第一章 ライラ・マリー編
第3話 シオン・スクリムジョーは嫌われている(ライラ視点)
尊敬していた先輩冒険者の形見が市に売られていた。
信じられなかった。
装飾の入ったその
鞘の装飾は一部が削り取られていて、それは巨大な魔物との戦闘時にやむなく防御したときについた傷だと誇らしげに語っていたのをライラは思い出す。
間違いない、これはあの人のだ。
でもどうしてここに?
あり得ない。
あの人はAランクで、ダンジョンの最下層に向かっていた。
あの日のことをよく覚えている。
雨あがりの草と土の匂い。
依頼のあった村に向かうライラたちパーティの側を幌馬車が通り過ぎて、土が跳ねて、ライラと同じパーティの男が舌打ちをする。
幌馬車が止まってあの人が顔を出して、「ごめんごめん」と謝って途中まで載せていってくれた。
彼の顔には緊張と、それを吹き飛ばすような笑み。
鼻の奥がつんとして、視界が軽く揺らぐ。
ライラは一度目をぎゅっと閉じて、開いた。
「お客さん、それ、気になるん?」
形見の剣を売っていた女が屋台の中から身を乗り出す。
健康的に日に焼けた肌。
首だけ上を見れば短く切った髪とつり上がった目、整った顔から男にも見えなくないが、それを真っ向から否定するようにざっくりあいたシャツから大きな胸元が見えている。
ライラは彼女をぎっと睨むと、
「その剣、どこで手に入れたんですか!? それは……、それは……!」
「ああ、これ? ある人から買ったんよ。ええ品でしょ? 傷ついてるのが玉に瑕やけど」
「誰からですか!?」
「……言えんよ。ちゅうか、聞いてどうするん?」
「それは……」
どうするんだろう、とライラは自問する。
先輩冒険者のパーティはあの日、一人として帰ってくることがなかった。
まるで先輩の存在がなかったかのように。
よくある話だと片づけてしまえるほどライラはすれていなかった。
もしも自分が死んだら同じようになかったことにされてしまうんだと夜も眠れなかった。
首にぶら下げたネックレスはDランクを示す鉄で、太陽の光を反射するくらいには真新しい。
「で、どうするん?」
商売人の女性に言われて、ライラは下唇を噛んだ。
買って手元に置いておきたいという衝動が喉元まで出かかる。
しかし、絶対に手持ちでは足りず借金しなければならないのは確実で、そんなことあの人は望んでいないという理性が衝動を抑え込む。
感傷にいつまでも浸ってられない、けれど、忘れたくない。
冒険者として身も心も未熟で、汚れる覚悟も純粋でいようと吹っ切れる覚悟もない、中途半端な自分に腹が立った。
「いらっしゃい」
うつむいて目元が潤んできたところに、商売人の女性の声。
見ると隣に、同じく冒険者の男が立っている。
見たことがある。
あの人と同じAランクで、あの人の直後に
確か……、
「タイロンさん」
「ああ、ええと、君は……」
「ライラです。ライラ・マリー」
「うん。そうだ、その名前だ。アイツがよく口にしていたよ。その剣の持ち主だったアイツがさ」
「え……ほんとですか? あの人が……」
「真面目で覚えがよくて、少し正義感が強すぎるところはあるけれどいい教え子だといっていた。俺はアイツと同郷でね。よく話をしたんだ」
タイロンは商売人に許可を取って剣を鞘から抜き出す。
引き出された刀身は途中で折れていて、戦闘の激しさと先輩の無念が如実に表れていた。
ライラはこらえきれなくなった。
嗚咽が聞こえないように手で口を押さえて、顔をそむけて、けれどあふれる涙は止めようがない。
あの人が覚えていてくれたという喜びは、厚い悲しみに塗りつぶされてしまった。
タイロンが剣を鞘に戻す音が聞こえる。
「俺が買おう。いくらだ?」
商売人が提示した金額はやはりライラには到底手の届かない金額だったけれど、折れているのも加味してか法外な値段というわけではなかった。
「良心的やろ」
女は笑みを浮かべているが、タイロンは無表情で懐から銀貨数枚を出して支払った。
「まいど」
誰かに買われるのは悔しかったけれど彼ならまだ許せる。
そう考えているとタイロンは受け取った剣をライラに突き出した。
「え?」
「君が持っているといい。形見なら、俺も持ってるんだ」
そう言って彼はもう一方の手でネックレスを引っ張り出した。
金の冒険者証が二つ。
タイロンは深く息を吐き出して、
「アイツを思い出してくれる人が一人でも多くいてほしい。俺たちは冒険者だ。いつ死ぬかわからない仕事だ。けれど思い出してくれる人がいる限り、その存在は消えない。冒険者が名誉を求めるのは、皆の心に残りたいからだ」
ライラは両手で恭しく剣を受け取った。ずっしりとした重みがある。
「打ち直して使うといい。鞘の中に先端まで入っているから、打ち直しの費用は少し抑えられるはずだ。アイツもそれを許してくれる」
タイロンの言葉を反芻する。思い出してくれる人がいる限りその存在は消えない。
(だったらアタシは、アタシ自身の存在を知らしめることで、あの人の存在が皆の心に残るようにしよう)
「この剣を使って、戦います。アタシ、有名な冒険者になります」
ライラはそう強く決心した。
タイロンは代金はいいと言っていたけれど、必ず返すと約束する。
結局借金してしまったけれど商売人のあの女にするよりもずっといい。
ライラはあの人の剣を胸に抱えてタイロンの隣を歩き、冒険者ギルドにたどり着いた。
夕暮れ時で
ギルド内は騒々しい。
受付は依頼達成の処理を待つ長い列ができていて、魔物の体内から抜き取った魔石の詰まった袋がカチャカチャと音を立てている。
「それにしても誰があの剣を売ったんでしょう。そもそもどうやって手に入れたのかもわかりませんし……」
「……ゴブリンっているだろう? 集団行動に長け、武装して攻撃してくる面倒な奴ら。あいつらはダンジョンで死んだり、敗走したりした冒険者の武器や防具を拾って身につける性質があるんだ。わざわざ深い階層に潜って回収してくるんだよ」
「それ、あの人に教えてもらった記憶があります。ゴブリンは生け贄を捧げたり貢ぎ物をして下の階層の魔物に食べられないようにしてるって。……ああ、だから最下層にあったこの剣を持ち出せたんですね。それを誰かが奪って持ち帰り、売った」
「売ったのはシオン・スクリムジョーだ。知ってるだろ。ほら」
タイロンが指さした先に、今まさにギルドに入ってきた男がいる。
シオン・スクリムジョー。
二十歳くらいだろうか、首からぶら下がっている冒険者証はライラと同じ鉄でDランク、顔は悪くないし、立ち姿からも体の厚みからも相当鍛えていることが窺える。
もし彼に変な噂がなくて、Cランクくらいの実力があって、指導する側に回っていたのだとしたら、結構な数の女性が周りをうろついていてもおかしくない。
実際はそうじゃない。
彼は今も皆に睨まれ、軽蔑のまなざしを向けられている。
「シオンはな、依頼を受けるわけでもなく、村や街を襲う魔物を討伐するためにダンジョンに潜るわけでもない。ただ死んだ俺たち冒険者の装備品を売るためだけにダンジョンに潜ってる奴なんだよ」
「な、なんですかそれ! ヒドい!」
「それにな、ダンジョンで緊急時以外は使用を禁止されている強力な魔物除けをいつも使っているって話だ。まあこれは噂程度であまり信用できないが。……なぜ使ってはいけないか解るか?」
「逃げた魔物がダンジョンの外に出るかもしれないから、ですよね?」
「そうだ。よく学んでるな」
タイロンがそう言って笑みを浮かべたあたりで、シオンと他の冒険者が口論し始めた。
シオンは「俺の何が悪い」だの、相手のことを「ガキ」だのと言っている。
タイロンは溜息を吐いて、
「ったく。仲裁してくる」
そう言って行ってしまった。
ライラはシオンの方をじっと見て、あの人の折れた剣を握りしめた。
その姿を忘れないようにじっと。
尊敬していた先輩は人一倍魔物から人々を守ることを考えていた。
――魔物を追い払うだけじゃダメだ。楽をしようと思っちゃダメだ。その緩みがいつか誰かを殺してしまうから。
そんな先輩の思いを踏みにじられた気がした。
許せない。
ライラの中で正義の炎が燃えていた。
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