第25話 Cランク冒険者タイロン・トレッダウェイ
まずい。
まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい。
まずい!!
魔石も素材もまったく集められない!!
シオンの奴、魔石と素材を回収し始めた!!
タイロンはハゲるんじゃないかってくらい頭をかきむしり、パーティで借りている家の談話室で唸っていた。
最初、手に入らなかった時はただの気まぐれかと思っていた。
今回はダメでも次は回収できる。
だからギルドから、
「そろそろノルマを達成しないとBランクすらギリギリですよ」
と言われたときも大丈夫だと返した。
大丈夫な訳あるか!
おかしくなったのはシオンとライラが一緒に行動し始めてからだった。
最初はシオンが雇ったのかと思っていたがどうやら違うらしい。
ライラが自分からシオンについて行っているようだった。
布の袋をひっさげて。
お前俺の女のくせに何やってんだ。
お前は俺に惚れているはずだろ。
そう何度思ったか知れない。
このままじゃまずい。
そう思いながらも、一度体験した贅沢からぬけきることができず、また、ブランドや体裁というものを捨てきることができず、タイロンはほとんど何もせずに一日一日を過ごしていた。
◇◇◇
ライラが声をかけてきたのはそれから一ヶ月後のことだった。
その頃すでにタイロンはCランクにまでなっていて、周りからは心配の声と同時に、落ちぶれたという声が聞こえてくるようになった。
いつの間にかパーティメンバーはBランクにしがみつくために魔石を買いあさっていたようで、Cランクに落ちたのはタイロン一人だけ。
憤慨どころの話ではない。
すぐに全員をクビにして、いま、彼は一人きり。
そのうちあいつらもCランクに落ちてくるはずだ。
誰のおかげでいままでいい思いをしてこれたと思っている。
そんな鬱屈した気分を晴らすために店の奥まった場所で飲んでいたところ、天使のような声が聞こえて、振り返る。
ライラが立っていた。
「タイロンさん」
禍福はあざなえる縄のごとし。
やっぱりライラは俺のことを想っている。
だからこうしてやってきたんだ。
タイロンはニッと微笑んで、Aランク時代に鏡で鍛えた威厳のある表情を浮かべてライラを振り返った。
「ライラじゃないか! ほら、座るといい。おごってやろう!」
「いえ……あの、パーティの他の方は?」
タイロンは一瞬睨みかけたが、精神力でそれを抑えて、
「俺のパーティは皆ダメな奴でな。今新規メンバーを募ってる。そうだ、よかったら俺のパーティに入れてやるぞ? 今はCランクだがすぐにAランクになれる。俺と一緒ならライラだって上のランクに……」
「いえ、お断りします」
ダン!
と右腕が理性を飛び越えてテーブルを殴っていた。
ライラはそれに驚いて数歩後退る。
酒場がしんと静まりかえる。
タイロン自身も自分のやったことに驚いて、
「ああ、いや、すまん。虫がいたんだよ。虫が。ははは」
乾いた笑いを漏らした。
ライラは軽く緊張していたが、唾を飲み込むとすぐに姿勢を正して、腰にぶら下げていた剣を外した。
それは、いつか、タイロンが買ってやった剣。
布石の、剣。
ライラはそれをずいとタイロンの前に突き出すと、
「これ、お返しします。もうアタシには必要のないものなので。今日はそれだけ言いにきました」
ライラはそう言って、未だタイロンが拳を握りしめているテーブルの上に、パトリックの剣、ライラが尊敬していたはずの冒険者の剣を置いた。
「ちょっと待て。ライラ……どういう意味か解らない。君はアイツのことを尊敬していたはずだろう? この剣を使って、有名な冒険者になってアイツの名を知らしめるんだと言っていただろう? どうして今になって、この剣を返すなんて……」
「解りますよね? タイロンさん」
ライラはタイロンをじっと見た。
その目には、憐れみが映っていた。
「アタシ……アタシ、パトリックさんのこと信じてました。そしてタイロンさん、あなたのことも。信じてたんですよ? もしいちどCランクになったとしても、タイロンさんなら自分で戦うようになるって。なのに今あなたは……」
「そんな目で俺を見るな」
タイロンはついにライラを睨んだ。
「お前のせいだ。お前とシオンが結託して俺をこんな目に遭わせたんだ。お前があんなことをしなければ俺はまだAランクで、悠々自適な生活を……」
ライラは深く溜息をついて、
「自分のせいでしょう?」
今度は右腕だけではない。
全身が理性を振り切って、ライラを襲おうとした。
目の前が真っ赤になって右腕を振りかぶろうとする。
が、その腕は上がらない。
見ると、いつの間にか、一本の矢が、タイロンの袖をテーブルに縫い止めていた。
「ママに手を出すな。殺すぞ」
声がしたのは店の入り口で、タイロンが顔を上げると、
そこにグウェン・フォーサイスが立っていた。
美しく輝く弓を左手に構えている。
待て。
入り口からここまで何人客がいると思ってる。
何人店員がうろついていると思ってる。
いくつテーブルがあって、いくつ柱があると思ってる。
このテーブルは、この酒場で一番入り口から遠いんだぞ?
違いすぎる。
格が、違いすぎる。
「グーちゃん、邪魔しないでください。殴られたって平気です。だって、……」
ライラはタイロンを見て言った。
「アタシ、今回は間違ったことを言ってませんから」
胸を張って、ライラは言った。
グウェンは酒場の入り口からまっすぐこちらに歩いてくる。
まっすぐというのは比喩ではない。
人がいようが、テーブルがあろうがまっすぐ進み、椅子を踏み越え、テーブルに土足で上がって降り、柱に肩をぶつけて、呻きつつ、ライラの隣に立った。
それだけで敵対を示すには十分だった。
タイロンは袖を破って矢から外すと、剣を握りしめて、逃げだそうとした。
「待ってください!」
ライラの叫びに、タイロンは立ち止まる。
まだ何かあるのか、どんな恨み言を言われるのかと振り返ることもできない。
もうおしまいだった。
自分のブランドは、Sランク冒険者と敵対したことで地に落ちた。
それなのにまだ……。
ライラの声がする。
「タイロンさん。地道に冒険者をしてください。Cランクでもいいじゃないですか。あなたのランクは嘘でした。でも、あなたへの尊敬は全てが嘘だったわけではないでしょう? あなたの教えで救われた冒険者がいたのも事実です。あなたを心配する声はまだ消えていないでしょう?」
「尊敬? 心配? こんな俺を、誰が……」
タイロンは下唇を噛んだ。
解ってる。
惨めだと思われたくないと考えすぎて、自分を心配する声まで無視していたことくらい、解ってる。
今も酒場のあちこちから自分の名を呟く声が聞こえる。
嘘を、ついていたのに……。
まやかしだったのに……。
「だから、その剣を返します。きっとアタシより、あなたに必要な物だから」
ライラの言葉にタイロンは握りしめた剣を見る。
パトリックの剣。
同じ村から一緒に出てきて、先に死んだ冒険者。
「二人で償えってことか?」
「いいえ、二人で始めてください、もう一度。パトリックさんを尊敬できる存在にできるのは同じ業を背負ったあなただけです」
タイロンは首にぶら下げた冒険者証を二つ取り出した。
片方は銅で、もう片方は金。
深く溜息を吐く。
こんな場所で惨めな思いをし続けたくない。
きっと落ちぶれた今の状態をバカにしてくる奴が少なからずいる。
すでに何度か嘲笑されている。
とっとと出て行きたい。
そう思う反面、まだ尊敬してくれる奴らがいるこの場所でやり直さなければ一生何もできないと思う自分もいる。
タイロンは振り返り、ライラの目を真正面から見た。
「まずはこの剣を打ち直そう。それからじっくり考えることにするよ」
それから、とタイロンは酒場全体に言うように、
「すまなかった」
そう頭を下げると、剣を握りしめて外へと出た。
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