こちらはメインヒロインの楓ちゃんです。
#7 たすけて
「はじめます……」
つぶやく。配信開始ボタンを押すのが、今日は気が重かった。
今日の配信はいつもと違う。まず、私は武器を持っていない。白衣も着ていないし、腕章もつけていない。
今着ているのはよそ行きのブラウスとロングスカート。防御力なんて欠片もない、ただの私服だ。
いや、普段から防御力はそんなにないんだけど。私服姿でカメラの前に出るのは、なんだかいつもと違う緊張感、というか。
恥ずかしさ、みたいなものを感じていた。
:どしたの
:え、誰?
:お嬢?
:珍しい格好してる
:なんかあった?
:てかここどこ?
いつもと違う格好をしているからか、リスナーたちもざわついている。それで余計に意識してしまって、私はスカートの裾をぎゅっと掴んだ。
ここは迷宮ではなく、日本赤療字社の小会議室。六人くらいが詰められる空間で、私はカメラの前に座っていた。
迷宮から一歩外に出れば、探索者だって人間だ。武器やシリンダーを持つことは許されないし、魔法だって使えない。身体能力は高いけれど、銃を持った人間に勝てるほどじゃない。
ここでの私はただの白石楓だ。強さという鎧がない私は、文字通りただの少女でしかなくて。
:まるでお嬢が普通の女の子みたいだぁ
:なんか今日のお嬢かわいいんだけど、錯覚か?
:お嬢はいつもかわいいだろ
:なんだかどきどきしてきちゃった
:これがギャップってやつか……
:でもこの子、素手で人殺せるんだぜ
:そう聞いたらもっとどきどきしてきちゃった
:どっちの意味でだよ
:ここのリスナーならどっちもありそう
茶化さないでほしい……。これ、本当に恥ずかしいんだから……。
「え、と……」
なんとか声を絞り出したけれど、顔はうつむきがちだし、耳まで赤いし、声もちょっと上ずってしまう。
カメラってやつは銃口に似ている。黒光りしているところなんか特にそう。
それに向かうのはいつも緊張するけれど、今日の緊張感はいつもの比じゃなかった。
:なんだこのかわいい生き物
:お嬢とは似て非なる存在かも
:楓ちゃんやねこれは
:お嬢第三の人格かぁ……
:お嬢と日療の白石さんは別人なんだから、そりゃ楓ちゃんも別人でしょ
:こんなにかわいい子がお嬢のはずがない
す、好き勝手言いやがって、こいつら……。
気分的にはもう配信を終わりたい。もう何もかもなかったことにして、家に帰ってふて寝してしまいたかった。
「きょ、今日の配信は、ここまでで……」
:草
:何しに配信つけたねん
:もしかして私服見せたかっただけ?
:一旦かわいいって言われに来たか
:悪いこと覚えたな楓ちゃん
:こういう配信今後も頼む
:なんかお話あるんとちゃうの?
いや、その、違うの。違うんです。そんなつもりじゃなくって、お話したいことがあるんです。
だけど私の頭はもうすっかりぐるぐるになってしまっていて、自分の力ではどうにもできず、私は半泣きになって助けを求めた。
「み、三鷹さぁん……」
「はいはい、わかりましたよ。頑張りましたね、白石さん」
カメラの画角外に控えていた三鷹さんが、私の隣の席に座る。
華麗にスーツを着こなした三鷹さんは、凛と背筋を伸ばしてカメラに向き合った。
「はじめまして。日本赤療字社所属、白石さんのマネージャーの三鷹です。本日はよろしくお願いします」
「……ます」
三鷹さんは綺麗なお辞儀をする。それに倣って、私も頭を下げた。
:マネージャーさん?
:初コラボ来たな
:はじめまして三鷹さん、白石さんのリスナーです
:なんですか、もしかして説教配信ですか
:お嬢また悪いことしたの?
当然のように私を疑わないでほしい。またってなんだ、またって。
たしかに経費申請は出さなかったけれど、そんな理由でこんな罰ゲームをさせられているわけじゃない。
……というか、私、なんにも悪いことしてないのに。なんでこんなはずかしめを受けているんだろう……。
「本日は私からお話したいことがあり、白石さんにお願いしてこのような枠を取らせていただきました。リスナーの皆様、少しだけお付き合いいただけますと幸いです」
:もちろんですよ
:つまり楓ちゃんを引っ張り出したのはマネさんの采配ってことですか
:これは敏腕マネージャー
:配信タイトル「たすけて」ではあるよ
:何したんですかマネさん
:まあまあいいじゃないですか
「まずは、先日の魔力収斂災害についての謝辞を述べさせてください。かの災害は迷宮浅層で起きたこともあって、多くの探索初心者が巻き込まれる危機的な事態を引き起こしましたが、リスナーの皆様や一般の探索者様方のご協力もあり、犠牲者ゼロという奇跡的な結果であの窮地を乗り切ることが出来ました。応援・ご協力いただいたすべての皆様、誠にありがとうございました」
「ありがとう、ございました」
三鷹さんと一緒にお礼を言いながら、私は妙な感動を覚えていた。
この人、よくこんなに舌が回るなぁ……。ちょっと羨ましい。
:いえいえそんなとんでもない
:お礼を言うのはこっちなんだよなぁ
:お嬢も日療の方々もありがとうございました
:おかげで今日も配信が楽しいです、ありがとうございます
「さて、白石さん。突然ですが、ここでクイズのお時間です」
「え、あ、はい」
びくりと肩が震える。あらかじめ打ち合わせはしていたけれど、それでもやっぱり緊張はした。
「あの救助作戦でかかった費用、合計でいくらくらいだと思います?」
「え、えっと……。二百万くらい、ですか?」
「そんなわけないですよね」
「……すみません、千五百万とちょっとです。マナアンプル、三本も使っちゃったので……」
「いいえ、それでもまだ足りません」
「えっと……。わからないです……」
これは本当。クイズをすることは聞いていたけれど、答えまでは聞いていない。
災害救助というものにどれだけのお金がかかるのか、私は本当に知らなかった。
「正解は、およそ六千三百万円になります。これはあの日一日の活動費であって、被災者のアフターフォローや事後処理にかかった費用は含みません」
:え、たっか
:一日でそんなにかかるんか
:そうかな、ピンと来ないけど
:探索者基準だとそんなもんかって思っちゃう
:安めのシリンダー一本分くらい?
「私たち迷宮事業部の年間予算は三億二千万円。つまりあの日一日で、一年分の予算の二十%弱を使った計算になりますね」
:二十%マジ?
:そう聞くとめちゃくちゃ高い
:魔力変動なんて年に数回は発生するが
:予算少なすぎない?
:いや感覚バグってるけど、三億って相当だぞ
:どっちかって言うと迷宮の物価がおかしい
「参考までにですが、日本赤療字社における災害救護事業全体に割り振られた予算が三十億円です。我々は今年新設されたばかりの部署なので、これ以上の予算は如何ともしがたく……」
:あー、そういう問題かぁ
:日療も迷宮内での救助活動だけしてるわけじゃないから……
:それにしたって予算三億で迷宮事業は無理があるでしょ
:普通の探索者事務所でも最初はそんなもんじゃない?
:新設の部署で全体予算の十%も取ってきたのは相当がんばってる
:数弱ワイ、理解することを諦めつつある
:もうちょっとがんばれ
ほえー。そうなんだぁ。
ぽんぽんと飛び交う数字を、私はぽけーっと聞き流していた。半分くらい、意識も飛んでいたかもしれない。
「詳細な内訳は後日公開する報告書に記載しますが、大部分を占めているのはポーションやマナアンプルといった迷宮由来の医薬品費と、治療に当たったヒーラーの人件費です。それ以外にも通常の医薬品やスタッフについても費用がかかっていて、後は細々とした雑費ですね」
:あの日、協会常駐のヒーラーフル稼働だったもんなぁ
:あの治療費って日療から出てたんだ
:あいつらに回復頼むと、一回で四十万とかかかるんだよな
:なんやそれ、いくらなんでも高すぎない?
:めちゃくちゃ良心的な値段設定やぞ
:普通なら一月入院しなきゃいけないような怪我も一瞬で治してくれる
:ちなみに普通に入院した場合、入院費の相場は一日二万円となっております
:詳しいなお前ら
:探索者なら誰もが通る道なんですよこれ
協会のヒーラーかぁ。私も初心者の頃はお世話になったなぁ。
あの頃は治療費を払うのも一苦労で、よほどの大怪我をしない限りは普通の病院に行くようにしていた。それもケチって、自分で包帯を巻いたことだって何度もある。
私はソロだったから特に大変で……。毎日のように生傷を作りながら迷宮に潜ってたんだっけ。懐かしいな。
「それと、もう一点。あの日の魔力変動は魔力収斂に派生したので、結果的には数時間程度で収束しました。ですが、もしも魔力収斂が発生せずに災害が長期化した場合、費用は最大で六億円――年間予算の二百%近くにまで膨れ上がると試算しています」
:予算超えとるやんけ!
:二百%とか聞いたことねえよ
:収斂起きないほうが高くなるんだ
:魔力変動って長いと一週間くらい続くんだっけ?
:やべえよ、日療破産しちまうよ
:そうなった場合どうすんの?
そういえば、リリスから手に入れた魔石って売ったらいくらくらいになるんだろう。
六層魔物から産出した超高純度の魔石だ。記念に取っておいてあるんだけど、いざとなったらあれを売ったらいいんじゃないかな。
でも、あんなに高純度な魔石なんてそうそう手に入るものじゃないし。できれば何かに使いたいけど、どうしよっか。
「つまり」
三鷹さんはぱしんと手を叩く。その音で、明後日の方向に飛んでいた意識が戻ってきた。
「このように、迷宮内での救助活動は極めて専門性が高く、救助に必要な経費はどうしても高額となってしまいます。今後も継続して救助活動を続けていくためには、予算の確保が必要不可欠です。そうですよね、白石さん?」
「え、あ、はい」
:お嬢?
:ちゃんと聞いてた?
:途中からよそ事考えてそうな顔してたけど
:俺も楓ちゃんを見るのに忙しくて話聞いてなかった
:大事な話してるんだからちゃんと聞け
……ごめん、半分くらい聞いてなかった。
でも半分はちゃんと聞いてた。つまり、その、お金がいっぱいかかるってことだ。
「そこで皆様にはご支援をお願いしたく存じ上げるのですが、その他にもう一点。せっかくこういった活動をしていますから、白石さんの活動をサポートするために、まずは収益化を通すことにしました」
:収益化マジ?
:あのお嬢がついに……!
:さっさと収益化通せって言い続けた俺らの努力は無駄じゃなかった
:さてはマネさん優秀だな?
:その子いつまで経っても収益化通そうとしなかったんすよ、やっちゃってください
「で、でも……」
おずおずと口を挟む。
たしかに、そういう話にはなったけれど……。私としては、あんまり気乗りする提案じゃなかった。
「本当に、いいんですか……?」
「何がですか?」
「だって私、配信者らしいこと、なんにもできないから……。配信で、お金もらうの、なんか違う気がして……」
:お嬢……
:気にしてたんか
:お嬢はそれでいいんだよ、俺らは十分楽しませてもらってるから……
そりゃ気にするよ……。
探索者として魔物を倒し、魔石を売ってお金を稼ぐというのはわかる。迷宮救命士として人を助け、その業務に給料が支払われるのもわかる。
だけど私は、私の配信にどんな価値があるのか今でもわかっていない。それでお金をもらおうってのは、ちょっとだけ気が引けた。
「白石さん」
「……はい」
「こちらに」
「え、はい」
三鷹さんは私を呼び寄せる。椅子のキャスターを転がして近づくと、三鷹さんは微笑みながら私の頭を撫ではじめた。
「……なんで、撫でるんですか?」
「これはマネージャーとしての正当な権利です」
「あ、あの。みんなが見てます」
「構いません」
「私は構います……」
:マネさん??????
:ちょっと! 職権濫用じゃないですかこれは!
:いやこれは撫でるだろ
:目の前でこんなこと言われたら誰だって撫でる
:楓ちゃんが悪いんだよ……
:おいお嬢そこ代われ
:代わるのそっちでいいんか
「白石さん。あなたは少し真面目すぎますね」
「そ、そうですか……?」
「はい。でも、それがあなたのいいところだと思いますよ」
「……?」
……なんか、褒められた。
え、なんで、どういうこと? 私、なにかおかしなこと言った……?
ひとしきり私の頭を撫でてから、三鷹さんはあらためてカメラに向き合う。
「皆様にお約束します。この子には必ず収益化を通させます。マネージャーの名にかけて」
:がんばれマネさん
:いいぞやったれ!
:覚悟しろよお嬢
:これまでのツケ、きっちり払ったるからなぁ!
:払う側なのか……
……そういうことになるらしい。
なんだかよくわからないけれど、私以外のみんなは楽しそうだったから。たぶん、この流れには逆らえないんだろうなって、そんな気がした。
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