「呪い禍つ外なる獣。あれは迷宮の天敵だ」

「つまり、呪禍っつうのはクソみてえなカスさ」


 ルリリスの説明は続く。


「迷宮の外からやってきて、迷宮内の生き物を好き勝手食い散らかしていくはた迷惑なやつだ。あいつが出ると生態系がガラッと変わる。一匹の呪禍に地域一帯食い尽くされた、なんてこともあったらしいぜ」


 私の隣に立つルリリスは、意外にも情報提供に協力的だった。

 もしかして彼女、人と話すのが好きなのだろうか。私からすれば信じられないような生態だ。やはり彼女は魔物、私たちがわかりあうことはできないのかもしれない。


「迷宮の外、というのは?」


 蒼灯さんがたずねる。


「あ? 外っつうのは外だけど」

「迷宮に外があるのですか?」

「そりゃあんだろ。内側があれば外側もある。当たり前だろ?」

「もう少し詳しく。外側とはなんですか。どこに行けば外側に通じますか?」

「そう言われても、あんま詳しく知らねえんだよなぁ。だって私、迷宮の中しか見たことねえし。つか、外のことならお前らのほうが詳しいんじゃねえの?」

「私たちのほうが……?」

「だって、お前らだって迷宮の外から来たじゃん」


 当然のようにルリリスは指摘した。

 迷宮の外というのは、そういうことか。それなら確かに、私たちは迷宮の外からやってきたと言える。


「あ、でも、お前らが来た外側と、呪禍がやってきた外側はたぶん違うんじゃねえの。お前らって、なんつーか、あれだろ。にゃっとした場所から、にーってやってきたんだろ」


 ……にゃっとした場所から、にーって。


「呪禍は違う。あいつは降ってくるんだ。空の果てより、もっともっと遥かに遠い、星空の彼方から」


 ルリリスは上を見上げる。

 彼女が見ているのは、テントの天幕の向こう側。迷宮に広がる蒼穹の、更にその先。

 つまり、それは。


「……宇宙からの、侵略者」


 そう呟いたのは、天文学者の天井さんだ。

 深刻そうな顔をしつつも、彼の瞳は爛々と輝いていた。


「ご存知かと思いますが、迷宮とは閉じた空間ではありません。この世界にも空があり、その向こうには宇宙が広がっています。そこからやってきたという言葉を信じるなら、そういうことになるかもしれませんね」

「と、とんでもない仮説ですが、そういうことなら近縁種の観測例がないことも頷けますねぇ……。へへ、へへへ。異星生物です、か。いやぁ、楽しくなってきましたよぉ……。本当に、この迷宮という場所は、いくら調べても飽きませんねぇ……」


 生駒さんが補足する。二人の間で、目に見えないボルテージがじわじわと上がっているような気がした。


「だとすると、気になるのは目的か。呪禍とやらが出現したのは一度や二度ではないのだろう。偶然ではない、何か目的を持ってここに来ているはずだ」

「あ? 飯食いに来たんじゃねえの?」

「いや、それは考えにくい。餌を求めて移動したのなら、それは一個体のみの問題ではない。同時に複数の個体がこの迷宮に来ているはずだ」

「そうなのか? じゃああいつ、なんで来たんだ?」

「……ふむ。君、ルリリスと言ったか。君は特に理由もなく引っ越しをするか?」


 植村さんがルリリスに目を向けると、ルリリスは少し怯んだ顔をした。


「ひ、引っ越し? 私、引っ越しなんて滅多にしねえよ。あ、でも最近、家に帰れなくなったから仕方なく根なし草に――」

「住み慣れた故郷を捨て、遠く離れた異星にはるばるやってきたのには理由がある。そういうことですね?」


 植村さんの質問には蒼灯さんが答えた。それを聞いて、植村さんは頷く。


「そういうことだ。本来の住処がどこかは知らんが、その場所は呪禍にとって安定した環境だったはずだ。生駒、どう思う」

「そうですねぇ……。元々の生息域を離れる理由はいくつかあります。巣立ちとか、営巣とか、環境の変化とか、あるいは単に増えすぎたとか。その中で的を絞るなら、巣立ちか営巣なのではないでしょうかぁ……」

「ふむ。根拠はあるか?」

「映像記録を見るに、この子って単独行動しているじゃないですかぁ。もしかすると、縄張りを持つ生き物なのかもしれませんねぇ……。あ、でもぉ、現時点での仮説なので、間違ってる可能性は全然あるんですけどぉ」


 巣立ち、あるいは営巣。呪禍は遠く離れた異星からやってきて、この地に根を張ろうとしている。

 まるで、宇宙規模の侵略的外来種のようだ。


「まあ、呪禍の生態についてはいいでしょう。それよりも私は、なぜヤツが捕食した生物の死体が残るのかという点が気になりますね」


 そう言って、天井さんはルリリスに目を向けた。


「私からすりゃ、死んだ時に体が残るって方が珍しいんだけどな。まあ、魔力のねえお前らからしたらそれが普通か」

「なるほど。やはり、魔力が関係しているのですね」

「まあな」


 迷宮内でも魔力を持たない通常の生物は死体が残る。ピラルクがそうだったように。

 だから、魔物の死体が消えてしまうのは魔力の仕業だと考えられていた。


「生物には二種類のエネルギーがあるんだ。一つは魔力で、一つは生命力。お前ら人間は生命力から生まれてくるが、魔物はこの二つのエネルギーを上手にブレンドして生まれてくる。でもこの二つ、あんまり相性がよくねえんだよ」

「相性がよくないとは?」

「魔力っつうのはいじめっ子なんだ。あれには生命力を食って、魔力に変えちまう性質がある。つっても生命力もある程度は抵抗すっから、生きてる間は均衡が取れるんだよ。でも、死んじまったらもう無理だ」


 ルリリスの説明は続く。


「命を失い、勢いのなくなった生命力は根こそぎ魔力に食い尽くされちまう。するとほら、死体も残んねえってわけよ。――じゃあ、呪禍に殺された魔物はどうして死体が残ると思う?」

「魔力が正常に作用しなくなるから、でしょうか?」

「惜しいね、正解はもっとシンプルだ」


 彼女は、ちょっと楽しそうだった。


「ちなみにこれ、呪禍が死骸を食い散らかすことにも関係があるぜ。なんのことはねえ、あいつはきっちり食うもん食ってんのさ。お前らだって、魚食っても骨までは食わねえだろ? ウマいとこ食ったら後は捨てる。それと同じだ」

「ふむ。つまり、呪禍は魔力を食べている。そういうことですね、ルリリスさん」

「そういうこった」


 ルリリスはパチンと指を弾いた。


「あいつの主食は魔力さ。呪禍は殺した生き物の魔力を捕食して、残りは捨てる。あんな食い方してっから、迷宮があっという間に死骸まみれになるんだよ。マジで汚え。カスみてえな野郎だ」


 束の間、沈黙が流れる。

 与えられた情報を頭の中で整理するための、わずかな時間。


「あ、あの……。呪禍にとって、私たち人間は、捕食対象になるのでしょうか……?」


 その沈黙を破ったのは、双葉さんだった。

 視線が一斉に集まると、彼女は慌てたように言葉を続ける。


「え、だって、気になるじゃないですか。さっき、人間は生命力から生まれてくるって言ってましたよね……? 生まれつき魔力を持たない私たちなら、もしかしたら呪禍の標的にならないのかもなって……」


 そう聞くと、ルリリスは少し難しい顔をした。


「あー……。いい点突くな、ちんちくりん」

「ち、ちんちくりん?」

「それで言うと、呪禍ってのは正確には魔力核を食ってんだよ。そこが一番魔力詰まってっからな」

「魔石のことですね」


 蒼灯さんが補足する。


「そうそう、それだ。でもお前ら人間は魔力核を持たねえだろ? だから多分大丈夫なんじゃねえの? 知らんけど」

「いい加減ですね……。そこは断言してほしいところですが」

「んなこと言われても、私呪禍じゃねえもん。本人に聞いてくれよ」

「……いいえ、おそらく信憑性はありますよぉ」


 生駒さんが呟いた。


「白石さんと出会った呪禍は、本格的な交戦を避けたじゃないですかぁ。もしかするとあれって、白石さんに魔力核がないとわかったからなのかもしれませんねぇ。だって、食べられもしないのに強いばっかの敵なんて、相手するだけ無駄じゃないですかぁ」

「……なるほど。生駒さん、いい線いってるかもしれませんね、それ」

「うへ、うへへへへ。恐縮ですぅ」


 天井さんに褒められて、生駒さんは嬉しそうににやけた。

 天井さんは穏やかに続ける。


「あくまでも推論ではありますが……。呪禍は魔物や迷宮に対して極めて害はあるものの、私たち人間を積極的に襲わないのかもしれませんね」

「となると、天井さん。いかがでしょう、このキャンプは撤収するべきでしょうか?」

「……ふむ。もう少し様子を見てもよいのでは。無論、警告と情報共有はするべきですが、すぐにどうこうという必要はないかもしれません」

「承知しました。私としても、それで異論はありません」


 天井さんの提言に、蒼灯さんは頷く。

 一方、異を唱えたのは植村さんだ。


「だが、本当に呪禍を放置しても大丈夫なのか?」

「と言うと?」

「人間に直接危害を加えることはないのかもしれんが、間接的な被害はその限りではない。迷宮内の生態系がかき乱されて、住処を追われた魔物がこのキャンプを襲撃する、なんてことにはならないか?」

「それは懸念してしかるべきでしょうな。今まで以上に、防備を整えたほうがよいでしょう」


 天井さんもそれに同調する。しかし、植村さんは少し不満そうな顔をした。


「個人的には、環境保護のためにもより積極的な対策を講じたいところだが……」


 植村さんは、会議場に置かれたラップトップをちらりと見る。

 そこには、黙って会議を聞いていた真堂さんの姿が映っていた。


「白石楓による呪禍の単独討伐、以外の案があるなら聞こうか」

「……とのことだ。保護者にそう言われてしまっては無理強いはできまい」

「誰が保護者だ」


 ……なんか今、しれっと子ども扱いされたような。

 私も抗議の視線を植村さんに向けてみるが、彼は当然のようにスルーした。


「それに、白石嬢が無理に倒すべきだとも思わない。ルリリス嬢、これまで呪禍が出現した際はどのような対処がなされていたんだ?」

「あー。あいつが降ってきた場所にもよるけど、基本的にゃ管理者がなんとかする。今回もそうなるんじゃねえの?」

「……管理者、だと?」

「迷宮の主だよ。普段は引っ込んでっけど、害獣が自分ちを荒らし回ってたら、さすがに出てくるだろうぜ」


 迷宮の主、か。

 迷宮二層の主と言うと、あれのことだろう。私はそっと口を挟んだ。


「もしかして、ちゅんちゅんのこと?」


 その時。

 会議場に、天使が通った。


「そうそう。よく知ってんな、楓」

「うん。前に、会ったから」

「へえ、お前あいつと会えたのか。どうだった?」

「かわいかったよ。お腹とか、触らせてくれた」

「マジかよ。めっちゃ運いいぞ、それ」


 私とルリリスの会話を、他の人たちはなんとも言えない顔で聞いていた。


「あ、あの……。すみません、白石さん。ちゅんちゅん、と言うのは?」


 蒼灯さんが恐る恐るたずねる。


「神鳥ちゅんちゅん。迷宮二層で、一番強い魔物」

「見た目はでっけえスズメなんだけど、あれで結構つええんだ。あいつも普通に六層クラスはあるぜ」

「人間よりも、おっきいの。あと、まるっこくて、ふわふわしてる」

「しかも賢くて大人しいんだ。好意的に接する限りにゃ何もしてこねえし、機嫌がよければ触らせてくれたりする」


 私とルリリスが順繰りに答えると、蒼灯さんは鼻息荒く詰め寄った。


「なんですかそれ、なんですかそれ……! どこですか、どこに行けばその子と会えるんですか!?」

「神鳥の巣だけど……。前、蒼灯さん、探してなかった?」

「あの時は見つからなくて諦めちゃったんです……! 次は! 絶対! 見つけます!」

「えと……。動画とか、あるけど。見る?」

「見ます!」


 えっと、どこだったかな。配信アーカイブのどこかにあるはずなんだけど。


「蒼灯くん」

「……あ」


 スマホをぽちぽちいじって、アーカイブを探していると、真堂さんが呼びかける。

 蒼灯さんはこほんと咳払いをして、自分の場に戻った。


「失礼致しました。会議を続けましょうか」

「おい楓、あいつ何事もなかったかのように続けたぞ」

「何事も、なかったみたいに、続けたね」

「お静かに」


 はーい。

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