本編【氷の花】

京野 参

序章

序章


【然れども人は】



 壊れて動かなくなった玩具や穴のあいたぬいぐるみ、破れた絵本が散乱し、壁紙は傷だらけだった。

 そんな部屋にある白い扉の僅かな隙間から、こっそりと、外の様子を見る。



「……大丈夫。キミのことは、ボクが死守する」



 部屋の外にいる黒い服の男と目があった。

 その男は、その精悍な顔のあちこちに細い傷があって、血が流れていた。その男の血の匂いはとても良い匂いだった。思わず、腹の虫が鳴く。けれど、そんな魅力的な芳香を放つ男を、"食べたい"とは思わなかった。


「……さ、もう少し部屋の中で待っているんだ。これが終わったら、ボクも新しい玩具を持って行こう。だから、ね?」


 男は優しく語りかけてから、背を向けた。


 男の視線の先には、口まで隠れる高い襟を血でよごした白い服を着た少年が立っていた。その少年はこちらの視線に気がついたのか、こちらを見て目だけで笑った。


 しばらく、少年の金色の瞳を見つめていると、黒い服の男の手によって、強引に扉が閉じられた。危うく鼻を挟みそうになる。



「……キミは、この戦争において、何も関係ないのに」



 男が扉越しに言う。



「───」



 そして、その言葉の余韻は、剣戟の音によってかき消された。


 …………………


【正しき場所へ】



 黒い雲が大量の水を地上に向かって撃ちつけている。


 仲間を守りたかった。ただ……、それだけなのに。

 大きな木の下で、黒い雲の攻撃をしのぎ、寒さと恐怖に震える。


 すると、目の前に人間が現れた。

 人間はその手に漆黒と黄金の剣を持って、ゆっくりとこちらに近づいてきた。



「……どういうことですか?」



 どうもこうもない。ただ、仲間を守りたかっただけだ。

 返答を聞くと、人間は顔を怒りに歪ませた。



「あれは、俺達の仲間じゃありませんよ。敵です」


「──人は皆、愚かだと。決して分かり合えない種族なのだと、貴方は決心されたのでしょう?だから、ようやく目を覚まされたと思ったのに。このザマですか」


「──やはり、貴方の血は、汚れている」



 その言葉の後に、人間は僅かに動いて、こちらとの距離を縮めた。


 そして、ズキズキと、激しい痛みを左胸に感じる。

 いつも以上の鋭い痛みに屈して、声を上げようとすると、それよりも早く、口から血を吐いた。



「貴方は、もう必要ない」


「───」



 人間が左胸に突き刺した剣から、"死と再生の呪詛"が身体に埋め込まれていく。

 人間が去ったあとも、タバコの香りが、いつまでも鼻に残っている。


 …………………


【塔の悪魔】



 氷の塔の最上部。

 緑碧玉のような美しい目をした青年はこちらに向けていた銀色の剣を下げた。


 その瞬間、戦いに終止符を打つかのように風が凪いだ。



「───」



 青年は、戦いで上がった息を整えながら、言葉を絞り出した。



 …………………


【最愛のもの】



 傷ついた機械が、不規則に黄緑色の光をチカチカと放ちあっている。まるで、目の前に広がる惨劇を見て、悲鳴混じりに会話をしているようだ。


 広い空間、赤黒い血だまりができている。

 その血だまりの中心に、白い毛皮を羽織った、美しい金髪の女がいた。


 女の前には、黒い化物がいた。

 黒い化物は大きな翼をたたみ、長い尻尾の先をゆらゆらと揺らしながら鎮座して、白く光る目で女を見ていた。



「───」



 そして女は、何かを言ってから化物に食われた。


 ………………………



「ごめんなさい」



 そんな、謝罪の言葉。

 その力の強さは、人によって、時や場合によって異なっていた。


 しかし、必ず俺を『不幸』へと導いた。

 誰かの不幸せの上に、誰かの幸せが立っているのだと、その短い言葉は、俺に何度も実感させるのだった。


 ──だから、もう一度。せめて、もうひととき。

全身全霊をかけて、ただ、あなた達を守りたい。


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