第16話 争いを避けるための処置と思いたい件

 コルムはカツキの背中に引っ付いて、キューンと小声で呼びかけている。


 しかし、カツキはすり鉢の棒を動かす手を止めない。木箱の牧草をちぎったり、穀物をさらに細かくするために石臼を調整したり、ひたすら喋らず額に汗を浮かべながら試行錯誤を繰り返していた。


 アスベルとルネは、簡易ストーブの周りに車座になって、ラスナイトからレストナ村が置かれている状況を詳しく聞き取っていた。


「つまり、北の村……ラガン村に決闘を挑まれて土地を奪い取られて、まともな放牧地も村の共有地もほとんど残っていないのね?」


 ルネは頭が痛いとばかりに天を仰いでいた。


 ラスナイトは女装している変人貴族ルネに慣れてきたのか、もはやツッコむことは諦めたのか、真面目に応対する。


「一応ですけど、ラガン村の獣人サテュロスの挑発を無視したお年寄りたちのものは残っています。でも、それも今の牛の数を養うには足りません、その上今年は牧草が減ってしまってどうにもならないくらい。何とか牛たちはギリギリ南の窪地まで連れてきましたけど、それが限界です。牛たちはたくさんの水がないと生きていけませんし、今までの数を養えるほどのエサもなくて」

「なるほどね。獣人サテュロスたちは縄張りの強さから、独立した気質を持っているから誰かに援助してもらうことなんて考えつかないでしょうね。お年寄りならなおのこと」

「……はい。私がアイギナ村へ行くことさえ快く思わない人もいます。このままこの村は滅びるしかない、弱いのだから、と言って聞かないんです」


 それは獣人サテュロスという種族の思考であり、彼ら獣人サテュロスはおそらくヴィセア王国に所属しているという概念を理解できていないのかもしれない。誰かに隣村の横暴を裁いてもらうということも、援助してもらうということもよしとせず、野生のままの弱肉強食をこの世の理だと根強く信じているのだろう。


 だが、ラスナイトは違った。人馬ケンタウロスである父の考え方や気質を引き継ぎ、レストナ村にだけ留まることはなく、牛の世話でドルイドだったコルムの祖父に助けを求めたこともある。


「村の真ん中にある牧畜神パーンの像で分かるとおり、この村には家畜を育てることしかできません。風が強く寒い土地柄、ろくに作物は育ちませんし、土も全然よくないってコルムのお祖父様が生前におっしゃっていましたから。だから、他に生計を立てる道はないかと探しているものの」

「それでアイギナ村に来てたのか」

「はい。本当はあの村に迷惑をかけたくないから散々迷っていましたけど、偶然コルムとカツキに出会って、風の噂で聞いていた祝福ギフトならもしかして、と思って」

「やっぱり、エーバ村長には話すことに躊躇いがあったのね?」

「レストナ村の実情を話せば、あの優しいエーバ村長はきっと援助してくれるでしょう。でも、焼け石に水です。そこから先、よくなる保証はどこにもないし、まったく未来の見通しが立ちません。情けないけど、そういうことです。それに、下手に関係を悟られると、ラガン村がアイギナ村まで目をつけないとも限らないから」


 ラスナイトが話し終わると、小屋の中はしんと静まりかえった。


 アスベルはふと小屋を見回す。天井は木の皮を何重にも重ねて打ちつけた粗末なもの、石積みの壁は不揃いな石を使っているせいでバラバラで、粘土質の土や水が少ないからか目地に塗るモルタルもなく、どこからか隙間風が吹く。小屋の奥は納屋になっており、牧畜道具や飼料、藁を積んでいたが、どうも藁は古そうで最近採ったものではなさそうだった。


 それに、時折外を強い風が吹く音がする。そのたび天井はたわみ、小屋自体が半地下のように床を掘られているのは風を避けるためだと分かる。何よりも、この小屋の中で鉄製品が簡易ストーブしかないことも——ラスナイトがアイギナ村に比べても貧しい生活をしていることがはっきりとしていた。


 アスベルはひとしきりラスナイトを観察して、分かったことがある。


(この娘、純血の獣人サテュロスじゃないからあんまり村での待遇もよくないだろうに、よくやるな……独り抜け出して、アイギナ村にでも身を寄せればいいもんを、その発想さえ浮かばないほど貧しいかね。獣人サテュロス人馬ケンタウロスも、家族はもういないだろうに)


 ラスナイトの小屋は古く、家族で暮らすことを前提に作られている。しかし、夜が更けてもラスナイトの同居家族が帰ってくる様子はなく、ラスナイトも口にしない。ラスナイトを知っているコルムも口を挟まないし、保護者の存在はないものと見ていいだろう。


 別段、獣人サテュロスたちに限った話ではなく、困窮していてもその土地を抜け出すという発想を得ることは、なかなかに難しい。他の新天地が存在するのだ、ということを無知で知らないからだ。


 アイギナ村などは恵まれた場所で、学校もあり他の街や村との交流もあって、なおかつ食糧が豊富だ。その食糧を生み出す土壌も豊かであり、村の人々が持つ土地も広い。カツキというよそ者をあっさり受け入れるほど、心の余裕があった。


 だが、レストナ村は違う。獣人サテュロスの村だけあって元々閉鎖的なのだろうし、ラスナイトは獣人サテュロスを自称している。そこにこだわりがあって、村に住みつづけたい思いも一応はあるから、この村の元から離れようとしないだろう。


(となると、ラスナイト個人だけじゃなく村全体をも考えないといけないわけだが、カツキとヴァレー伯爵閣下には何か策があるかな。俺じゃ何の力にもなれそうにないが)


 すっとアスベルはルネへ目配せをする。ルネはその意をすぐに汲み取った。


「だそうだけど、カツキ、あなたの意見を聞きたいわ。こっちにいらっしゃい」


 カツキの背へ、三人の視線が集中する。


 その呼びかけに応じ、カツキは切なそうに鳴くコルムの頭を撫で、立ち上がる。


「カツキ……大丈夫?」

「ああ。心配かけた、コルム」

「いいよ、俺こそごめんよ」


 やってきたカツキに従い、コルムも車座に加わった。


 いつになく真剣なカツキの様子に、アスベルもルネも同情すると同時に——期待した。


 異世界からやってきた、祝福ギフト農耕神クエビコの手』を持つ英雄。彼がどんな手を用いて、ラスナイトという少女を、レストナ村という貧しい共同体を救うのか。


 彼がそれを考えていないはずがない、と二人は知っていたし、固く信じていた。


 カツキは、おもむろに聴衆がもっとも望むであろう確たる筋書きを語りはじめる。


「まず、ラガン村が直接アイギナ村を丸ごと奪いに来ない理由は、地形的なことだ。日が暮れないうちに何とか確認したけど、北のラガン村とレストナ村の間には深い峡谷があって、幅も広い。ただ、その間に何ヶ所か牧草地があって、細い崖沿いの一本道が村同士をやっと繋いでいる。その牧草地は日当たりがよく、風がうまく遮られるところで……西から東へ行く渡り鳥の休憩スペースでもあって、季節が変わって峡谷に東向きの強めの風が吹く日を待つために使われてるんだ。ここまではラスから聞いた話も含めてる」


 聴衆はみな理解できたと頷く。


 それを確認して、カツキは自身の予見した未来を口にする。


「だから、その牧草地は早晩、使えなくなる」

「え!?」


 驚くラスナイトへ、ルネが補足するように説明を付け加える。


「ああ、例の毒素ね。渡り鳥を介しているのだから、当然休憩地であるそこに集積されるでしょうね」

「そう、それにそこまで肥料を与えに行くにしても、かなりの重労働だ。割に合わないし、ラガン村の獣人サテュロスたちはきっとこのことを知らない。ラスの世話になっている僕たちが教えても、信じるかどうか怪しい」


 でしょうね、とラスナイトが気落ちした様子で同意した。


 閉鎖的で、縄張り意識が強い獣人サテュロスたちが、自分たちの土地についてよそ者が何かを言ってきたとしても、聞き入れる可能性は非常に低いと言わざるをえない。それに、ラガン村もレストナ村も、村人が殺されるほどの事態となってもこの土地の領主に何ら関与させていないのだ。気性の荒さからほぼ放置されているだろうし、獣人サテュロスたち自身が誰かの関与を望むこともない。


 であれば、もうラガン村に関しては放っておくしかない。救いの手を差し伸べるとすれば、彼らが助けを求めて懇願してきたときだけだ。


 レストナ村に関してはまだ余地はあって、たとえ混血ダブルのラスナイトの説得が弱くても追い詰められた村の苦境を考えれば話を聞くかもしれない。この二つの村は、状況が違うからこそ、選び取れる未来が違うのだ。


「ふむ。なら、これ以上のラガン村勢力圏の自発的な南下はない、と考えてよさそうね。向こうも大変だろうし」

「そう、ラガン村もレストナ村が他にいい牧草地を持ってるなんて思わないはず。長年、峡谷の牧草地を争ってきたんだから、それ以外に残ってるなんて考えないと思う」

「じゃあ、そっちはいいとして……この村はどうする?」


 そう尋ねたルネも、カツキの示す方針をすでに予見していたことだろう。他に取れる手段はないのだ、と誰もが薄々考えていたことだ。


 カツキはルネに望まれた仕事を果たす。


「アイギナ村へレストナ村の全員が引っ越したほうがいい。『農耕神クエビコの手』で調べたけど、このあたりは決定的に農耕に向いてないんだ。土が少ないし貧弱、それに」

「それに?」

「鉱脈がある。それを巡って、いずれもっと大きな争いになって、今度こそこの村は全滅するほどの大量の鉄鉱脈が」


 これには、全員の目の色が変わった。


 ラスナイトさえ、鉄鉱脈の意味を分かっているに違いない。


 それが存在することは、鉄鉱石を採取し、鉄を精製して、それを求める商人に売却して長期間利益を上げられることを意味する。


 さして鉄製品さえないこの村の住人だってその価値は分かるのなら、アスベルやルネ、コルムさえを理解するのは難しくない。


 利益は、カネは、争いを生む。子々孫々のために、豊かさのために、人は殺してでも奪い取ろうとする。今のラガン村が牧草地を奪う程度の規模ではない、ここ一帯のまつろわぬ獣人サテュロスたちの大量虐殺を領主あるいは国王が許容するほどの膨大な富を生み出すのだ。


 『農耕神クエビコの手』はあくまで土地が農耕に向いているか、その分析をしたにすぎないが、分析理由をちゃんと教えてくれる。このレストナ村一帯の土地は不純物が多すぎて耕せない、土壌よりも岩盤、鉱脈類の存在が大きいからだ、とカツキは知り、それらをさらに分析にかけた結果、地下深くまで、そして東へ連なる山の頂まで、豊富に鉄鉱石が含まれているということが判明したのだ。


「カツキ。念のため聞くけれど、それは事実ね?」

「ヴィセア王国から専門家を派遣して調査したほうがいいけど、まず間違いないと思う」

「だとすれば、王国がこの土地を丸ごと召し上げましょう。僻地の領地統治に無関心な領主よりも、国家が絡んだほうがマシよ」

「待って、それだと私たちはここを追われるということ? それは、みんな納得しないと思います」

「だからよ。より強大な勢力が、文句も言わさないほどに強権を行使してこそ、あなたたち獣人サテュロスは納得する。ついでに、ここは王国直轄領だとラガン村にも知らしめて、好き放題のやり口を牽制しないと周囲も危ないのよ。リスクマネジメントとして、この選択は十分に現実的だわ」


 ルネの意見は、ラスナイトの不満や不安をピシャリと封殺した。


 今のルネは、あくまで統治者の視点からの意見を口にした。もはや、村人の個人レベルで考えていい話ではなく、鉄鉱脈の存在もラガン村の侵略的思考も放置しては周辺の街や村落に致命的な危険を与えると判断されるべき案件だ。レストナ村の人々がそこに反対する力はなく、無条件で従わざるをえない。


 実際レストナ村の獣人サテュロスたちが無条件に従うかどうかは別の話だが、そこは知恵者のルネが手回しをして上手くやると信じるほかない。


 さらに、まだ話は続く。


「カツキ、まだ隠し玉はあるわね?」


 当然、とばかりにルネはカツキへ確認を取り、カツキはすんなりとそれを認めた。


「うん、詳しいことはまた話す。でも、牛のエサについては、もう心配しなくていい」


 カツキは目を細め、簡易ストーブの中の炎を見つめた。


 これでよかったのだ、と自分を納得させながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る