第26話 副作用2


「……は」


 中世の王族を匂わせる豪奢ごうしゃなベッドで目を覚ましたのは、金糸の髪に藍の瞳を持つ細い体躯たいくの青年──とある王国の第五王子だった。


「……夢か」


 王子は身を起こして呟くと同時に、汗に濡れた髪を掻き上げる。


 すると、真っ赤な装いの臣下が当然のようにドアを開けて入ってくる。


「おはようございます、王子殿下」


「王族の私室に堂々と入ってくるな、ナルム」


「殿下は放っておくとすぐ逃げますから」


「ひとまず着替えるから、出ていけ」


「わかりました。このあとは大事な会議を控えてますから、くれぐれも逃げないでくださいね」


「わかっている」


 素直に返事をした王子だが、企むように笑みを浮かべた。





「脱出成功だ」


 衛士えじや臣下の目をくらまして、容易に城を抜け出した王子は、庭の東屋に向かった。


 雨がしとしとと降る中、東屋には震える花売り娘の姿があった。


 ──可哀想に、今すぐ温めてあげたい。


 そう思う王子だが、彼女のためだけではなかった。


「可愛い君、会いに来たよ」


「王子様」


 振り返った時の彼女の笑顔で、王子の胸がいっぱいになる。


 毎日会えるわけではないが、こうやって会えることを神にどれだけ感謝しただろう。


 王子は彼女の髪に触れて、口づけを落とすが、彼女の方がすぐに離れてしまった。


「なんだか今日の王子様は嬉しそうですね」


「面白い夢を見たんだ」


「どんな夢ですか?」


「僕たちが異国の人間に生まれ変わって、学び舎で様々なことを学ぶんだ」


「私もですか?」


「ああ、君も隣の席にいたよ。好敵手ライバルの男もいたみたいだけど」


「好敵手……」


「たとえ夢でも、君を懸想けそうする人間がいるなんて嫌になる」


「でも王子様、とても楽しそうですよ」


「君がいる世界は、どんな世界でも幸せだということだ」


 王子が抱きしめると、彼女は照れくさそうに笑った。


 しかしその二ヶ月後、彼女は隣国王女の刺客の手にかかりこの世を去った。




 ***




 吹雪く夜だった。


 失った彼女のことを想い続けて、どれだけの時が過ぎただろう。今の王子には、もはや朝と夜の区別すらつかなくなっていた。


 そしてそんな壊れた王子がわらをもすがる思いで訪れた場所は、とある〝まじない師〟の館だった。


 魔女でも暮らしていそうな雰囲気の店で、まじない師は王子を心配げに見つめる。


 やつれて痩せ細った王子は、誰が見ても痛々しい姿をしていた。


「あなたはこの国の王子様ではありませんか。……ひどい顔をされていますが、どうなさいました?」


「まじない師よ……宰相のナルムートから君のことを教えてもらった。君はありとあらゆる魔術に通じていると聞いた」


「ええ、まあ。私は世界一の魔術師でもありますから」


「そんな君に頼みがあるんだ……どうか、僕の大切な人がいる来世に僕を送ってほしいんだ」


「難しいお話ですね」


「でも、夢に見たんだ。転生して彼女とともにいる夢を」


「夢、ですか。それはただの夢でしょう?」


「いや、きっとあれは夢なんかじゃない」


「どうしてそう思われるのですか?」


「現に、君という存在にたどり着けたからだ」


「私という存在に? どういう意味でしょうか?」


「君があの〝まじない師〟なら、あるのだろう? 来世で彼女と出会う方法が」


「……そうですね。ないと言えば嘘になります。ですが、金銭で取り引きできるものでは……」


「わかっている。だから僕は残りの寿命すべてを君に渡すつもりだ」


「王子様の寿命を? 本気ですか?」


「ああ。だからどうか僕を来世の彼女の元へ送ってくれないか。このままでは……僕はこの国を滅ぼしてしまうかもしれない」


「王子様……」


「あの未来を本物にしてくれ。頼む……」


 王子の哀願に、まじない師は曖昧あいまいに笑った。




「……ん、朝か? ここはどこだ? ……僕がいたのは〝まじない師〟の館だったはずだけど」


 気づいた時、王子はまじない師の店ではなく、こじんまりとしたベッドの上にいた。


 自分がいた店どころか王城ですらないことに気づいた王子は、自分が暮らしていた時代ではないということも、すぐに理解した。


「これは……また夢を見ているのか? 転生後の世界の夢を……」


 王子には幾度となく見た夢があった。


 転生して異国の学生になる夢だった。


 窓に映る姿を見れば、未来の自分だということは一目瞭然だった。


「ということは、まなに行けば彼女に会えるのか? だったら、支度をしよう。確かこの辺りの引き出しに制服なるものがあったはずだ……」


 相智秋斗あいち あきとの姿をした王子は、制服ブレザーに着替えると不敵に笑った。




 秋斗の姿で目醒めた王子は、学校にたどり着くと、教室に入るなり、自分の席を探した。


 王城の執務室よりもずっと小さな机。王子はその手触りを確認しながら微笑む。


「冷たい……これは、夢じゃないのか?」


 王子が好奇心いっぱいの目で周囲を見ていると、隣の席にいる少女──大塚おおつかリアが、そんな王子の存在に気づいて声をかけた。


「おはよう、秋斗。今日はいつもの髪型なんだね」


「ああ、愛しの君……じゃない、リア。髪型って、なんの話?」


「『前世に戻るくん』の副作用で、昨日までは王子様みたいな姿してたから」


「……そういえばそうだったかな」


「昨日の今日なのに、まさか忘れたの?」


「そういうわけじゃないんだ……リアの可愛い顔を見て他のことが考えられなかっただけだよ」


「え、やめて。公衆の面前で恥ずかしいこと言うのは」


「やはり君は生まれ変わっても恥ずかしがり屋さんなんだね」


「生まれ変わっても?」


「いや、こちらの話だよ」


「変な秋斗」


「皆さん、席についてください」


 始業の鐘が鳴る中、ナルムート宰相によく似た三白眼の男が教壇に立つ。


 その小金南人こがね みなとの姿を見るなり、王子はうんざりした顔をする。


「……あれはナルムか。偉そうだな」


「む……殿下? そちらにいらっしゃるのは王子殿下ではありませんか?」


 ──なんでわかったんだ?


「人違いです」


 正体を見破られた王子は、狼狽えることなく即答した。 


 小金と王子の睨み合いが続くのを見て、隣のリアも割って入る。


「小金先生、何言ってるんですか?」


「いや、王子殿下の気配を感じたので、まさか……と思いましたが、気のせいだったようですね」


「先生、余計なことは言わずに早く授業を始めてください」


 王子が平静を装ってお願いすると、小金は出欠を取り始めた。




「リア、一緒に帰ろう!」


 放課後。


 終業の鐘が響くなり、ウサギのような目をした長身の少年が、王子の席にやってくる。王子はその顔を見た瞬間、あからさまに嫌な顔をした。

 

「出たな、好敵手ライバル


「ライバル?」


「君と僕はリアを取り合うライバルなんだろう?」


「リアは僕のことをライバル以上に想ってくれているんだね。嬉しいな」


「何を言ってるんだこいつは……おい、寄るな!」


 リアと呼びながら王子に近づく田橋たはしにぞっとするもの、そんな王子のことをリアはニコニコしながら見守っていた。


「リア……いい匂いがする」


「リアじゃない! おい、触るな!」


 抱きしめようと迫ってくる田橋から、逃げる王子だが──そんな時、ブンと蜂が飛ぶような音がして、田橋が床に倒れた。


 よく見ると、田橋の首には太い針のようなものが刺さっていた。


「田橋くんから逃げることも出来ないなんて、やはりあなたは王子殿下なのですね」


 竹筒を持ってやってきた小金が、王子に鋭い目を向ける。


 小金には嘘が通用しないとわかって、王子は観念したようにため息をついた。

 

「バレたら仕方がない。……僕は確かに王子だ」


「王子? どういうこと? 秋斗はもともと王子的存在でしょ?」


「そうじゃありませんよ、大塚さん。この方は前世の秋斗くんです」


「えええ!? どういうこと?」


「理由はわかりませんが、相智くんの中身が王子殿下になってしまったようですね」


「ああ、その通りだ。さすがナルムの生まれ変わり……よくぞ見破った」


「まさか、『前世に戻るくん』の副作用がまだ続いてるの?」


「大塚さん、『前世に戻るくん』とは何ですか?」


「実はこんなことがあって……」


 リアは小金に、『前世に戻るくん』について説明した。


「なんと! ファーストキスをするために前世に行くなんて……面白い体験をしましたね」


「それはいいんだけど、『前世に戻るくん』の副作用で秋斗の髪形が変わってそれで終わりだと思ってたのに……秋斗の中身が王子様になるなんて……困ったね」


「何が困るんだ? 僕は君と再会できてこれ以上もなく幸せだよ。ああ、愛しの君よ」


「ムリムリ、ここで抱き着くとかやめてくださいね。昔とは違いますから」


「じゃあ、キスもだめなの?」


「き、キスなんて! こんなところで出来るわけないじゃないですか!?」


「なんだ、せっかく会えたのに、何もできないのか」


「……もしかして王子様は、私が死んだあとの世界からいらしたんですか?」


「そうだ」


「そっか……私のいない世界から来たんだ」


「どうすれば、君を思う存分抱きしめられるんだ?」


「あの、王子様」


「なんだい、リア?」


「とりあえず、まじない師さんのところへ行きましょう」


「どうして?」


「どうしてって……元に戻る方法を聞かないと……」


「僕は元の世界に戻るつもりはないよ。あそこにはもう、君はいないんだから」


「王子様」


「それともリアは僕のことが嫌いなのか?」


「そんなことはないですが……」


「だったらいいじゃないか。僕も秋斗も同一人物なんだ」


「同一人物……?」


 リアは王子の言葉に何か引っかかった様子だったが、何も言わなかった。

 王子は話を変える。


「それよりリア、学び舎……いや、学校の中を案内してくれないか? 夢で見て知っているのは、この教室くらいだから」


「……わかりました」


 それからリアは、王子の言う通り校内を案内した。


 未来の建造物を見て王子は胸を躍らせるが、それ以上にリアが隣にいることが何よりも幸せだった。

 



 学校の帰り道。


 すでに暗い住宅街の広小路を歩きながら、王子はぽつりと呟く。


「次はリアの家に行きたいな」


「ダメです」


「どうして?」


「こんなギラギラした人を連れ帰れるわけがないし」


「ギラギラ?」


「とても散らかっているので、また今度にしてください」


「少々散らかっていても問題ないよ」


「問題大ありです。あのですね……王子様、前世と今とじゃ、秋斗と私の関係も違うんです」


「未来の僕と君は恋人同士じゃないの?」


「恋人……ですが……王子様が思うようなことはできませんから」


「それのどこが恋人同士なんだ。未来の僕は臆病者なんだな」


「秋斗は優しいんです。私が嫌がることはしません」


「君は僕と肌を重ねるのが嫌なのか?」


「まだそういう段階じゃないんです。学生の本分は勉強ですし」


「勉強ばかりでは、つまらないじゃないか」


「王子様、前世とは違うんです」


「君と再会した世界は、段階だの勉強だのと、面倒くさい場所なんだな……だけど、君のいない世界よりはよっぽどいい。リア……今度こそ僕たちは一生一緒にいよう」


「王子様」


 無邪気に手を繋ぐ王子の隣で、リアは複雑そうな顔をしていた。







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