第17話 一難去ってまた一難な件
ルネが話しそびれたせいで、カツキはまったく城の出来事やクラスメイトたちの現状を知らずにいた。カツキもまた目の前にいるラスナイトやレストナ村のほうが切迫した緊急事態だと思っていたため、『
とはいえ、一週間とかからずレストナ村の廃村、鉄鉱脈の調査団派遣、ヴァレー伯爵麾下騎士団の旧レストナ村跡地駐留、旧レストナ村村民のアイギナ村南部への移住と目まぐるしく状況が推移したため、ルネから報告を聞く余裕などなかっただろう。
アイギナ村の共有地となっている草原に、旧レストナ村村民が所有していた牛を放ち、牛舎を建設中だった。牛を常時放牧できるほどアイギナ村の草原は広くなく、街道には商人や旅人の出入りもあるため柵もないところに放っておくのはまずい。麦など作物をやられるし、去勢前の牡牛は案外凶暴なので隔離しなくてはならない。旧レストナ村の
彼らは、アイギナ村に溶け込めるだろうか。
生まれてからずっと山の頂付近に住み、牛を飼って細々と生活していた
説得に当たったラスナイト曰く——「自分たちはもはや老いた、と悲しそうにしていた」そうだ。
その意味はカツキには表層的にしか分からない。彼らの歴史も、人生も、生活も何もかもほとんど知らないからだ。それでも、人生を放棄して、命を軽んじることをしなくてよかった、とカツキをはじめアイギナ村に住む皆は安堵した。旧レストナ村にそれほど親しみがあるわけではないが、あくまで人道的観点から、そしてまだ若いラスナイトへの同情心から、アイギナ村は彼らを温かく受け入れた。
ちなみにだが、ついでだからと旧レストナ村の
「山羊のチーズは美味しいんだよ。それに羊、ラスナイトが着てるしっかりした毛織物が羨ましかったんだ。ラスナイトに毛糸の作り方を教わって、羊を増やそうって大人たちは嬉しそうだよ」
狼姿のコルムは尻尾を振りながら、羊たちを草原へ誘導していく。
そんな慌ただしい一週間が過ぎ、麦畑の収穫作業がそのあいだに村中で三回もあった。二期作や三期作、もっと種蒔きから収穫までのサイクルを早めることもできそうだ、とカツキは腕と腰をプルプルさせつつ手伝い、あまりの体力仕事ぶりにそれを言うべきか自分の筋肉痛が治ってからにしようかと割と真剣に悩んでいた。
結局、アイギナ村で収穫した麦全体の出来をしっかり鑑定してからにしようと決め、カツキは筋肉痛と疲労のあまり作業を終えるとベッドに直行して次の日の昼まで起きなかった。
「おい、起きろ、カツキ。もう昼だぞ」
台所から、アスベルが大声でカツキを起こそうと叫ぶ。
麦藁が飛び跳ねるベッドから、カツキはもぞもぞと手を伸ばし、足を着地させ、そのまま床にころんと転がった。二度寝を警戒したアスベルがやってきて、両手を引っ張って食卓へ連れていく。すでにカツキの世話に手慣れたアスベルは、すっかりお母さんじみてきた。
「まったく、後でベッドの麦藁掃除しろよ! 外で叩いてくるんだぞ!」
「はーい……」
「次からせめて着替えてから寝ろ」
「善処します……」
「かわいくない返事だな、おい」
そう憎まれ口を叩きつつも、アスベルは食卓に焼きたてのパンで作ったチーズとベーコンたっぷりホットサンドと野菜をぐつぐつ煮込んだスープを並べるのだから、カツキは甘えっぱなしである。
のそのそ椅子に座り、寝ぼけ眼のままホットサンドを齧りはじめたカツキへ、アスベルは思い出したようにこんなことを知らせる。
「そういや、今朝一旦戻ってきてたルネが、今日はカツキに来客があるって言ってたな。まだ来てないが、そろそろ着替えて今日は家にいろよ」
「来客? 僕に?」
「詳しくは聞いてないんだよ。ルネはあれから忙しくしまくってるからな」
ルシウス大臣の信任厚いルネは、すさまじい速さで旧レストナ村領を一時的にヴァレー伯爵領とした。このあたりの領主であるサニー子爵は、才気溢れ私欲のないルネならかまわないと鷹揚に認めてくれたため、特に領地争いが起きることはなかった。なので、ヴァレー伯爵であるルネは自領から必要な人員を送り込み、旧レストナ村の鉱山開設に漕ぎ着けるまで膨大な量の仕事に追われているだろう。
しかし、ルネは合間を見計ってはログハウスに戻ってきて、カツキとアスベルへの報告を欠かさない。自分が勝手なことをしていないと客観的な視点で考えさせるため、だそうだ。律儀にもルネは鉱山が開設したら土地ごと国の直轄とする方針らしく、城の有力者を巻き込んで新会社設立も始めているとか。
「あの伯爵閣下はとんでもない切れ者なんだが、あの女装趣味は何なんだろうな……」
「他人の趣味をとやかく言ったって仕方ないよ」
「まあ、文句はないんだが、シルクとウールの洗濯は専門家に頼んでほしいよな」
アスベルはやれやれ、と世帯じみた悩みを口にする。ルネの着ている豪奢な服の洗濯まで押し付けられているらしかった。
やがて朝食兼昼食を食べ終えたカツキは、ベッドのシーツと着ていた服についた麦藁を叩き落とすため、庭で作業を始めた。麦藁の茎がシーツに突き刺さって穴を開けている惨状をどうアスベルへ伝えるか、怒られることを予感してため息を吐いていたカツキは、洗濯竿にはためくシーツの向こうに誰かの影が映ったことに気付いた。
アスベルの言っていた来客だろうか。カツキはシーツを暖簾のように手でどけて、その人物を目の当たりにする。
そこには、一人の青年がいた。
どことなく知り合いのような気がしたが、カツキにこんなたくましい精悍な顔をした青年の知り合いなんていない。白い毛皮と鎖かたびら、鎧小手を付けて剣を帯びている青年は、カツキを見て少し驚いたようだったが、すぐに顔を綻ばせた。
「よう、えっと……
カツキの名字を呼ぶ人間は、ここにはいない。この世界では、カツキの三文字でほぼ通っている。
なら、目の前の青年は? ——そこまで考えて、カツキは、ふと思いついたことを口にする。
「ひょっとして、クラスメイトの……?」
「ああ、うん。お互い、名前さえきちんと憶えちゃいないけど……一応、そう。俺、堂上リオ。リオって呼んでくれ、ここの人たちは下の名前が呼びやすいらしいし」
リオはそう言って、敵意のない笑顔を振り撒く。
とはいえ、カツキは警戒を怠らなかった。
「僕は、沼間カツキ。とりあえず、上がって。お茶を出すから」
「ああ、ありがとな」
「ううん」
リオを連れて、ログハウスへ戻るカツキの表情は、固いままだった。
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