2.落とし子《ドゥーモ》
その日、
本当に、ふと気づくと、パンプスでは到底歩けないような森の中に、背の高い木々に囲まれ、有華はぼけっと立っていた。踏みしめるアスファルトの感覚がまだ残っている。だが、今は、葉っぱが折り重なったぶわぶわとした土の上に立っている。
「は?」
間抜けな自分の声に自分で驚いて、そこからは現状確認に動き回った。
辺りを見渡し、少し走って、何度もこけそうになりながらここがどこなのかを知るために動いた。
が、自分の見知った風景はひとつも見当たらない。
手にはコンビニで買った冷製パスタとプレミアムなビールの缶が二本。おつまみのサラミも一緒。今日は金曜日だったから、映画でも見ながら晩酌だと買っていたのだ。肩からは仕事用のカバン。私は何も変わっていない。変わったのは、世界だ。
どこか遠くで猿の鳴き声のようなものが聞こえた。同時に、自分じゃない何かがガサガサと茂みを揺らす音がする。
さらに何かとても重いものがズンッと落ちた。振動が地面を伝って有華のところまでやってくる。また、ズンッと。それはまるで、ゆっくりと歩みを進めるものがいるようで、そちらから目を離せない。ズンッと。合わせて有華も後退る。
ガサガサとすぐ目の前の茂みが揺れたと思ったら、そこから、恐竜図鑑に乗っていてもおかしくないような、それが現れた。濃い茶色で、大きな目玉がギョロリと3つ。その一つからは傷があるのか赤い液体が、血が流れている。口から覗く歯は鋭く尖っていて、到底仲良くなれそうにはない。四つ足で歩いていたが、有華よりも背が高かった。
声をあげてはいけないと、本能的に口をふさいだ。が、そのせいでコンビニ袋がガサガサと音を立てた。相手に自分の存在を知らせるには十分すぎるほどの音だった。
逃げなければと頭では思っているが、身体は全く反応しない。咆哮を上げる恐竜もどきの大きな口が目の前に迫ったとき、爆発が起こった。
恐竜の顔が目の前で吹っ飛んだ。
煽りを喰らって、有華も後ろへ吹っ飛んだ。
動物園の象くらいありそうな巨体がゆっくりと倒れこんでも、有華はそのまま目を見開いて座り込んでいた。
「ねえ見た? 喰われるまで動かないってどんな自殺願望者?」
「恐怖で動けなかっただけでしょう!! 大丈夫か?」
突然現れた赤茶の髪の男が覗き込んでくるが、有華は最初の人を馬鹿にしたような言葉を吐いた人物から目を離すことができなかった。
銀髪に銀の瞳の人形のような、フェナから。
「とりあえず立ったら? それにしても、変わった格好だね……これって」
「フェナ様! 角残してくれてます!?」
さらにもう一人赤茶よりも若い薄い茶色の髪の男がやってきた。
「うわっ! 嘘だろ!? 粉微塵じゃん……フェナ様!?」
「うるさいな、人がいたから仕方ないだろう?」
「そんなこと言って! 爆発させるの大好きだからやっただけでしょ! 角取れたらとってこいって言われていたでしょう!」
「とれたら、だろ? とれませんでした、おしまい」
「はぁー!?」
目の前で繰り広げられる口論にようやく命があるという実感がわいてくると同時に、生きていると心臓がものすごい勢いで主張してきた。止まっていた血流を全力で流し始めたようで頭がくらくらした。
「おっと」
倒れこみそうになる有華をいつの間にかそばにしゃがんでいた赤髪が支えてくれる。
「気をつけて」
ありがとうございますと答えようとしたところに、フェナが割ってはいる。
『君、名前は?』
『椎名です』
フェナに食って掛かっていた茶髪がこちらを向く。そして落としてしまったコンビニ袋を指差す。
「それはなんだ?」
「これ? これは私の夕飯で……」
『魔物の夕飯になりそうだったのは君だけどね』
とは、もちろんフェナだ。
『あ、その、助けていただいてありがとうございま、す?』
三人は答える有華をじっと見つめてから、お互いに目配せして頷き合っている。なんだか居心地が悪い。
「まあ、立ちなよ」
フェナがそう言うと、赤髪が手を貸して立たせてくれた。だが、腰が抜けていたようで、ふらついてフェナの方へたおれこんでしまった。とっさに差し出された腕をつかむ。
フェナの息を飲む音が聞こえた。
「すみません」
慌てて離れるが、フェナは目を薄くして有華を見ていた。
「落とし子だよな、バル」
「まあ、そうだな。三言語はまずない。それに格好も見たことがない。どうします? フェナ様」
バルと呼ばれた赤髪がフェナに問うと、少し間を置いてその美しい顔をさらに綻ばせにっこりと笑った。
「もちろん、今日この場に居合わせたということが大樹様のお導きである。街に連れていこう。歩けるか、シーナ?」
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