第14話 前世の古傷


「あの二人……置いてきて大丈夫かな?」


 映画館に南人みなと兄さんとまーくんを置いて来た私たちは、映画館のあるショッピングモールを出て、駅前の繁華街を歩いていた。


「リアはあの二人の心配なんてしなくていいよ。それより、予定通りスイーツブッフェに行くよ」


「う、うん」


 イチゴフェアは終わってしまったけど、秋斗あきとはこの間訪れたホテルの庭がすっかり気に入ったらしく、またスイーツブッフェに誘ってくれた。


 気に入ると同じ場所ばかりに行くところは、前世の王子様に似ているかもしれない。


 二人きりで緊張した私は、ホテルの広い庭に入るなり秋斗から少しだけ離れて歩いた。


 すると秋斗が不思議そうにこちらを見る。


「どうしてそんなに遠いの?」


「何が?」


「これは恋人の距離じゃないよ」


「だって最近の秋斗……なんか怖いし」


「怖い?」


 秋斗は眉間を寄せて考え込む。


 恋人だからとキスを畳みかけてくる秋斗は、正直苦手だった。


 できれば少し前の秋斗に戻ってほしいけど、友達に戻りたいと言ったところで今の関係が変わるとも思えなかった。


 何がどうしてこんな状況になってしまったのだろう。


「リアは相変わらず奥手だね」


 秋斗は懐かしむように目を細めて笑う。


「ねぇ、秋斗……ずっと聞きたかったんだけど。もしかして秋斗にも前世の記憶があったりするのかな……?」


「前世の記憶?」


 秋斗はきょとんとした顔で見開く。 


 あまりにも前世の王子様に似ている秋斗だから、もしかしたら……と思ったけど。


 どうやら私の思い違いだったらしくて、秋斗はおかしそうに笑った。


「何を言い出すかと思えば、前世の記憶ってなに?」


「秋斗は前世とは関係ないの?」


「いったいなんのことかな?」


「……なんでもないよ。今のは忘れて」


 前世の記憶なんて、何も知らない人が聞いたらびっくりするよね。


 秋斗が前世の王子様じゃないことに、少しだけほっとした。


 前世の王子様だったら、キスどころじゃすまないだろうから……なんて、考えただけで恐ろしかった。


「変なリア。前世と言われてもわからないけど……それよりも僕は、リアともっと気持ちを深めたいよ」


「近いよ、秋斗」


 私の額にコツンと額を乗せてくる秋斗。


 逃げようとすると、今度は私の指に秋斗の指を絡ませてきた。


「好きって言ってくれたら離れるよ」


「ほんとに?」


「ほんとだよ」


「……好きだよ」


「ああ、可愛いなぁ、リアは。どうしてそんなに可愛いの」


 秋斗は私から離れて、ブツブツと独り言を呟くけど──


 そんな中、突然私の前を人影が遮る。


「んー」


「だからなんでお前がいるんだよ」


 気づくと唇を突き出したまーくんが、秋斗に接近していた。


 まーくんはメガネをかけると、大袈裟にのけぞって驚いた顔をする。


「え? リアじゃないの?」


小金こがね先生はどうしてこいつを連れてきたんですか?」

 

 高い生垣の陰から現れた南人兄さんに、秋斗は冷たい視線を向ける。


 兄さんはやれやれといった感じで説明した。


「田橋くんはリアさんの匂いを辿ってここまで来てしまったのです」


 甘い雰囲気が消えてなんとなくホッとする私の隣で、秋斗は禍々しい笑みを浮かべる。


「僕たちの聖域に入ってくるな」


「なんだと! このホテルはパパの会社の傘下なんだぞ」


 まーくんがドヤ顔で告げると、南人兄さんが胸ポケットからスマホを取り出す。


「なら私が買収しましょう」


「いや、それなら僕がやる」


 兄さんを手で制してスマホをいじり始める秋斗に、私は呆れてため息をつく。


「ちょっと、せっかく素敵な場所なんだから、みんなこの景色を楽しもうよ」


「……ここは僕たちの秘密の場所だったのに」


「秋斗……きっとまた、新しい場所が見つかるよ」


「ここはあの場所によく似てるから、初めて見た時は本当に嬉しかったんだ」


「……え?」


 あの場所、と言われて思い浮かんだのは、前世の王子様とよく落ち合った東屋ガゼボだった。


 でも、秋斗は前世なんて知らないって言ってたし……違うよね。


「僕がいるのに二人の世界なんか作って! 僕だってリアと良い雰囲気になりたいよ!」


「大塚さんと良い雰囲気になりたければ、まずは私を倒してからにしてください田橋くん──フッ」


「もう吹き矢は効かないよ! ――うっ」


「NASUで新しく開発された宇宙人専用の麻酔です」


「……な……バタッ」


「さあ二人とも、今のうちに逃げてください」


「いや、お前がどこかに行けよ」


 白い目を向ける秋斗に、南人兄さんは親指を立てた。




 ***




 思えば前世の王子様は嫉妬が普通じゃありませんでした。 


 私が森で小鳥と一緒に歌えば、森の木は切り倒され丸裸になり……パン屋さんで働けば、閉店を余儀なくされました。


 私にとって王子様は愛しい人であり、煩わしい人でもありました。


 前世の王子様のことを考えれば、秋斗は常識人だと思うけど、私への執着がエスカレートしているような気がした。


 気のせいだったらいいけど。


 もし前世にまーくんみたいな人がいたら、王子様に斬り捨てられたかもしれない。


 そういう物騒な時代じゃなくて良かった。


 ……なんて、あれこれ考えながら登校した私は、教室に入るなり鞄の中身を机に広げた。


 するとさっそく、隣の秋斗が椅子を寄せてくる。


「おはよう、リア」


「近いよ、秋斗」


「意外と冷静なリアも好きだよ」


「すっ! 好きとか……こんなところで言わないでください」


「どうして? 誰も聞いてないよ」


「いや、絶対聞いてます! みんな聞いてないふりしてるだけです」


「リアは些細なことにこだわるね。そんな風にシャイなリアも好きだよ」


「ほらまた……わざとなの?」


 これは間違いなく遊ばれてる……。


 秋斗の恋人? になってから、じわじわと平凡から離れているような気がした。


 そもそも私の求める平凡ってなんだっけ? 


 秋斗と一緒にいるうちに、普通というものがわからなくなっていた。


 けど、前世のように嫉妬で刺されるようなことはなさそうだし、もしかして私って普通の幸せを掴んでるのかな? ……なんて思っていたら、


「あれ……机に……何かある?」


 机の中を整理していると、教科書以外の何かに手がぶつかった。


 おそるおそる取り出すと、可愛くラッピングされた小箱が出てきて、私の名前が入ったメッセージカードも添えられていた。


「リア、それは……誰からのプレゼント?」 


 私が目を瞬かせていると、秋斗の不機嫌な声が聞こえた。


「なんだろうね。可愛い文字だし、女の子かな?」


「女の子……ね」


 秋斗はあからさまに嫉妬していたけど、私はそんな秋斗を見て見ぬふりをして箱を開けた。


 すると、そこには──


「あ」


 黒い害虫の死骸が入っていた。


「最悪」


「リア……それって……」


 さっきまで嫉妬の色に染めていた秋斗の顔が、今度は驚きに見開かれている。


 やっぱり、秋斗と私が一緒にいることをよく思わない人がいるらしい。


 添えられていたカードを裏返すと、『調子に乗るな』と書かれていた。


「誰がこんなことを……」


 秋斗が怒りに満ちた目で周囲を見回すと、教室の外でバタバタと複数の足音が去っていった。


「こういう日が来ると思ってたんだよね」


「……リア」


 私は箱の蓋を閉じて、ゴミ箱に放り込んだ。


 普通の女子なら悲鳴をあげて慌てるところだけど、無反応の私を見て犯人はどう思っただろう。


 家に一人でいることが多い私は、害虫駆除には慣れているけど……不快には違いなかった。


 でもまあ、これくらいの嫌がらせなら可愛いものだよね。


 前世で刺殺されたことを久しぶりに思い出してゾッとした。


「リア、大丈夫?」


「……うん」


 心配そうにのぞきこんでくる秋斗に、私はぎこちなく頷いた。

 

 今は大丈夫。でもいつか耐えられなくなる日がくるかもしれない。


 だからその前に私は、秋斗から離れなきゃ……。


 私が「このくらい平気」だと告げると、秋斗は苦々しい表情で唇を噛んだ。 


 なんだか嫌な空気が流れる中──教室のドアがドンと大きな音を立てて開かれる。


「おはよう、リア!」

 

 いきなり現れたまーくんは、教室に入ってくるなり秋斗の席にやってくる。


「え? あれ? まーくんがどうしてここに?」


「リアのクラスがわからないから、全クラスまわってきたよ」


「お前、何しに来たんだよ」


「転入して間もないし、校内を案内してほしいんだ」


「それなら私がやりましょう」


 楽しそうなまーくんの後ろから南人兄さんも現れる。


「試したい麻酔もありますし」


「無駄だよ、リアのお兄さん。リアへの愛がある限り、どんな麻酔も効かないよ」


「麻酔を超えた愛! 感服です。しかしながら、私は王子の右腕として、あなたを大塚おおつかさんに近づけるわけにはいきません」


「とりあえず、僕の前からどけよ」


 秋斗の机を囲むまーくんと南人兄さんを、秋斗は冷たい顔で見ていた。


 けど、まーくんは聞いているのかいないのか、恥ずかしそうに手を合わせて秋斗を見下ろした。


「リア! 今日こそ僕の愛を受け取ってよ」


「……ねぇ、まーくん」


「なあに、リア」


 私と間違えて秋斗に愛を囁くまーくんに、私は訊ねる。


「会ってそうそう、愛とか……私たち、小学校四年生以来なのに、どうしてそこまで必死になって追いかけてくるの?」


 私が真面目に訊ねると、まーくんは大きな目を細めて嬉しそうに答えた。


「女の子と話すのが苦手な僕が、唯一自然体で話せるのがリアなんだ」


「それだけ?」


「好きになるには、それだけでじゅうぶんじゃない?」


「……そういうものなのかな」


 まーくんはちょっと不思議な子だけど、モテると思うんだよね。なのに、なんで私なんだろう。


 秋斗もまーくんもどうして私に執着するのか、やっぱり理解できなかった。


 私なんか、大して面白い人間でもないのに。


「いいよ、まーくん。私が校内を案内してあげる」


「リア? 僕というものがありながら、こいつと校内デートするの?」


「デートじゃないよ。秋斗も一緒ならいいでしょ?」


「僕は……」


 秋斗は少し戸惑うそぶりを見せたけど、何かを諦めたようにため息をついた。


「わかった。今回だけだよ」


 なんだかんだ優しい秋斗である。私が真面目にお願いしたら、たいがいのことは聞いてくれるのだった。


 そういうところは、前世の王子様とは違うよね。


 前世の王子様だったら、有無を言わさず、まーくんを遠ざけただろうし。


 ていうか、前世の王子様と秋斗を比べるのは良くないかな。


「秋斗、ありがとう」

 

 私が微笑みかけると、秋斗は苦笑した。




 ***




「今日はありがとう、リア!」


「どういたしまして」


 まーくんに校内を案内した流れで、私と秋斗、まーくんは三人一緒に帰っていた。


 すっかり暗くなった住宅街で、私たちは他愛のない話をする。


 まーくんがいた高校の給食とか、今まで入っていた部活の話とか──


 最初は少し心配だったけど、意外なことに秋斗はまーくんがいても嫌な顔ひとつしなかった。


「じゃあ、僕はちょっと用があるから、ここで帰ることにするよ」


「へ!?」


 今までずっと家まで送ってくれた秋斗が、珍しく帰ると言い出して、私は思わず変な声を出してしまった。


 このままだと、まーくんと二人きりになるけど……秋斗はなんとも思わないのだろうか。


「お前、リアのことは任せたぞ」


「い、言われなくてもリアは僕が送る」


 まーくんに私を託した秋斗は、相変わらず何を考えているのかわからない顔で笑った。




 ***




「……リア」


 秋斗あきとはリアよりも先に帰ると、暗い自室で浮かない顔をしていた。


 本当はずっと二人でいたかった。


 だが、今日はリアに対する嫌がらせを目の当たりにしたせいで、ずっと怒りがおさまらず──とうとう途中で帰ってしまった。


「犯人は特定したけど、どうやって料理してやろう」


 秋斗は不敵に笑う。


「僕のリアを今度こそ守らないと」


 リアを守るには、二人でいるより三人でいたほうが都合が良かった。


 でなければ、恋敵ライバルをリアに近づけるなんてとんでもない。


 もし今後も嫌がらせがあるようなら、きっとリアは自分から離れてしまうだろう。


 前世で殺されたことが、深い傷となってリアに残っていることを秋斗は知っていた。


 それを取り除くことができないなら、現世こそ守り抜きたかった。


「今後も三人でいるべきか……嫌だな」


 秋斗は部屋の小窓から月を見上げて、切ない息をこぼした。




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