第5話 とんでもないものを育ててしまった

 私は、そこにいた“彼”を凝視した。

 逆光でわかりづらかったが、彼は亡くなったはずの夫に似ていた。


「あ……の……」


 そんなはずはないと思いながらも、私は確かめようとした。

 心臓はどくどく鳴りっぱなしで、喉はカラカラだった。


「おかえりなさい、結衣子さん」


 夫に似た低い声で、私の名前を呼んだ。

 ──でも、違う。


 夫は──ケイは、私を「結衣子」と呼ばない。

 落胆と同時にホッとする気持ちもあった。

 しかし、それならば大きな問題点がある。


「あなた、一体誰なのよーーーー!?!?」


 ようやく、現実に戻ってきた気がする。

 夫に兄弟はいないはずだし、それに何より、どうやって入ったの!?

 取り乱す私とは逆に、彼はいたって冷静だった。


「……あ! すみません! 初めまして、ですね!」

「そういうことじゃなくて!」


 初めましてのあなたが、私の家に入り込んでいることが問題なのーー!!


「俺は、結衣子さんに育てていただいた種ですよ」


 …………は?


 もう、わけがわからなくてフラフラするのを、ぐっと堪えた。

 種? そういえば、芽が出てたわね。

 って、その場所は、植木鉢が置いてあったところ!


 距離を保ちながら、慌てて植木鉢を確認した。

 すると、彼の足がすっぽりと土の中に収まっていたのだ。


「はああああああああっ!? どういうこと!?!?」

「育ててくれてありがとうございます」

「嫁に行く娘みたいなこと言わないで!?」


 しかも夫の声で!!


 でも、足が土に埋まっているということは、そこから動けないということだ。

 警戒は必要だけど、悪いことは出来なさそうね……。


「ちょっと、確認させて」


 ようやく落ち着きを取り戻してきた私は、とりあえずいくつか質問してみることにした。


「あなた、一体何者なの?」

「俺は、結衣子さんに育てていただいた、人型ひとがた植物です」

「人型植物?」


 確かに、人間の姿をしているけれど……。

 私は、彼の姿を見上げる。髪の色は違うが、まるで夫の等身大だ。


「はい。その名の通り、人型の植物です。なので、足はありません」


 彼の足は、スネの真ん中あたりから土に埋まっていた。

 少しだけ土を掘り返すと、そこからは普通に、植物の根になっていた。


「えぇと……それで、私はどうすればいいの? 正直、困惑しているのよ。普通に花が咲くものと思っていたから」

「そうですか。結衣子さんが困っているのなら仕方ありません。土から引っこ抜いて、数日放置していただければ、普通の草花と同じように枯れていきますので……」


 と、彼は寂しそうに言った。

 ひええええぇぇぇ。それってなんか、虐待してるみたいじゃないの。

 その提案は、ひとまず置いておこう。


「じゃあ……食事は? 人間と同じものを食べるの?」

「いえ、俺は植物ですので。水と、たまに植物用栄養剤があれば」


 そういえば、郡山くんと買い物に行った時に、栄養剤も買ったわよね。

 食費に関しては、問題はなさそうね。


「あとは……。名前、そうよ、名前は?」


 植物を名前で呼んだことなんてないが、人の姿をしてるなら名前があっても良さそうだ。


「名前は、ありません。結衣子さんがつけてください」


 わぁ〜〜……。ペットや子どもならともかく、見た目50代くらいのオジサンに私が名前をつけるのかぁ〜〜。ちょっと、白目になりそうだった。

 一瞬、夫の名前がぎったが、それは違う、と思い直した。

 夫は亡くなった。私はそれを受け入れて一人でよりを育ててきた。その事実を覆したくはなかった。


 彼はケイじゃない。


 私は、彼に名前をつけるために、じっくりと観察した。

 人間離れした鮮やかなオレンジ色の頭髪。これはもしかしたら、花で言うところの花びら……? 目は、私たちと同じ黒目かと思ったが、とても透き通るような琥珀色だった。水分を含んでいて肌艶はいいし、体は茎や枝の部分にあたるのか、緑のスーツ姿だ。

 体格は、スーツを着ていてもわかるほど、がっしりとしている。

 見た目の年齢は50代くらい。本当に、夫が生きていたらこのくらいの年齢だわ。


「結衣子さん、くすぐったいです」


 ……ハッ、しまった!

 つい熱が入りすぎて、彼の体をベタベタと触ってしまっていた。


「ご、ごめん。セクハラだよね……」

「セクハラ……とは、なんですか?」


 ああ、生まれたばかりの植物だもんね……セクハラも知らないのか……。


「と、とにかく。不用意に触ってしまったのは、ごめんなさい」

「俺は、結衣子さんのために生まれた植物なので。結衣子さんの好きにしていいですよ」


 ああああああああああーーーー!!

 夫に似た顔で、声で微笑むのは反則だ。

 私は、耐えられずに両手で顔を覆った。

 って、だから夫に似てるの!?


 でも、似てはいるけど、瓜二つってわけではないのよね。

 微妙にほくろの位置が違ったりとか。

 それはどうしてだろう? と、彼に訊ねてみた。


「それは多分……。もう一人ご主人がいたからだと思います」

「もう一人、ご主人? あ、ああーー!!」


 そうだ、彼は郡山くんとの「共同プロジェクト」のものだった!

 私一人で名前をつけるのは、郡山くんに失礼かな……?


 でも……。


『こんなの咲いたよ!』って、彼を郡山くんに見せられる……!? 

 いや、無理でしょ!

 一体、誰に相談すれば……。


 あ! 種をくれた女性!

 彼女の花屋は、家と会社の間にある。最初に会った時も夜遅くまで店を開いていたみたいだから、まだやってるはず。スニーカーを持って、相談に行って来よう!


「ちょ、ちょっと待ってて! 30分くらい!」


 私は、慌てて家を飛び出した。


 あの時の裏路地まで急いで来た。

 確か、花屋は十数メートル奥に入ったところ……のはずだったのだが。


「な、ない!?」


 そこは、お店どころか何もなく、壁だった。


「嘘でしょ、場所を間違えた?」


 もう少し奥まで進んでみるが、あるのは飲み屋ばかりで花屋はひとつもなかった。

 あの日、私は確かに花屋へ連れられて、このスニーカーを借りて種をもらった。今思うと、あの女性はどこか不思議な感じのする人だった。夢じゃなかったとすると、あの女性は幽──。


 いやいやいや! そ、そんなわけないでしょ。

 雑念を振り払った。


 しかし、これで相談できる人はいなくなってしまった。

 肩を落として帰宅すると、彼は動けないのに嫌な顔ひとつせず待っていてくれた。

 

「おかえりなさい、結衣子さん」


 それどころか、微笑んでさえくれる。

 ああ、本当にどうしよう。

 とんでもないものを育ててしまった。

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