第9話 眠れない夜
「今日はどんな顔して
うっすら霧のベールに包まれた早朝。
私、
昨日は映画の帰りに、秋斗にキスされた……けど、
平凡な恋を求めておきながら、秋斗との心地よいキスに流されるなんて──そんな弱い自分を情けないと思う。
もしかしたら私も秋斗のことが好きなのかな、とか。そんなことを思うと、血の気が引いた。
──だったら、早く離れなきゃ……今ならまだ間に合うはず。
秋斗に深入りしてしまう前に、距離をとることを決めた私は、いつになく気合いを入れて教室に入った。
すでに登校していた秋斗は、クラスの男子と談笑していた。いつもの可愛い笑顔を見ると、まるで昨日のことが嘘みたい。
なんとなくほっとした私は、自分の席に座る。
けど、なぜか秋斗は私のほうを見ることはなくて、かわりにクラスの女子二人が私のところにやってくる。
「おはよう、リア!」
「え? あ……おはよう」
かつて友達だと思っていた人に話しかけられて、私は狼狽えずにはいられなかった。
さんざん無視されたので、本当は喋りたくもなかったけど、元友人たちは何事もなかったかのように話を振ってきた。
「ねぇリア、テストどうだった?」
ツインテールの
「え? えっと……思ったより悪くなかった……かな?」
「そうなんだ? 私はさんざんだったな。このままだとおこづかい減らされるかも!」
愛里がヤバイヤバイと二つの尻尾を掴んでいると、ベリーショートの
「え、マジで? お気の毒……とか言って、私も数学がひどかったんだけどね」
自虐的な笑みを浮かべる沙耶の隣で、愛里は長い髪を指に巻きつけてため息を吐いた。
「しょうがないっしょ。今回の数学、
「え? あのテスト、小金先生が作ったの?」
思わず私が訊ねると、沙耶は以前と変わらない爽やかな笑みを浮かべた。
「そうだよ。お休みしてる
「そもそもなんで担任の先生は帰ってこないの? 大怪我でもしたの?」
素朴な疑問をぶつけると、沙耶は腕を組んで考え込む。
「うーん……私もよくわかんないけど、小金先生の気が済むまで帰ってこれないって」
「それっていったいどういうこと?」
最初は戸惑っていたけど、いつの間にか自然と話せるようになった私は、友人たちの情報に必死で耳を傾けていた。
今までさんざん一人だったから、浦島太郎状態だったけど、友達の話を聞いていたら始業ベルが鳴るのはあっという間だった。
──いつも秋斗とばかりいたから、変な感じだけど。
そしてその後も私は一日中友達とばかり喋っていた。
「リア」
「あ、秋斗」
放課後になって、ようやく声をかけてきた秋斗に、私はなんとなくほっとする。こんなに話しかけてこないなんて、私が何かやらかしたのかと思った。
「あのね、秋斗──」
なんとなく気分が明るくなって笑顔で口を開くと、秋斗は申し訳なさそうに眉尻を下げて手を合わせる。
「ごめんリア、今日は友達と帰るから」
「あ……そうなんだ?」
──ぼっちだって言ってたのに、やっぱり友達いるんだ?
むしょうに寂しい気持ちになった私は、秋斗がクラスの男子と去っていく背中をじっと見つめた。
秋斗から離れたいと思っていたはずなのに、なんだか自分に負けたみたい。
なんて落ちこんでいると、秋斗と入れ替わりで愛里がやってくる。
「リア、一緒に帰ろ」
「ごめん、今日は急ぐから」
本当は用事なんてなかったけど、一人になりたい気分だった。
***
「友達ってなんだろう」
秋斗と距離をとれば、幸せになるはずだった。
けど、以前の何もない生活に戻ったところで、以前のような幸福感を得ることはできなかった。
それは、さんざん無視されて友達のことが信用できないせいもあるけど……理由がそれだけじゃないのは明白だった。
「でも、この生活に慣れなきゃ」
ずっと一緒にいたから、秋斗という存在が大きくなっていたんだと思う。
ただそれも時間が経てば、きっと元の生活に戻れる日が来るだろう。
私は寂しさを噛みしめながらも、気持ちを強く持って歩みを進めた。
暗くなった住宅街は異様な静けさを漂わせていた。
少し辛かったけど、私は一人の心細さを振り払うように首を振る。
「大丈夫、きっと大丈夫」
そんな時だった。
「何が大丈夫なの?」
帰りの広小路で、突然後ろから誰かに声をかけられた。
秋斗かと思って振り返るけど──全然違う男の人だった。
「ねぇ、お嬢さん、可愛いね」
青灰色のスーツに黒いサングラスの、その年齢不詳な男の人は、私の顔を見るなり気味の悪い笑みを浮かべた。
私は咄嗟に無視して通りすぎようとするけど、男の人に通せんぼされて前に進めなくなる。
「ねぇ、声をかけてるんだからさ、返事しなよ」
「い、急いでますので」
「ちょっとだけだからさ、そこでお茶しない? ほんとにちょっとだけ」
サングラスの男の人はそう言って、私の肩を掴んだ。
──まさか住宅地でナンパされるとは思わないし。
私が鬱陶しげに肩の手を振り払うと、今度は強い力で二の腕を掴まれた。
「いたっ」
「そんなに時間とらせないからさ、一緒に行こうよ」
「離してください」
「あはは、強がっても声震えてるよ」
助けを求めようとして周囲を見回すもの、全く人がいなくて、私は怯えるしかなかった。
「そんなに怖がらなくてもいいよ。お兄さん、悪い人じゃないからさ」
「防犯ブザー鳴らしますよ」
「じゃあ、鳴らせば?」
防犯ブザーを鳴らそうとして、今日は携帯していないことに気づく。
そういえば、邪魔だからと思って外したんだった。
「はは、何も持ってないんだ?」
私の心を見透かしたように、男の人は顔をのぞきこんでくる。
サングラスから見えた目が怖くてゾッとした。
どうしよう……大声をあげるしかないかな。
私が必死で逃げる方法を考えていた、その時。
ふいに、男の人の向こう側から、よく通る声が響いた。
「待ちなさい」
「あ? なんだ?」
深い緑の髪に、切れ上がった三白眼。
年の離れたいとこであり、臨時の担任でもある
「小金先生!」
「先生? 学校の先生か?」
「こんな場所で女の子にちょっかいをかけるなんて、けしからんですね」
兄さんは、教壇で使う
「ムーン・ブリリアントパワー!」
そして謎の呪文を唱えたかと思えば、男の人の背中にまわって、指示棒をそのお尻に突き刺したのだった。
「うわあああ」
「さあ、今のうちに逃げますよ」
「う、うん!」
サングラスの男の人が痛みに悶える隙に逃げた私たちは、そのまま自宅マンションまで走った。
「……ここまで来れば安心でしょう」
「良かった」
安全を確認したと同時に、脱力して倒れそうになる私。
そんな私を兄さんが支えてくれた。
「大丈夫ですか?」
「ありがとう、兄さん」
「学校で注意喚起したほうが良さそうですね。また現れるかもしれません」
「兄さんがいてくれて良かった」
私が兄さんに支えられたまま、ほっとしていると、ふと聞きなれた声が響いた。
「……そこで何してるの?」
「あ……秋斗」
「これはどういうこと? 二人で何してるの?」
振り返ると、マンションの前に秋斗の姿があった。
どうしてうちのマンションにいるのかはわからないけど、秋斗に笑顔で問われた瞬間、兄さんは私からさっと離れる。
「変な人に捕まってたところを助けてもらったんだ」
私が説明すると、秋斗の顔色が変わる。
「それで、リアは大丈夫なの?」
「うん、ちょっと怖かったけど、兄さんが助けてくれたから」
秋斗は私のそばに駆け寄ってくると、私の手を握った。
「こんなに震えて……ごめん。僕が一緒に帰らなかったから……」
「仕方ないよ、毎日一緒にいるわけにはいかないし」
思わず私は、尖った口調で返してしまう。
どうしてだろう。心配してもらえて嬉しいはずが、なぜかすごく嫌な気分だった。
「リア──」
「じゃあ、私は帰るから……またね」
精一杯強がって告げると、私は一度も振り返らずにマンションに入った。
秋斗は何か言いたそうな顔をしていたけど、見ないふりをした。
そして自宅に入るなり、玄関に座り込む。
「ふう……怖かった。明日もあの道を通るのは嫌だな。しかも今日に限ってお母さんたちは出張中なんだよね」
それから私はサングラスの男の人に掴まれたことを何度も思い出しては身震いした。
いまだに掴まれた感触が残っていて、落ち着かないし。それに静かな部屋にひとりだと怖くて──私は思わずお風呂のあと、パジャマのまま部屋を飛び出していた。
そして咄嗟に持ってきた枕を抱きしめながら、隣のインターホンを押す。
『はい、なんですか』
兄さんの声を聞いて、ようやくほっとした私は、周囲をちらちらと確認しながらお願いした。
「あの……兄さん。今日はそっちに泊めてくれないかな?」
『あなたはいくつですか』
「だって……なんだか一人は怖くて」
『ちょっと待ってくださいね』
「あ、にいさ……」
それから一分も経たずに兄さんの部屋のドアが開いた。
けど、出て来たのは兄さんじゃなくて……。
「リア」
「え? 秋斗? どうして兄さんの部屋に?」
「ちょっと質問があって、先生のところにいたんだ。それより、リア……小金先生の部屋に泊まるって本気?」
「え、えっと……」
秋斗の責めるような口調に、私は何も言えなくなる。
責められるようなことをした覚えはないんだけどな。
やっぱり、この年になって一緒に寝てほしいっていうのは恥ずかしいことなのかな。
ていうか、パジャマ着替えれば良かった。
なんとなく気まずい空気が流れる中、隣の部屋から南人兄さんも顔を出す。
「大塚さん」
「はい」
「私は今日とても忙しいので、秋斗くんを代わりに連れていってください」
「え!?」
南人兄さんは家族みたいなものだから、一緒に寝るのは平気だけど、秋斗は……。
「やっぱり、僕じゃ頼りないかな……?」
「そういうわけじゃないけど」
キスしたこともあって、秋斗を連れ帰っても眠れる気がしなかった。
「ごめん、やっぱり一人で帰る!」
「え? ちょっとリア?」
慌てて自分の部屋に戻った私は、その後インターホンが鳴っても無視し続けた。
本当は怖くてどうしようもなかったけど、布団を頭までかぶって眠れない夜をすごしたのだった。
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