駅長日誌

@me262

第1話

 昭和五年某月某日。

 午後一時過ぎ、飛び込み事故が発生し駅員総員で対応する。現場は悲惨極まる状況。前駅長から申し送りがあったので充分に警戒はしていたが、それでも防げなかった。被害者は付近の工場主。今年に入って三人目だ。昨年の世界恐慌のせいで、倒産した経営者や破産した資産家が絶望の余り列車に飛び込むのだ。運行への影響大なり。

 昭和五年某月某日。

 午前八時過ぎ、飛び込み事故発生のため駅員総員で対応。小職が着任後二件目。被害者は男子大学生。卒業後の就職先が見つからず、進入した列車に飛び込んだ模様。大学卒業者の内、七割が職にあぶれている。悲しむべきことである。運行への影響大なり。

 昭和五年某月某日。

 午後九時過ぎ、飛び込み事故発生のため駅員総員で対応。着任後三件目。被害者は労務者。泥酔して足がもつれ、線路に転落後列車に衝突。恐らくやけ酒だろう。世界大戦の頃には引く手数多だった労働者たちも不景気のせいで今は全く仕事がない。それにしても事故が多い。小職が着任前の昨年も含めると既に十件目だ。未だ半年以上残っているというのに、今後も増え続けるのか。運行への影響大なり。

 昭和五年某月某日。

 午後六過ぎ、飛び込み事故発生のため駅員総員で対応。着任後四件目。被害者は女学生。父親が仕事を失くした上、多額の借金があったために学校を辞めざるを得ず、さりとて仕事にもありつけずに遊郭へ売られる話が出ていたという。それにしても事故数の多さに戦慄する。何人もの遺体の処理をしてきた部下たちは神経を消耗しており、他の駅への転属を願い出ている。運行への影響大なり。

 昭和五年某月某日。

 午後三時過ぎ、飛び込み事故発生のため駅員総員で対応。着任後五件目。何ということか。今回の被害者は小職の部下だ。勤続二十年のベテランで、職務中に突然ホームへと飛び込んだ。彼は先月転属願を提出していたにも関わらず、小職が無理に引き留めていた。彼の精神的苦悩を理解してやれなかったことは痛恨の極み。他の部下たちが小職を責めるような目で見ている気がする。運行への影響極めて大なり。

 昭和五年某月某日。

 午後四時過ぎ、飛び込み事故発生のため駅員総員で対応。着任後六件目。被害者は学校帰りの男子小学生。

 おかしい。

 いくらなんでも多すぎる。

 世の中の雰囲気とは無縁の、このような子供まで線路に飛び込むなど、普通ならあり得ない。他の駅でも飛び込み事故は発生しているが、この駅の事故数は桁違いだ。何故、この駅だけ飛び込みが集中発生しているのか。部下たちの精神状態は限界に達している。このままでは更なる重大事故を引き起こす恐れすらある。小職自身も心身共に疲労困憊している。病気療養のために依願退職した前任者のことが脳裡に浮かぶ。運行への影響大なり。

 昭和五年某月某日。

 今日も飛び込み事故が発生。しかも二件もだ。午前十時過ぎ、一件目発生。被害者は警察官。事故防止のために会社が地元警察に見廻り要請して派遣されたものの、一週間も経たずにホームに飛び込んだ。最早、不景気の世情など関係ない。原因は他にある。そう思っていた所に事故の目撃者を名乗る老婆が現れた。彼女が反対側のホームでベンチに座っていた所、ホーム下の線路に蹲っていた黒い影のようなものが、ホーム端に立っていた警察官の足を掴んで引き摺り下ろしたのを見たというのだ。しかし駆け付けた地元警察の幹部たちは、老婆が盲目であることを理由に相手にしなかった。警察は懸命に訴える老婆を丁重に下がらせた。

 午後二時過ぎ、二件目発生。被害者は件の老婆。帰宅するためにホームのベンチに座っていた所、急に悲鳴を上げて逃げ出すように走り出したが、まるで引っ張られるような姿勢でホーム端に達し、そのまま線路に落下。進入した列車と衝突した。

 小職は部下の全員に転属を許可した。明日退職願を提出するつもりである。


 この駅は太平洋戦争時の爆撃で破壊され、戦後正式に廃駅となった。戦中戦後の混乱で駅長日誌も紛失されている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

駅長日誌 @me262

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ