2話 ギャルギャルのギャル

 さて、それでは委員長とはなにをするものなのか?


 漫画の世界ではないのだから、べつに毎日特別な仕事があるわけではない。

 だが、「委員長とはこうしているもの」というなんとなくのイメージは存在していて、俺はそれを厳格に守っている。


 それはなにか?

 委員長の生態その1〈やけに登校が早い〉だ。


 そういうわけで、俺はいつもクラスでいちばんはやく登校することにしている。

 日課として、俺は教室に入る前に、まず職員室に寄ることにする。生徒と違って、先生たちは半数以上がすでに学校に来ていた。

 端っこの席に、小柄なイヨちゃん先生をみつけた。


「おはようございます、都築先生」

「あ、おはよぉ、亜熊くん。毎日毎日、はやくて偉いね~」


 イヨちゃん先生は、こういうおっとりとした喋りかたをする。


「シャツ、第一ボタンまで締めて暑くないの?」

「いえ、大丈夫です。校内はよく冷房が効いていますから」

「まじめだね~、偉いね~」


 べつに根がまじめというわけではない。

 本来であれば第一ボタンどころか第二ボタンまではずしたいくらいだが、こうしているほうが委員長らしいからそうしているというだけだ。


「それで、都築先生。今はなにかお手伝いすることはありませんか」

「ないよぉ。ないない、ぜーんぜんない。毎朝聞いてくれるのに、申し訳ないくらいないよ~」

「わかりました。では、俺はこれで」


 毎朝の恒例行事を終えて去ろうとする俺を、あ、待ってぇと先生が止めた。


「亜熊くん、これ、よければあとで食べて~」


 渡されたのは、みかんだった。

 よく見ると、先生のデスクにはふたつほどのみかんの抜け殻がある。そういえば、先生の愛媛の実家では夏みかんを栽培しているんだったか。


 俺は返答に迷った。

 頭の堅い委員長の役割ロールとして、もっとも正しい言動はなんだ?

 おそらく、もらってしまっても間違いではない。が、求められているのは、あくまでだ。

 よく考えて、俺はこう答えた。


「嬉しいんですが、俺だけもらってしまうと、クラスのほかのひとに悪い気が……」

「ええ~。そんなの、だれにも言わなければいいのに。でも、そっかぁ。亜熊くんはそういうの気にするもんね~」


 先生は、ポンと手を叩いた。


「そうだ。来週、また実家から箱で送られてくるの。そうしたらクラスのみんなにも配るから、そのときに亜熊くんは受け取らなければ公平じゃない?」


 俺はふたたび一考した。理にかなっているようだ。


「わかりました。それでは、ありがたくいただきます」

「まあ、そんなに甘くはないんだけどね。またおいしいのが届いたらあげるね~」


 ひらひらと手を振る先生に一礼して、俺は職員室をあとにした。



   *



 微妙なところだな、と思いながら俺は廊下を渡った。

 毎日のように仕事があるか聞きにくる委員長というのは微妙なものだ。はじめの数回ならまだしも、ずっと来るわけだし。

 これはやめどきがわからなくなったがゆえの習慣だ。とにかく向こうが「そういうヤツ」として認識してくれていれば、まあ最低限の目的は果たせているのだが。

 まあ、イヨちゃん先生はかなり優しいし、しばらくはこのままでいいだろう。


 教室に向かう。

 先客がいる確率、5%……とか思いながら扉を引くと、

 その、5%を引いた。

 窓際、柱の陰でうまく陽が当たらない席。

 そこに、金髪ロングの女子がいた。


 クラスメイトとして、当然プロフィールはわかる。

 赤城愛莉。

 十六歳。遊戯特進枠。

 得意遊戯ゲームは――〈ルシファー・オンライン〉。


「んう?」


 と、赤城さんは俺に目をやった。どうやら制服のリボンを結び直している最中だったらしいが、その手を離すと、


「お、いいんちょくんじゃーん。おはよー、きょうもガネガネしぃーね」


 俺は固まった。

 赤城さんのレッテルは、わかりやすい。

 ギャル。

 それも、ギャルギャルのギャル娘だ。つまり、俺の脳が搭載している程度のCPUでは処理できない言動を取る生き物だということだ。


 ともあれ、肝心なのはつねに委員長としての言動だ。委員長ならばギャル語がわからなくても問題ない――そういう、ある意味では無敵のバリアが俺にはある。


「やあ、おはよう、赤城さん。そのガネガネしい、っていうのは?」

「やー、めがねめがねしぃねって言おうと思ったんだけど、なんか略しちゃった。でも略さなくても意味わかんなくない?w 草生えるw」


 俺はハハハと笑った。本心でもけっこうおもしろいと思ったが、笑ったのは社交的な行動だった。


 さいわい、会話はこれで終わりのはずだった。

 赤城さんは、けして悪いひとではない。というより、むしろいいひとなのだと思う。その証拠に、俺のようなタイプにも挨拶を欠かさないし、今のように最低限の言葉を交わしてくれる。

 俺にとって助かる話なのは、そうした社交辞令が終われば、あとはぴたりと会話がやむことだ。


 俺は机に座ると、自習用の道具一式を取り出した。ノートを広げて、やりかけだったところから英語の文法問題を解き始める。

 委員長の生態その2〈なんかいつも自習している〉を実行する。


 ことわっておくが、俺はまったく勉強が好きではない。

 本当に、ただの一ミリも好きではない。

 それでも、こういう行動を取るのが委員長らしいからやっているだけだ。


 朝の教室は静かで、開いた窓から吹く風が、ギャルのにおいをほのかに届けた。

 ギャルのにおいってなにかって? 説明できるわけがないが、まあ、そういうものがあるのだ。たぶん俺が名も知らない香水によるものだろう。

 朝のお決まりルーチンとして、俺は問題集に向かい続けた。

 そうしていると、すぐそばに人影が立った。


 赤城さんだった。

 どうやら、音もなくこちらに近づいていたらしい。

 カラーコンタクトのせいか、青い目で俺を見下ろしていた。外国の血が混ざっているということはないと思う。その金髪も、あきらかに染めた色だ。


 目があうと、赤城さんはへへらぁと笑った。

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