第23話 ファーストキス


「……結局、前世に来ちゃった」

 

 〝まじない師〟という人に、愛情キスの回収を要求された私たち。


 キスを見られるのが嫌で、最初は前世に行くのをしぶったもの……秋斗あきとに行かせたら大変なことになりそうな気がして、結局私が来てしまった。


 〝前世に戻るくん〟を食べてやってきたのは、王城の庭だった。


 ちなみにその頃の私は、顔パスで庭に入れたので、私が歩いていても咎める人はいなかった。むしろ、召使いの人たちに頭を下げられるくらいで……。


 なんだか申し訳ない気持ちになりつつも、私は通りすがりの剪定師にわしさんに会釈をする。王子様の恋人だということは、周知の事実だった。


「ファーストキスっていつしたんだっけ?」


 自分の姿を確認しながら考える。小汚いチュニックは確かに過去の私のものだった。


 確かまともな服はこれ一枚しか持ってなかったんだよね……。


 前世のことはふんわりとしか覚えていないので、やや狼狽えながら王城の庭を歩いていると、呼び出すまでもなく王子様が現れた。


「おお、愛しの君よ……今日も可愛いね」


 ご機嫌な王子様は私を見つけるなり、あれこれ褒めてきた。


 ゆらめく金糸の髪に深い藍の瞳。質素な身なりをしていても、その所作から高貴な身分がうかがえた。


 秋斗よりも少し大人びた王子様に、私は不覚にもどきりとしてしまう。


「……ありがとうございます」


「なんだって!?」


 私がお礼を言った瞬間、王子様は大袈裟に驚いて後ずさる。


 ……私、何か変なこと言ったっけ?


 私も一緒に驚いていると、王子様は嬉しそうに顔を輝かせた。


「いつも『思ってもないことを言わないでください』とか、『お世辞は好きじゃありません』とか言っていた君が、『ありがとう』だなんて……! 僕はもう、死んでもいいかもしれない」


「えええ!?」


 ……私ってそんなこと言ってたんだ?


 確かにこの頃は、王子様と自分を比べたりして、卑屈になってたし。


 でもそんな私を、王子様はよく好きでいてくれたよね。


「なんだか今日の君は雰囲気が違うね。何かあったの?」


「そ、そうですか? 私はいつも通りですよ……王子様こそ、いつも以上にキラキラしてますね」


 私が笑顔を作って誤魔化すと、王子様はギラギラした目でこちらを見た。


「いつも突っぱねてばかりの君がデレるなんて……ようやく僕の気持ちをわかってくれたんだね」


「は?」


「可愛い君よ、君が僕を好きになってくれたというのなら、僕にもっと君のことを教えてくれないか?」


「私のことですか?」


「ああ。君のすべてを暴きたいんだ」


「……キスもまだなのに、何を言ってるんですか」


 王子様の発言に私がドン引きしていると、王子様は悪魔のような笑みを浮かべた。


 どうやら私はダメなスイッチを押してしまったらしい。


 こんな猛獣みたいな王子様に、キスなんてしたら……それだけじゃ済まなくなるのは明らかだった。


「ムリ、この人にキスはムリ……」


 私が青ざめていると、どこからともなく「ドンマイ」という声が聞こえた。


 ふと周囲を見ると、近くの花壇に南人みなと兄さんの頭が混じっていた。


 兄さんの生首を見た瞬間、悲鳴をあげそうになったけど──なんとか飲み込んで視線を戻す。


 体は土に埋まっているのだろう。いきなり現れた〝まじない師〟の頭を見て、踏んづけたい衝動にかられた。


 ──確か、愛情を採取するためについて来るとか言ってたよね。


 こんな風に監視されてる中でキスとか、本当にムリ……。


 ていうか、王子様に捕食されてしまう!


「ねぇ、君は本当にいつもの君なのかな? そんな小動物みたいに震えるなんて、どうしたんだい?」


「王子様こそ、いつもよりギラギラが凄いですね。どうしたんですか?」 


「君のいつもの鉄壁のガードが、まるで綿わたのように柔らかくなっているからね。これをチャンスと言わずしてなんと言うの?」


「綿って……」


 確かに時代も違うし、この頃のような警戒心は、今の私にはないのかもしれない。


 だからと言って、王子様に主導権を渡すわけにはいかないし……ていうか、ささっとキスして帰りたい!


「あの王子様……目を瞑ってもらえませんか」


「どうして?」


「え、どうしてって……」


「僕が目を閉じてる間に逃げるつもり?」


「いえ、そんなことは……」


「でも逃げ腰だよね?」


 キスだけして逃げるつもりが、王子様にはバレていた。


 ていうか、鋭すぎるんだけど。


「逃げません。だから目を閉じてください」


「それじゃあ、逃げたら結婚だからね」


「ええ!?」


 逃げたら結婚なんて、そんなことしたら私の死期が早まるに違いない。


 私がさっと青ざめると、王子様のギラギラが柔らかくなった。


「冗談だよ。本気にするなんて……今日の君は本当に可愛いね。どうしちゃったんだろう?」


 王子様が私の腰に手を回して抱きしめた。


 すると、私の目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。


「どうしたの?」


「すみません。ちょっと感傷に浸ってしまったみたいです」


 会いたくても、もう会えない王子様。


 彼に会えたのが本当は嬉しくて胸が痛かった。


 秋斗と同じようで少し違う彼が、愛おしく感じて、私は王子様の胸に寄りかかって涙をこぼした。


「会えてよかったです、王子様」


「本当にどうしたの?」


 怪訝な顔をする王子様すら、愛おしく感じて辛くなるけど、もうこの時代の人間ではないのだと思うと、切なかった。


「私はこの時代でも王子様と幸せになりたかった」


 そう言うと、王子様は私のことをぎゅうっと抱きしめた。


「何があったのかは知らないけど、僕は君を生涯守り抜くと決めているからね」


「はい」


 今となっては果たせなかった約束を口にする王子様だけど、私は否定せずに頷いた。

 この時の王子様はきっと、本当にそう思ってくれたに違いない。


 いつかこの人が転生して追いかけてくる。そう思えば、少しだけ気持ちが楽になった気がしたのと同時に、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 そして王子様の胸でようやく意を決した私は、覚悟を決めて顔をあげる。

 ――けど、


「やっぱりムリ」


 王子様の目は捕食者のそれで、思いっきり狼狽えてしまう。


「どうしたの? 何がムリなの?」


「いえ、ちょっと……」


「今日の君はなんだかおかしいね。何を企んでいるのかな?」


「な、何も企んでなんかいません」 


「本当かなぁ? こんな、食べてくださいとばかりに無防備な君を見たことがないんだけど」


「なななな! 何をおっしゃいますか!」


「本当に君は君なの?」


「私は私です」


「本当かなあ?」


 顔をのぞきこんでくる王子様から、私は視線をそらした。


『イチャイチャしないで早くキスしてください』


「そんなこと言ったって」


 私が王子様をうまく誘導できないでいると、花壇からまたもや指示を受けた。


「……誰だ?」


 けど、今度は王子様に気づかれたようで、彼は花壇の方を見つめた。


「そこにいるのは誰?」 


「……」


「あの、王子様……どうかなさいましたか?」


「君、さっき誰かと喋っていたよね?」


「え? 私ですか? なんのことでしょう」


「今日の君は秘密が多いね。あまり僕の機嫌を損ねないほうが身のためだよ」


 王子様が綺麗な笑みを浮かべた。


 怒っている時の顔だった。


「おい、出てこい!」


「あの、王子様……そっちには何もありませんよ」


「なんだか怪しいね、今日の君は」


「何がですか?」


「いつもよりも優しいし、可愛いし、隙だらけで、それに物欲しそうな顔をしてる……普通の女の子みたいだ」


「私は普通の女の子です」


『あと10分ですよ!』


「ええ!?」


 花壇から急かされて、私は飛び上がりそうになる。


 が、王子様もバッチリ聞いていたみたいで……。


「じゅっぷんって何?」


「あ、あの……王子様、目を閉じてください」


「この状況で言うこと聞くと思う?」


「もう、なんでもいいから少しだけ目を閉じてください」


『残り5分』


「ああ!もうどうとでもなれ!」


 私は思い切って王子様の顔面に突撃した。


 けど、とっさに王子様が避けて、未遂に終わった。


「王子様!?」


 もう時間がない……と思えば、


「ダメだよ。ファーストキスは僕からって決めてたんだ」


 ゆっくりと舞い降りてきた唇に、私は瞠目する。


 触れるだけの、優しいキスだった。


 そして次の瞬間――私の目の前が真っ暗になった。

 


 

 ***




 予定とは違ったけど、王子様とのファーストキスを成功させた私は、タイムリミットとともに意識を落とした。


 そしてその後、再び目を開けたら──私は自宅ベッドの上にいた。

 

「……え? あれ? ここは……私の家? もしかして今までのあれは夢だったの?」


 パジャマを着た私の、独り言だけが響く。


 あまりにもリアルな夢だったので、私はしばらく現実に戻るまで時間がかかった。


 スマホを見れば平日の朝だということはわかった。


 私は慌てて学校の支度をする。


「早く行かなきゃ」


 そして私は、いつも通り部屋を出ると、いつもよりやや遅い時間に登校したのだった。




「おはよう、秋斗」


「おはよう、リア。今日はなんだか疲れているように見えるけど?」


「うん、それが大変な夢を見て……」


「リア!」


 私が説明しようと口を開いたところで、まーくんがやってきた。


 今日もメガネなし通常運転のまーくんは、秋斗に抱きつこうとして避けられる。


「リア、どうして避けるの?」


「──フッ」


 秋斗が「冗談じゃない」と逃げ回る中、めげずに接近しようとするまーくんの首に、針のようなものが刺さった。


「わあ! なんだか幸せな気持ちに……がくっ」


「ちょっと、先生!?」


「今度の毒はよく効きますねぇ」


 そう言って、教壇からおりてきた南人兄さんは親指を立てる。そしてもう片方の手には、竹筒があった。


「毒はさすがにひどいですよ、先生」


 珍しく秋斗がまーくんを心配しながら見下ろす。


 まーくんは床で目を回していた。

 

「大丈夫です。このファーストキスという毒で、死ぬことはありませんから」


「ファーストキス?」


 私が訊き返すと、兄さんは紫の液体が入った小瓶を見せてくれた。

  

「それが毒……?」


 私は何かを思い出しそうで思い出せなかった。






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