第18話

 からからから。

 うん、自転車を漕ぐのはやはり気持ちがいい。家までの坂はきついが。

 おっちゃん、修理代を気前よくまけてくれたので、思ったほど金もかからなかったし、自転車も快調だ。これで毎日のようにこけることがなくなれば言うことなしなんだが。

 そんなことを考えながら家に帰ると、庭に車が一台停まっていた。何か、嫌な予感がする。

 がらがらがら。

「ただいま」

 玄関には、スニーカーと男物の革靴が一足ずつ。どちらも見たことがある。

 ぱたぱたと母がやってくる。そして開口一番。

「美好、花隣ちゃんが来てるわよ」

 やはり。

 溜め息を一つ、居間に顔を出す。

「やあ、美好くん、お久しぶりだね」

 いたのは目以外は強面のおじさんと口元のほくろが印象的な少女。

「お久しぶりです、おじさん」

 強面の方は園崎さん。リンの父親だ。

 もう片方は言うまでもなく、リンだ。

「や、みーくん」

「……おう」

 幼なじみだからかやたらフランクな挨拶をしてくるリンに正直舌打ちをしたいところだが、おじさんのいる手前、堪える。

「いやぁ、美好くん、いつも花隣がお世話になっているね」

「いえ、そんなことは」

「今日は突然お邪魔してしまって申し訳ない。花隣が君に用があるというものだから」

「そうなんですか」

 何の用だよ。努めて笑顔を保つが、こめかみがぴくつく。

 このおじさん、大変な親バカで、一人娘のリンを溺愛している。リンを"坂は危ないから"という理由で毎日学校に送迎しているくらいだ。そのせいなのか、強面が台無しなほど目付きが柔らかい。

「じゃ、みーくん帰ってきたみたいだし、二人でお話しよっか」

「……花隣、大丈夫なのか?」

「お父さんが一体何の心配をしているのかわからないわ」

 リンはこの年頃の女子らしく父親をちょっと煙たがっている。まあ、俺から見てもおじさんの馬鹿具合にはちょっとドン引きだが。

「あ、帰りはみーくんに送ってもらうから心配しないでね」

「えぇっ!?」

「行きましょ、みーくん」

 反応しづらいぞ、リン。

 悲しそうなおじさんの目が背中に刺さってきて痛い。リンは腕を組んでくるし、俺はどうしたらいいのやら。

 居間の戸を閉め、溜め息を一つ。

「はあ。相変わらずだな、おじさん」

「いつまでも親バカで困るわよねー」

「主に困ったのは俺だが」

 部屋に着き、からりと障子戸を開ける。座れよ、と言う前にリンはどっかり腰掛けた。

「図々しいな」

「んー?」

 自覚はないらしい。

 俺は小さい折り畳みのテーブルを広げ、部屋の中央に置く。

「で、何の用だよ」

「随分ご挨拶ね」

「ご挨拶も何も、いきなり押し掛けてきたのはそっちだろう。こっちの都合も考えろっての」

「そういえばお母さんが昨日お客さんが泊まってったって言ってたわね。誰が来たの?」

「ああ、半澤」

 すると、リンは驚いたような顔をする。

「さわくん? 仲良くなったのね。意外」

「だからなんで意外なんだよ?」

 ちょっと不機嫌になりながら訊くと、リンは顔を曇らせる。

「だって、さわくんは雲上人みたいなものよ。人を寄せ付けないっていうか、自分から一人でいようとしてる。だから、声をかけたくてもかけられない子は多いのよ」

「それに俺が声かけたのがそんなに変か?」

「変ってわけじゃないけど」

 はっきりしないな。

「接点があるなんて、ねぇ」

「……そんなお前は、半澤と同じクラスなんだろ? 何かあいつのことで、知ってることないか?」

 リンはんー、と上目遣いで考え込み、答える。

「さあ? 噂程度のことしか知らない。さわくん、いつも一人だから。話しかけたことなんてないわ。そもそも私、男子となんて話さないし」

「じゃあ俺は何なの?」

「みーくんは例外。話してると楽しいもの」

 そういうもんかね。

 煮え切らない思いを抱えつつ、飲み物を持ってこようと席を立つ。

 台所に行くと、姉貴が流しに寄りかかり、紙パックの牛乳を飲んでいた。

「何やってんの?」

「見てのとおり、牛乳飲んでんのよ」

「何もいじってないよな?」

「いじってないわよ」

「よかった」

 心の底から安堵すると、姉貴は顔をしかめる。

「失礼ね。あたしがいじるとそんなに酷い?」

「ひでーよ。卵は無尽蔵に使うし、その割出来上がるものは掌サイズのダークマタだし。フライパンいくつ黒焦げにした?」

「う……」

 本当なら台所立ち入り禁止にしたい。それはさておき。

 冷蔵庫を開ける。飲み物はなかった。代わりに卵を二つほど取り、早々閉める。ついでに牛乳飲んでいる姉貴を睨んでおこう。

 やかんに水を入れ、火にかける。その傍らでボウルに卵を割り、砂糖、市販のホットケーキミックスを入れてかき混ぜる。フライパンに油を敷き、菜箸で温度を見て、生地を流したところで、脇から「うぅ」と呻き声がした。

「目が回る」

「なんでだよ?」

 姉貴が頭を押さえていた。

「だってあんたの手並み早すぎ。なんでそんな流れるような作業ができるの? 男のくせに」

「むしろなんで姉貴はできないんだよ? 女のくせに」

 混ぜっ返すと「可愛くない弟」とか言って姉貴は引っ込んでいった。

 やかんが悲鳴を上げる。慌てて火を止めながら、さっきの姉貴は一体なんだったのか、と考えても意味のないことを思っていた。

 客用のティーカップにインスタントのコーヒーの粉をわさわさ入れてお湯を注いだ。リンは紅茶を飲まない。コーヒーじゃないと怒る。それも体に悪いんじゃないかと思うような濃さじゃないと納得しない。

 客のくせに五月蝿い奴、とか思いながらフライパンを返す。いい焼き色だ。

 ホットケーキにバターを乗せて苺ジャムを瓶で持っていく。コーヒーも盆に乗せて部屋に戻った。

「待たせたな」

「わぁい、みーくんのホットケーキだ」

「……これが目的かよ」

 呆れながら座ると、遠慮なしにホットケーキにフォークを刺したリンが幸せそうに頬張る。幸せそうだからいいか。

「んー、美味し。あ、目的はこれだけじゃないわよ。早速本題いこっか」

 リンはポシェットからぴらりと紙わ出す。二枚の細長い……チケット?

「何? これ」

「坂向こうの花畑の入場券よ。今度の日曜、一緒に行かない?」

 みーくん、花好きでしょ? と言われ、驚く。知っていたのか。

「この花畑ね、今年の夏で閉園するらしいの。ラストチャンスよ」

「ん。じゃあ行くか」

 ふふっとリンが笑った。



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