白い悪魔ちゃんと黒い魔女ちゃん

 #??-EX (no record)


 どうやら悪魔は、すぐにこの私――ルリリス・ノワールを害するつもりはないらしい。

 悪魔というのは、例の白い悪魔のことだ。非道にして残虐、この世の悪意を塗り固めたような暴虐の化身は、落ち着きを取り戻した私にこんなことを言った。


「ルリリスさん。家まで、送ってくよ」

「な、なんのつもりだお前……! まさか、寝床を突き止めるつもりか!」

「えと、そうじゃなくて。もう、暗いから」


 温情を装った奸佞邪知かんねいじゃちに、私は恐れおののいた。

 きっとこいつは、私の棲家を確かめて何もかもを奪い尽くすつもりなのだ。奪えるものはすべて奪い、壊せるものはすべて壊し、そしてついにはこの私に、あんなことやこんなことを……!

 な、なんて恐ろしい女なんだ。しかし幸運にも、悪魔の奸計は空を切った。


「……家なんて、ない」

「……? どういう、こと?」

「私は根無し草だ。眠くなったらその辺の木の上で寝る。居場所を突き止めようとしたって無駄だぞ」

「えと……。テントとか、ないの?」

「ねえよそんなもん」


 言っていて、自分で悲しくなってきた。

 私だって以前は文明的な生活をしていた。かつては私にも自分の家があったし、寝る時はベッドを使うのが当たり前だった。

 しかし、我が家があるのは迷宮六層。簡単に帰れるような場所じゃない。


「じゃあ。うち、泊まってく?」


 悪魔は、とぼけた顔でそんなことを提案した。

 何のつもりかは知らないけど、そんなことで私を懐柔できると思わないことだ。

 確かに、彼女が見せた優しさには思わずほだされそうになったけれど、その程度でなびくほど私はちょろくない。

 この女は敵だ。その事実を再認識した私は、断固たる決意と共に拒絶の言葉を突きつけた。


「え、いいの……?」

「いいよ」

「やったっ」


 やった、今日は屋根のある場所で眠れるぞ!

 野宿の辛さは骨身にしみて知っている。寝心地なんて最悪だし、寝てる間に他の魔物に襲われたりもする。起きたら頭の上に毛虫が這っていた、なんてこともしょっちゅうだ。

 安全な夜を過ごせるのなんていつぶりだろう。久々に得られる安眠に、私は小躍りして喜んだ。


「……まあ、白石さんが見てくれるのなら安心ですかね」


 一方、青い方の女――蒼灯とか言われてたやつだ――は、苦々しい顔をしていた。


「白石さん。その人、変な素振りを見せたらやっちゃっていいですよ」

「ルリリスさん、いい子だよ?」

「すーぐそうやって人を信用する……」


 青い女は渋い顔をしていたが、とやかく言わずに自分のテントへと戻っていった。

 かくして私は、悪魔の巣穴で一夜を過ごすことになったのだ。

 ベッドの誘惑に負けてついつい承諾してしまったが、よくよく考えればとんでもないことだった。

 あの悪魔に無防備な姿を晒したら、一体どんな目に遭ってしまうのだろう。もしかするとあいつは、私が寝ている間にあんなことやこんなこと、ましてやそんなことまでするつもりなのかもしれない……!


「ルリリスさん。ベッド、一つしかない、けど。いいよね?」

「よくないっ!」

「?」


 ほら! ほら! やっぱりそうだ! 何をする気だ、この変態……っ!


「いい、私は床で寝る。指一本でも触れてみろ、とんでもないことが起きるぞ……!」

「どうなるの?」

「……大きな声で、泣いたりとかする」

「あー」


 悲しいかな。私にできる、精一杯の反抗がそれだった。

 だって、下手に攻撃魔法とか使ったら後が怖いし……。私だって、こんな化け物を相手に事を構えたくはない。魔力核があった頃ならまだしも、今の私では勝てる気なんてこれっぽっちもしなかった。


「じゃあ、これ」


 悪魔はウェストポーチから、ぐるぐるに巻かれたマットのようなものを引っ張り出した。


「使って」

「……なんだこれは」

「寝袋。あったかいよ」


 せめて、それで寝ろというらしい。

 さらさらとしていて柔らかいそれは、ぽふぽふと手の中で弾ませるだけで、楽しい感触がした。

 ……寝心地よさそうだな、これ。


「あ、ありがとう……」

「ん」


 もしかしたらこいつ、いいヤツなのかも……。

 いや、いやいや。待て、落ち着け私。こいつは敵だ、敵なんだ。簡単にほだされるな。

 とにかく、これはチャンスだと考えよう。経緯はさておき、私は悪魔の巣穴に潜り込むことに成功したんだ。千載一遇の好機じゃないか。

 まずはこいつが寝静まるまで待とう。真夜中にこっそりと魔力核を奪い返し、速やかにここからおさらばする。よし、そういう計画で行こう。


 一緒にご飯を食べたり、お風呂に入ったりして、とっぷりと夜も更けてきた頃。明日も早いからと、悪魔はそうそうに眠りについた。

 あいつに夜ふかしをする趣味はないらしい。結構なことだ。私も貸してもらった寝袋に入って、そっと息を潜めた。

 意識があったのは、その時までだ。


「ん……。今、何時……」


 ふと目が覚めて、寝袋に入ったままごろんと転がる。

 薄いテント生地越しに、差し込む陽の光が目に映った。


「やべっ」


 熟睡……! 痛恨の熟睡……ッ!

 野宿生活で蓄積した疲労は思ったよりも根深かったらしい。久々の安全な寝床が気持ち良すぎて、溶けるほど寝てしまっていた。

 二度寝したくなる気持ちをねじ伏せて、なんとか寝袋から這い出す。

 時刻は朝方五時半。幸いにも、悪魔はまだ起きていなかった。

 予定は少し狂ったが、とにかく計画は続行だ。私は足を忍ばせて悪魔の寝床に近寄った。


 悪魔がいつも身につけているウェストポーチ。それは、悪魔の装備と共にベッドサイドに置かれていた。

 ポーチごと持っていくつもりはない。用があるのは魔力核だけだ。下手に妙なものを盗って、余計な喧嘩を売りたくはない。

 ポーチを手にとって、中の物をごそごそと漁る。


「へえ……。このポーチ、次元魔法を固着させてんのか。魔法の精度はまだまだ甘いが、物体を通して魔法を使うってのは悪くない発想だ。人間って、面白い魔法の使い方すんなぁ……」


 魔力核を探すついでに、ついついポーチを分析してしまう。魔法使いとして、魔法技術には興味があった。

 私たちは魔力を直接操ることができるが、人間のように迷宮の外で生まれた存在は魔力との親和性が低い。そこで彼らは、物体に魔法式を刻み込むことで魔力を操ることにしたらしい。

 魔法技術自体はレベルが低いが、だからって馬鹿にはできない。人間の扱う魔法は新発想の塊だ。時間が許すなら、じっくりと研究してみたかった。


「お、これ。あいつが使ってた魔導具か? どれどれ……」


 ポーチから筒型の魔導具を取り出して、じっくりと眺める。少し見るだけでも、それは驚きに満ち溢れていた。

 内部に刻み込まれていたのは、魔力を生命力に変換する術式だ。

 これは人間用の回復魔法なのだろうか。私には開発もおろか、発想すらもできないような異文化の魔法だった。


「すごいなこれ……。魔力を生命力にするなんて、考えたこともなかった……」


 夢中になって術式を解析していた時、背後から、物音が聞こえた。

 やばい、と思ったときには、もう遅かった。

 跳ね起きた悪魔は恐ろしいほどに機敏な動きで私を引き倒す。そして、壁に立てかけてあった剣を迷いなく抜刀した。


「ま、まて。違う、その、違うんだ。まだ何も盗ってない、本当だ!」

「ん……」

「ま、まって、お願い、まって。やだ、やめて、ころさないで……!」


 眠たげな顔と、確かな殺意。その二つを前に、私は必死に命乞いをした。

 私の言葉を聞いてるのかいないのか。悪魔は剣を突きつけたまま何も言わない。かえってそれが恐ろしくて、私は必死に言葉を重ねる。


「も、もうしないからぁ……! 許して、いやだ、死にたくない……! 死にたくない、もう死にたくないよぉ……!」

「はーい、ストップストップ。そこまででーす」


 その時、テントの外からことさらに明るい声がした。

 テントに入ってきたのは、昨夜もいた青い女だ。彼女は慣れたように悪魔に近づいて、ひょいっと剣を取り上げた。


「白石さん、大丈夫です。その人、敵じゃないみたいですよ、今のところは」

「……あれ、まもの、じゃない?」

「んー、ノーコメント」

「んぅ……」


 悪魔は眠そうに呟きながら、ふらふらとしている。

 あいつ、何か、様子がおかしいような。

 ……もしかして、寝ぼけてる?


「……かお、あらってくる」

「いってらっしゃい。気をつけて」


 青い女に見送られて、彼女はテントの外に出ていった。

 み、見逃された。私はまだ生きている。ばくばくと音を立てて高鳴る左胸がその証左だった。


「で、ルリリスさん」

「ひゃいっ」

「あの人、寝起きは自動戦闘モードなので。変なことしないほうがいいですよ」

「……すみません」


 青い女はそう言い残して、テントから出ていった。

 ……なんとか助かったらしい。少なくとも、今のところは。

 だけど、完全に腰が抜けてしまっていて、しばらくは立ち上がれそうになかった。

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