜にしてしまうのだ。

 そのせいか、かなり自信家な節が見受けられるようにサチナは感じているため少々苦手意識を持っている。もちろんそれを如実に顔や態度に出すようなことはないのだが。


「先ほどお手紙を受け取りましたが、まさかおいでになるだなんて」

「おや、翼を受け取ってもらえたようで。貴女を想っていたら矢も楯もたまらず、こちらまで来てしまったよ」

「……まあ、そうですか」

「会えてうれしいよ、サチナ」


 感情表現が豊かなのか、やたらに相手の身体に触れてくることが多いゴウホウは、そうして相手の懐に飛び込んで懐柔するすべを無意識に使うようだ。

 その距離感の強引とも言える詰め方に、サチナは時折困惑させられる。

 ゴウホウとは月桂油の取引を申し出た際に会ったのを契機に知り合ったのだが、どうもその時に向こうがサチナに一目惚れをしたようなのだ。

 初めのうちは村の月桂油を高値で買い取ってくれる得意先として、サチナも好感を持って接していたのだが、何度か取引を重ねていく内に、サチナの容姿をやたら誉めそやすようになり、油をすべて買い取ってやるから食事に行かないかなど誘いをかけるようになってきた。

 サチナとしては、得意先の機嫌を損ねてはいけないという考えから素っ気ない態度を取ることもできず、何度か食事に応じたり、誉め言葉にお礼を述べたりして場を治めていたのだが、どうも最近こうして突然村に現れたりして、度が過ぎているのだ。

 サチナはそれに辟易して対処に苦慮している悩みを密かに抱えているのだが、彼は気付いていないようだ。



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