座敷牢シャーク
惟風
イソ神様
お
明け方親父に叩き起こされてあいつの家に駆けつけると、狭い飯屋の勝手口には大勢人が
掻き分けて中に入ると、まだあいつは天井からぶら下がっていた。
愛嬌のあった下ぶくれ顔は見る影も無くて、目を見開いて舌をだらりと伸ばした死顔があまりにひどかった。糞尿が寝間着と床を汚していて、頭が痛くなるほど臭い。みっともない死に様だ。
「
「えらいことしたなあ。“
「お返しするもんが無いて、どうするよ。祟られんじゃねえのか」
先に来ていた野次馬達が不安気に話している。
「……いい加減降ろしてやれや」
強めに呟いてみたが、俺の言葉は届かなかった。この場の誰も、お小夜のことを見ていない。今夜に控えた祭がどうなるかの心配だけを視線の先に捉えている。
だから、俺が降ろしてやった。
小夜に近づくほどに臭気はひどくなって、目にも染みた。抱えた身体は俺の知っていた小夜より重く、冷たく、固かった。
小夜の顔に手ぬぐいをかけていると、村長がヒソヒソしてる奴等を押しのけて入ってきた。こめかみに青筋を立てて、骨ばった身体を震わせて。
と、竹治の両親が村長の足元に這いつくばった。
おご、ががが、とツバを飛ばして叫んだように見えたが、よくよく聞くと「申し訳ありません」と言っているようだった。村長の足に縋りつかん勢いで「悪いのはコイツだ」とお互いを指し示す。死体よりも不細工な顔つきで掴み合いを始めた。
夫婦喧嘩の罵声も、それを諫めようとする男衆の怒号も、竹治の咆哮も耳に入らないような様子で、村長は死んだ赤ん坊を見つめている。
「
村長が声を絞り出した。喧騒がぴたりと止んだ。
村長も「祭」を見つめていた。その目には恐怖が浮かんでいるように俺には映った。
「神子様を……手にかけるなど……どうして止めんかった」
無理な話だった。
竹治とその親父は寄り合いの後に酒盛りをしていただろうし、二人は酔うと寝つぶれて起きない。母親の方も
だからこそ、俺とお小夜は通じていられたのだ。
村で双子が生まれると、片方に“
秋祭の夜に、海辺の小さな祠に連れていくのだ。連れていかねば、村が祟られる、とされている。
――この子、イソさんに返さんといかんのやね。
――並べて寝かしてたら、二人手え繋いで寝とんのよ。もうすぐ引き離されるんに。
床に横たわったお小夜の手を胸の上で重ねてやる。
――ねえ、逃げてよう。
――あたしら連れて、逃げてよう。
あの時、細腕で首に絡みついてきたお小夜は、汗と乳が混ざった据えた臭いがした。俺はどうしようもなく胸が悪くなって、お小夜を放って帰った。
あいつが吊ったのは、その直後だろう。
二人生んだら一人差し出す。
これまでずうっと続けられてきた習わしだ。そんなもんだと思って生きてきた。何を躊躇うことがある。この村ではそういうもんなんだ。神さんとこに帰ったら、この村で生きるより幸せになれるんだて、言い聞かされてきたじゃねえか。
だから、嘆くようなことじゃない。
でも。
この手に抱くと、情が生まれる。
理屈並べたとこで、腕の中の、顔真っ赤にして泣く赤ん坊手放すことに、耐えられん奴もいる。
俺は知っていたのに。
お袋も、そうだった。
弟二人生んで、最後まで離れたくないと泣いていた。
祭が始まる前に弟達連れて逃げようとして捕まって、親父や男衆に殴り倒された。
結局、その時の傷が元で翌朝布団の中で冷たくなっていた。人間として残った方の弟も、三年後に飢えて泥水飲んで死んだ。
小夜には、身寄りがなかった。
親父との暮らしに息が詰まっていた俺は、外で小夜といることが多かった。飯屋の住み込みになったお小夜を、そこの息子の竹治が見初めた。
後ろ盾のない小娘を、飯屋の親子は三人がかりでそれはもういびり倒した。
ちょっとぼうっとして、いつも緩く口開いて笑って、誰にも怒らんお小夜は、客にも竹治達にも良いように小突かれてくるくる働いてた。
――子供ができたんよ。
――あたし嬉しい。血を分けた家族がね、増えるの。
――竹治さんもね、身籠ってからあたしのこと殴らんようになったのよ。お義父さんお義母さんも大事にしてくれるようなって。
いつもどこかしらが青黒くなっていたお小夜の肌は、その時分だけは白かった。
もう今は、見る影もないくらいに変色して、変形して、臭くなった。
外に出ると、夜は明けていた。
灰色の雲がひしめきあって、風がねばっこい。今日も荒れそうな海の色をしていた。ここのところ、ろくに船を出せていない。
お小夜から離れても、刺すようなキツい臭いが顔にまとわりついている。目に染みる。視界が滲む。
表側から飯屋に入った。厨房の片隅に、包丁が転がっていた。
まだたわけている連中のところに戻った。
俺に気づかなかった奴等も、出刃を振り上げると腰を引いて固まった。
なあ、何が神だ。おイソ様だ。
そんなモン、本当に信じてんのか。
どれだけ拝んで祀ったところで、病も、不漁も、飢饉も、何一つ良くならんのに。
祟りが恐ろしいか。
怯えて赤児差し出して、そらあ、こうやって刃物突きつけられて脅されてんのと、何が違う。
何の
それで何が良くなった。
包丁は、易易と村長の横っ腹に突き立った。
災いに遭うのは嫌か。
引き抜いた刃と共に血が噴き出した。ぬるつく柄を振りかぶって大きく投げた。
竹治の脳天を割った。
失うのが怖いか。
殺されるんは嫌か。
着物が赤い。生きてるモンも死んでるモンも。
イソ様と俺と、どちらに殺されるのが嫌だ。
俺達はもう、とっくに失くしてんだ。
我が身可愛さに縮こまる奴等を尻目に、両腕振り回して、おがって飛び出した。
そのまま村の外れ、その先まで。
海を背に、駆けに駆けた。丘を上って、雨水を啜った。青く晴れて、橙に染まった。秋風が身体を冷やす。それでも
突然の地響きと轟音に足を取られて振り返る。
遠く、海が
村を一呑みする様子を、俺は呆然と眺めた。
秋祭の行われているはずの時分だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます