デリエール ―魔兵士―
南無参
プロローグ NO-000
いつものように無心に処理を続けていた。
腕が勝手に動き、目の前の障害物を排除する。蜘蛛の糸を払うように、敵が斬り飛ばされる。
一度で壊せることもあれば、しぶとく反撃を受けることもある。「完全に髄を破壊するまで油断するな」というのは新任の頃によく叩きこまれる金言だ。
いや、それは本当に金言なのだろうか。
単なる常識の範疇、事実でしかないのではないだろうか。
もう何体目か分からない敵を壊しながら、常識という概念に我知らず舌打ちする。
戦いの最中に感情が乱れるなんてとんでもないことだ。
けれど、自分がどこか苛立っていることを自覚した。
「DAHAAAAAーーー!!」
敵が発する雄叫びのような奇声、俗称的には断末魔と揶揄されるものを聞き流しながら、周囲を見渡す。
そこかしこで
いつもの戦場、砂埃と血の匂い、腐臭と金属音。何かが焦げる音、香、熱。
見慣れた乱戦、それに時々魔法の爆発音。剣戟に混じって炎が躍っていた。
情けないことにやられている者もいる。集中力が足りないからだ。
――戦えない者に居場所はない。
教官が常に言っている言葉。おそらくは真実。自分たちの存在価値はそこに集約される。
戦え、戦え。
壊せ、壊せ。
耳朶を打つ音すべてが、そう囁くように響く。
後退の二文字はない。やるかやられるか。屍さえ踏みつけて領域を維持する。
弱ければ死ぬだけ。
死ぬとは何だ?
――壊せなくなること。
生きるとは何だ?
――壊し続けること。
それがすべて。ここでの存在意義。
すべてはそのために在り、それ以外は何も無い。
その常識の壁を見つめてはならない。見上げてはならない。
けれど。
またその単語に引っかかりを覚える。身体は次の標的を求めながら、精神は過去に引っ張られている。
あの黒髪の男の言葉が耳元に聞こえてくる。
「お前の常識なんてクソ以下だ」
幻聴だ。
本当にそう言われたのかも怪しい。
そもそも、そんなことは考えてはいけない。考えられない。考える必要がない。
敵を壊すためにだけに存在するのが魔兵士だ。
知るべきは敵の壊し方で、考えるべきは効率のよい動き方だ。どれだけ早く確実に、より多くの敵を壊せるか。それのみだ。
あの男の言葉などどうでもいい。
新たな敵を見つける。
腕を振るう。
敵が壊れる。
そうだ。それだけでいい。それ以外はいらない。
自身の鼓動が早まるのを意識する。
自分が自分である証。
敵を壊した瞬間、そこに何かが生まれる。
ドッドッドッドッ。
少しだけ刻むようなその音。
その響きだけがこの世を満たして奏でられるとき、アタシは自由を感じる。
正直なところ、自由が何かは良く分からない。
ただ、囚われない。何もかもから解放されていると感じる。
多分、錯覚だ。
それでもいい。
その感覚がたまらなく好きだ。好きだという感情がそうであるならば。
身体は無意識に敵を壊し続ける。精神はただ鼓動の音を聞いている。
空を飛んでいた。
羽ばたく。
翼だか腕だか分からないものを懸命に動かしている。
飛んでいるのか、落ちているのか。
分からないけれど、羽ばたいている。飛んでいると信じている。
大空なのか、その空はどこへ続くのか。
少なくとも青空ではない。それはいつか見た灰色の世界に似ていた。
あれはいつだったか。誰かの言葉がそこで何かをささやいていた。
それは原初の記憶。
それもまたどこかで聞いたいつかの断片。覚えていないのに思い出す。忘れているのに、忘れていない。
すくった砂が指の隙間を零れ落ちてゆくようなもの。
違うか。零れ落ちた砂がまた自分のつま先に吸い込まれるようなもの?
いや、どうでもいい。
ただ、心地よさがある。あらゆる色は次第に薄れ、風はどこかへ消え失せ、それでも飛んでいる。
何も考えずに飛んでいる。
どれくらいそうした感覚でいたのか。
心は飛んでいたというのに、ふと気づくと地面に倒れていた。あの大空はもうどこにもなかった。
身体が言うことをきかない。うまく動かせない。さっきまであれほど滑らかに機能していたのに。
少しだけ顔を上げる。どうやら横向きに倒れているようで平坦な世界が見えた。
黄昏の地平線。境は世界のように曖昧だ。
敵と魔兵士たちの屍の山。荒れ果てた大地。見慣れた光景。
辺りは静かだった。破壊の音がしない。
どうやら戦いは終わったらしい。いや、終わったわけではない。今日のノルマが済んだだけだ。また明朝、あるいは明後日、再開される。
敵は諦めることを知らない。
魔兵士もまた抗うことをやめない。終わるはずがない。
ゆっくりと身体の感覚が戻ってくる。
腕のそれを確かめる。壊れていない。死んだように眠っている。
制限をまた超えていたらしい。その間に敵から攻撃されなかったのは僥倖だ。また命拾いした。まだ死んでいない。
周辺に敵がたくさん積み上がっているので、相当数壊せはしたようだ。数に意味などないけれど。
痺れる手足を確認しながら、徐々に立ち上がる。
口に入った泥のような砂をペッと吐き出して、改めて周囲を見回す。同じような魔兵士たちがそこかしこにいる。
今回、生き残った者たちだ。
勝鬨を上げる者はいない。そんなことに意味はない。
また、戦える。壊せる。
そう思っているだけだろう。
不意にピーピーと耳障りな骨笛の音が聞こえてくる。
撤退命令の合図だ。ずっと鳴っていたのだろう。今の今まで聞こえなかっただけだ。
わざと不快な音色にしているのではないかと思うが、尋ねたことはない。そんな質問は許されていない。
ふと見上げる空は紅い。
夕暮れだった。
終わりの時間。何かをやめる合図。いつもは灰色の空が紅い。血とはまた別の色。
誰かが美しい、綺麗だと言った。一度もそう感じたことはない。ただの赤だ。
ぞろぞろと魔兵士たちが自分たちの陣地へと向かって歩き始める。
負傷して歩きづらそうな者もいるが、それを手助けする者はいない。
自律して歩けないほどの損傷は死んだも同然だ。それは生き残ったとは言わない。
這ってでも自分で帰還した者だけが、生き残りと定義されている。戦える者だと認められる。
身体が重い。
それは左足がやけに腫れて動かしづらいからでも、右手が上手く上がらないからでもない。
戦いが終わってしまったからだ。
ナルコは地面に沈みそうな身体と精神を引きずって、拠点へと帰ることにした。
他の者も大体同じ姿だ。
うつむく影法師の大行進。戦っていないときの間抜けなシルエット。
それはいつもの魔兵士たちの日常で、戦場任務のありふれた終わりの光景だった。
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