この回に大事な伏線が一つあります。(難易度:EX)

 現場は本当に近かった。

 あまりにも近すぎて、白石さんよりも私が先についてしまったくらいだ。

 現場にあるのは、幌のかかった大きな荷車。荷車は片輪が破損していて、動かなくなった荷車の下に人がいた。


「そ、そこの人ー! 助けて、ここです、ここにいます! ここで! 美少女が! 尽くすタイプの美少女があなたに助けを求めています!」


 ……なんていうか。

 ものすっごく変なやつが、荷車に押しつぶされてわあわあと騒いでいた。


「関わりたくねぇ……」


:おいこら七瀬

:音入ってますよ七瀬さん

:気持ちはわかるぞ、気持ちは


 小声で呟いたつもりだったけれど、しっかり配信に載っていたらしい。ドローン・カメラに搭載された、無駄に高性能のマイクが憎い。

 周囲に魔物の気配はないし、要救助者も元気そうだ。緊急性なんてこれっぽっちもない。

 一瞬見捨てていこうかと迷ったけれど、リスナーの目もあることだし、さすがに助けることにした。


「上げるよ」


 荷車を持ち上げると、隙間から少女が這い出してくる。

 やけに華美な少女だった。探索者だというのに、ひらひらでふりふりとした服を着ている。見栄えはいいけれど、実用性なんてこれっぽっちもなさそうだ。

 だけどその服も、すっかり泥だらけになってしまっていて。


「うう……。汚されちゃいました……」

「言い方」

「責任、取ってもらえます……?」

「え、なんで?」


:そうだぞ、責任取れよ七瀬

:まじかよ七瀬、お前のせいだったのか……

:七瀬さん、これは謝罪が必要なんじゃないですかねぇ

:そうかな……そうかも……

:みんながそう言ってるならそうなんやろなぁ


 いや、私、助けただけなんだけど。なんでよ。

 疑問に思ってると、少女はこそっと小声でつぶやいた。


「あの、営業とかってご興味ありますか?」

「え、なに急に」

「百合営業です。うちのリスナー、こういうの喜ぶんですよねぇ」

「はぁ……」


:草

:だから音入ってるって

:出会ったばっかの人に営業を持ちかけるな

:でも七瀬の百合営業はちょっと見たいかも

:なあ七瀬、試しにやってみないか?


 やだよ。なんでよ。

 なんだか変な子を助けてしまった。関わらなければよかったとつくづく思う。

 ……まあ、いいか。こういう変なのを相手するのは、下位互換である私でいい。白石さんの手を煩わせなくてよかったと思おう。


「いいからほら、服脱いで」

「ふ、服ですか!? お、お姉さん、意外と積極的ですね……? で、でも、お姉さんがそう言うなら……」

「手当てしたいんだけど」

「あ、はい。そっすよね」


 ちょっと残念そうに、少女は服をまくりあげる。

 簡単に体を診ると、荷車に潰されていた部分が痣になってしまっていた。内出血している箇所もある。見ているだけでも痛々しい。


「あ、あの。もういいですか……?」

「すぐ終わらせるから、そのままじっとして」

「そうじゃなくて。配信的にグロい絵なんで、ちょっと」

「自分の体より配信を心配するんかお前は」


:ド正論パンチ入った

:さすがにこれは七瀬が正しい

:配信映えのために七瀬も脱げばいいんじゃないか?

:七瀬が脱いだって面白くないだろ

:それもそうか


 …………。なんでよ。

 脱がないけどさ。なんでそう軽率に人を傷つけようとするかな、君たちは。

 もうなんでもいいや、さっさと終わらせよう。そんで帰ろう。

 私は腰のホルスターから乳白色のシリンダーを抜き出した。


「お姉さん、それは……?」

「いくよ」


 シリンダーに魔力を通すと、彼女の足元に魔法陣が浮かび上がる。

 地属性魔法、地脈活性・命陣。地脈の力を引き出して、生命力に変換する回復魔法。

 何を隠そう、これこそが私が白石楓の下位互換と呼ばれるようになった元凶だ。

 魔法陣が光を放つと、少女の痣はゆっくりと消えていく。数十秒もすれば綺麗に消えてなくなるだろう。


「え、ちょちょちょ、ちょっと待ってください! お姉さん、もしかしてヒーラーなんですか!?」

「うん、まあ。一応」

「フリーですか!? 体空いてますか!? パーティとかって組めますか!?」


 ……パーティかぁ。

 その言葉を聞くと、正直、あんまりいい気はしない。


「私、ソロだから」


 すっかり慣れた断り文句を、今回も口にする。

 ソロで活動していると、こんな風に勧誘を受けることが度々ある。それも決まって、私が回復魔法を使えると知った後で。

 私には探索者として突出した実力があるわけでもないし、配信者としてキャラが強いわけでもない。ルックスだってぱっとしない。

 そんな私の取り柄なんて、回復魔法だけだから。


「ソロならなおさらお願いします。どうか、どうか一日だけでも……!」

「決めてるんだ。ごめんね」


 初心者の頃、私はずっと一人だった。

 巡り合わせが悪かったんだ。加入申請は毎回のように断られて、誰ともパーティを組めずに、私は一人で迷宮をさすらった。

 ソロでやるつもりなんて、これっぽっちもなかったのに。


 そんなぼっちな毎日も、回復魔法のシリンダーを手にした時、すべてが変わった。

 色々な人が私をパーティに誘った。過去に私の加入申請を断った人たちも、これまで私のことなんて見向きもしなかった人たちも。

 誰も彼もが判を押したような美辞麗句を並べて、最後にはパーティへの勧誘を口にした。


 それで気づくなって言う方が無理がある。

 この人たちがほしいのは回復魔法であって、七瀬杏ではないんだと。


:七瀬ちゃんさぁ……

:素直になりゃいいのに

:一日くらいパーティ組んであげりゃいいじゃん

:大人になれよ七瀬


 うるさいな、決めてるんだよ私は。回復魔法を使った後で受けた勧誘は、全部断るって。

 そんな子どもじみた意地をいつまでも捨てられないせいで、私はずっとソロでやってきた。

 きっと、これからもそうなんだろう。


「とにかく、助かったならもう帰るけど」

「あ、待ってください! もうちょっとだけ手伝ってください!」

「何を?」

「これ、運びたいんです」


 少女は片輪が壊れた荷車を指差した。

 幌のかかったそれには大きな荷物が乗っている。二人でなら動かせるだろうが、一人で運ぶのは難しそうだ。

 だけど、さすがにそれは救助対応の対象外だ。


「……なんで私が?」

「当然じゃないですか、こーんなにかわいい美少女がお願いしてるんですよ?」

「帰る」

「あー! あー! ごめんなさいごめんなさい、本当に困ってるんです! 助けてくださーいー!」


 少女はすがりつくように泣きつく。

 彼女、なりふり構っていなかった。


:美少女アピールがすごいんだわ

:自分で自分のこと美少女って言う人はじめて見た

:言うほどかわいいか……?

:黙ってたらかわいいけど、言動が何もかも台無しにしている

:かわいいけどかわいげがない


 正直、心底関わりたくないけれど、困っているのは本当らしい。

 ……仕方ない。これも何かの縁ってやつか。

 相変わらず私ってやつは、つくづく巡り合わせに恵まれない。


「七瀬杏」

「へ?」

「私の名前。あんたは?」

「ああ、山田林檎です。りんごちゃんって、かわいく呼んでくださいね!」

「山田ね、了解」

「りんごちゃんです!」


:山田だな

:山田でしょ

:これは山田

:山田以外ありえない

:お前みたいなヤツは山田って呼ばれるのがお似合いだ


 いや、その。山田という名前に対して、そこまでの悪意はないんだけど。


「おい山田、重い方はあんたが持てよ」

「へへへへ、そりゃあもちろんっすよ。手間かけますねぇ」

「まったく……」


 山田が壊れた車輪の側を持ち上げて、私が荷車を曳く。片輪だけになった荷車は、ギシギシと音を立てながらのろのろと動いた。

 ……ただ、これ、めちゃくちゃ重い。探索者の身体能力だから動かせているけれど、そうじゃなかったら女二人でどうにかできる重量じゃない。

 それに、臭う。めちゃくちゃ臭う。

 少しだけ非日常の気配をまといつつも、どこか嗅ぎ慣れてしまった匂い。

 それはたぶん、血臭ってやつだった。


「なあ山田」

「りんごちゃんです」

「何載せてんだこれ」

「ああ、これですか。中見ます?」

「……まあ、一応」


 そう答えると、山田は勢いよく荷台の幌を外した。

 その下から出てきたのは、全長二メートルにもなる大きなネコ科魔物の死骸だ。

 喉笛は荒々しく噛みちぎられていて、傷口からは今も血が流れている。半開きの口からは舌がはみ出ていて、見開かれた瞳は無機物のように光がない。

 死骸めいた死骸。死臭めいた死臭。

 それらが醸し出す濃密な死の気配に、思わず顔がひきつった。


「おい、山田……。なんだよ、これ」


 山田は、軽い調子で答えた。


「呪禍の食べ残しですよ」

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