第30話 トロールとナーガ

「ポチ! プチ! 後ろ……頼んだぞ――ッ!!」


 東寄りの川へ向かう最中に魔獣と遭遇。


 やっかいなのは、この目の前で威圧感を垂れ流す『トロール』。

 体躯はキュクロプスやミノタウロスよりも大きいかもしれない。土や石で体が作られているのか、飛び出た枝が多く毛むくじゃらな姿に見える。

 形は様々と聞くけど、今はひと……というか鬼とかを模しているのだろうか。


 手記によればキュクロプス、ミノタウロス、そしてこのトロールは力関係としては互角に近いらしい。

 ようするにこの周辺はこれだけ強い魔獣が至る所に潜んでいるという危険地帯ということだ。



『パゥ――ゥゥゥゥゥッ!!』


『プォォォ――ッ!!』


 そして背後で囲んでいるのは狼によく似た魔獣たちだ。

 お馴染みの『灰茶色の魔獣ガルム』、そして『群青色の魔獣ハティ』や『鬱金色の魔獣スコル』と計三匹がポチたちと向かい合っている。


 最悪なのは今までと違って、このトロールが、ガルムたちを率いていた。ということだ。

 連携なんてされたらたまったもんじゃない。


 もともとぼくが引き付け役をしていなかったのも、ぼくには遠距離攻撃ができないから、という理由もあった。

 武器も短剣なので、どんなに強力な魔獣相手でも至近距離でやり合わなければいけない。

 せめて折れていない長い剣でもあれば違うんだろうけど、拾った長剣はこれまでの戦いで全て折れてしまった。ないものねだりはここでは死を招く以上、今できることで凌がなければいけない。



「主導権は渡さないぞ――ッ!!」


 見合った時間は束の間。

 トロールに向かって風を裂いて突っ込む。

 魔獣は基本的に攻撃に長けている個体が多い。だからこそ引き付けの役目といいつつ、防戦一方では分が悪くなるだけだ。


 飛び込み様に短剣を一閃。片腕を切り落とす。それでもトロールは呻き声すら上げず、落ちた腕に一瞥をくれると踏みつける。


 いける……――って、作りかよッ!!


 すると、切られた部位から土が増殖するように膨れ上がり、再度腕を作り出した。

 踏みつけていた腕はすでに足から吸収され、その場から消失していた。


「だったら……これでどうだァァァ――ッ!!」


 次は逆側の腕を切り落とした瞬間に、さらに細切れに切り刻む。

 すると初めてトロールは、怒りを込めた呻き声をあげることとなった。


「自分の魔力が染み込んだ土じゃないとダメってことだな……?」


 これなら引き付けるだけじゃない。

 倒しきれる――

 そう心が叫んだ時、ぼくの足が共鳴したように大跳躍を繰り出した。


 この崖下の鉄則だ。

 れると感じたなら迷うな――


「元が土なら顔なんていらないだろ! 今すっきりと……――!?」


 そこでトロールが大きく口を開いた。

 元々が土や石や草である以上、口の可動域の限度なんてない。

 さらに口の奥に光る星が二つ……じゃない!?


 だから、その鉄則は……


「目……? や――ばッ!!」


『プォゥッ!? プォッ!』



 相手も同じ、ということだ。


 ガパリ――と開けられた口から噴射されたように飛び出たモノ。

 それはトロールたちと同等の力を持つ大蛇。『ナーガ』だった。


 まるで反り返った剣のように、細く鋭い牙が立ち並ぶ大口を身動きの取れないぼくに向かって遠慮なく閉じた。


 ゾブリ……――とぼくの脇腹を容易に抉り取る音が耳に纏わりつく。


 全身を丸ごと食われなかったのは、咄嗟にプチが炎の角をナーガに向かって放ってくれたおかげだろう。


 トロールとナーガ。

 すでに他の魔獣を処理しているとは言え。


 これは……無理だ。


 倒すことはもちろん。


 で逃げ切ることも――だ。


 だから……


 ぼくはここまでなんだろう。



「に……げろ! ポチ! プチ! この場から逃げろォーッ!!」


 最後の気力を振り絞って叫ぶと、受け身をとることもできず、地面に叩きつけられた。


 グチャリ――とお腹から何かが零れる音。

 それは今までに感じたことのない身体の中を這いずる不快感だ。

 耳にこびりついたんじゃない。

 耳の内を埋め尽くし……溢れた。そんな感覚を覚えた。



「ぼくは……もう無理だ! だから……お前たち……――だけでも逃げろ……ッ! 早く……――行くんだよッ!!」


 叫ぶだけで腹部から血だけでなく、何か飛び出てはいけないものが零れ落ち。

 が地面と擦れる感触は、おびただしい数の蛆がもぞもぞとうごめいたようにも感じられた。


 だから。

 なおさら腕で抑えてもそれは無意味な行為だと感じてもいた。


 唯一の救いはすでに『痛い』という感覚がないことだ。貧弱なぼくの身体は一気に致命傷そこを飛び越えてくれたらしい。



崖下ここはそういう場所なんだよッ! 弱い者から脱落する! 自然の摂理なんだ! 早く……――行け!! 何してんだ――ッ!! はや……く……」


 叫んでなければ意識が保てない。


 決意や出会いの割りにあっさりかな――なんて思った。けど、世界はそういうものだ。

 覚悟を決めて自分の終わりさえも決められるのは強者の権利だ。

 弱者に終わりを決める権利なんて誰も譲ってくれない。


 初めてのガルムとの戦い。あの時、大爪おおづめに呟いたように悟ったような終わりを迎えるなんて思考はもちろんない。

 それでも……泥臭く粘る気持ちはいくらでも湧いてくるのに、身体がいうことをきかない。


 だからこそ……弱者と呼ばれるのだろう。


 でもふたりは……それを決める強者になれる素質がある。

 だからいつか来るその日のために……欲を言えばこんなぼくの命でも、糧になりこの世界の残酷さ……ううん。自然がもたらす平等がどういうものかを学んでほしい。


 そしていつか……誇り高いあの姿を取り戻してほしい。


 最後にまともな別れを言えないことだけが心残りだけど、少し贅沢を言いすぎだろう。



 なのに……


 それでも……



 ポチとプチは動かない。



 どころか――




『パゥ……ゥゥ……グルゥ……――』


『プォォ……ォォ……ヴヴォゥ……――』


 いつかどこかで聞いた……身震いどころか生を諦める唸り声が微かに、でも確実に響き始めた。


 朱く染まった視界と薄れていく意識の中。ぼくはポチとプチにかつての二匹の姿が重なったようにも見えた。




『グァアァアアア――――ッッ!!』


『ヴォオォオオオ――――ッッ!!』


 あの偉大な魔獣の咆哮が空っぽのお腹に鳴り響くと。


 ぼくの意識は唸り声を子守唄に、深く沈み込んでいった。

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