第11話 お城は怖い件 後編

 リオたち三人の『救援隊』がタイラたち『先遣隊』を大陸西から無事帰還させて、まだ二日と経っていないというのに、すでに城内には『英雄』の悪い噂が広がっていた。


「魔王を倒すと勝手に先走って、助けてもらっておいて『先遣隊』か。後付けの隊名で大臣たちが火消しに躍起になるのも頷けるな」

「兵舎でどれだけ好き放題して、暴れていたことか……少しは大人しくなるだろうが、いかんせん祝福ギフト持ち様だからな。機嫌を損ねればどうなることやら」

「大丈夫、そんなやつらも今では魔物に怯えて病院送りだ。残っているのも女ばかり、まともに戦えるとは思えんよ。ははっ、召喚は失敗だったのかね」

「しっ、滅多なことを言うもんじゃない。王女派の耳に入るよ」


 どれだけ耳を塞ごうと、悪評はあちこちから噴出し、リオの耳に届いていた。


 城内では、失敗した『英雄』を見る目が厳しくなりつつある。リオたち——異世界にやってきた三十一人——が後ろ盾としていた王女イディールや大臣たちとは多忙を理由にまだ正式に面会できておらず、弁解も報告も叶っていない。リオは仕方なく宿舎に戻り、明日もまた面会を要請するしかないが、無駄だろうと諦めつつあった。


 さらに、タイラたち十人は今もまだ病院で治療中だ。疲労が抜けず、大きな怪我こそないがやはり一週間ほどは安静にしておかなくてはならない。もちろん、それが大臣たちの指示で、タイラたちは余計な情報を漏らさないよう監禁されているのだ、とリオはとっくに察している。


 そう、タイラたちの失敗を材料に、王女派の大臣たちがこれからの『英雄』たちの主導権を握ろうとしている。


 今までは三十一人揃って『英雄』とチヤホヤされ、彼らは比較的自由にやってきた。しかし、図に乗って兵士や使用人たちへ横柄な態度を取る者もいたし、十分な食事も綺麗な服も清潔な住まいも与えられる上げ膳据え膳の環境に甘んじて何もしない者もいた。


 リオは今更ながら、タイラたちがマシだった、という事実に複雑な思いを抱いていた。魔王討伐だけでなく魔物が罪のない人々を脅かしていることを知り、自分の持つ祝福ギフトを役立てて戦おう、などと殊勝なことを思うクラスメイトは、実は半分もいなかったのだ。


 だからこそ、タイラたちは焦ったのかもしれない。やる気のないクラスメイトたちに何とか奮起してもらおうとリオたち三人が説得を繰り返している間に、タイラたち十人は魔王討伐へと出発してしまっていたのだ。


 ところが、残りのクラスメイト十八人のうち十四人が女子で、この世界に馴染むことすらまだできていない。ほとんどが祝福ギフトを自覚的に扱うことはできず、自分がどんな能力を持っているのか知ろうとせず、戦えと訴えてくる現実から逃避して泣き暮らしているほどだ。


(この状況でまともに戦えるほうがおかしいんだ。タイラたちは無策だったけど、一応の勇気は示した。でも、みんながみんなそうできるわけじゃない。俺とナオとアリサは奇跡的にいい祝福ギフト揃いでバランスもよかったから、三人であんな奥地まで行けただけだ。これ以上は……さすがに三人旅じゃ無謀すぎるだろ)


 宿舎への長い石橋へ足を踏み入れ、リオは浮かない表情で空を見上げた。


 空には星が瞬いている。、満天の星空だ。明るい太陽が出ていても、なぜあれらの星は見えるのだろうか。リオはまるで原理が分からない。宿舎の部屋に引きこもる女子たちは不気味だと空を見上げたがらないし、と尋ねても城の兵士や使用人たちはくすくす笑うか、呆れ顔を見せるだけだ。リオたちの世界の空と、この世界の空が異なるというたったそれだけのことが、リオを含め誰にも説明できないのだ。この世界でも知識のある学者に聞けば違った答えが出てくるかもしれないが、残念ながらリオたちは接触する機会に恵まれていない。


 言葉が通じようと、コミュニケーションが満足に取れなければ会話は成立しないし、話し合いにもならない。今になって、リオはそのつらさと難しさに直面していた。何かを成し遂げたわけでもないリオの話をまともに聞くこの世界の人間はいないし、王女派の大臣たちはリオたちを利用することしか考えていないため理解し合うことはできないのだ。


 では、どうすればいいか——今のリオにはまったく手の打ちようがなかった。最悪、クラスメイトたちを無駄死にさせないようにするにはどうすればいいか、と暗い未来の展望しか思いつかない。


 リオが石橋の欄干から鏡のような水面の川を覗けば、疲れ切ったリオの顔が見返してきていた。


 水面に映っているのは、髪を短く切り、雑に縫った毛皮のコートを羽織って鎧小手と鎖かたびらを着込んでいる少年だ。額には魔物にぶん殴られたときの傷がうっすら残っていた。あれはナオの手当てが少しでも遅れていれば命にも関わっただろう大怪我だった、とリオはしみじみナオとアリサに助けられている事実を噛み締める。


 リオが足を止めてぼうっとしていると、声がかけられた。


 数人の兵士たちが、近くの建物の二階からわざとらしく大声でリオへ話しかける。


「よう、英雄様。お仲間の様子はどうだい?」


 リオが答える前から、からかい嘲笑う声がどっと起きていた。


 どう答えても角が立つ、リオが黙って宿舎へ踵を返そうとしたところ、さらに兵士たちの低い濁声が降ってくる。


「最近、お前たちのことをお偉いさんがなんて呼んでるか、知ってるか?」

「タダ飯食らい、だとよ。そりゃそうだ、俺たちの宿舎を横取りして、やってることは一日中引きこもることだけだもんな」

「なあ、いつになったら魔王を退治してくれるんだ? 明日か? 一年後か? それとも俺たちが死んでからか? 図に乗ったガキどもの世話をさせられる身にもなってくれよ」


 彼らに反論などするだけ無駄だ、わざと火種を撒いてリオの失態を誘っているだけなのだ。


 突然やってきて、魔王を討伐するために祝福ギフト持ちの子どもたちが英雄だ何だとはしゃいでいれば、この国や城を守ってきた大人の兵士たちの不満は当然湧く。しかも、失敗したとなればここぞとばかりにその不満の捌け口とするのだろう。


 だから——リオは建物の二階へと、兵士たちへと深く頭を下げた。


「それは、本当に申し訳ないと思ってる。あいつらはまだ、祝福ギフトが使いこなせなくて戸惑ってるんだ」


 それは兵士たちにとっては、実に面白みのない返答だっただろう。


 頭を下げるリオを笑うことも、叱責を続けることも、面白くないと白けてしまうほどに。


 城内で自分たちの落ち度となるようなことはせず、兵士たちはあからさまな舌打ちをしながら姿を消した。そのくらいの理性は残っているんだな、とリオは他人事のように思いながら、ゆっくりと上体を起こす。


 リオにとっては、頭を下げるなど何ともない。魔物がいるのに味方同士で争う必要などなく、これ以上自分たちの立場を悪くする必要だってないと理解している。


 下手に理解しているからこそ、リオはもうどうしようもないのだと分かってしまっていた。


 このままでは無理矢理、大陸西へクラスメイト全員が送り込まれるような事態になりかねない。戦う心構えも能力もないクラスメイトは、魔王討伐どころか旅の最中に死に瀕してしまうだろう。それを避けるためには、と考え込みながらリオは再度宿舎へ足を向ける。


 ところが、である。


 木造の平屋建て宿舎の前に、見たことのない一人の男性がやってきていた。青年と言っても差し支えない若さで、きちんとした身なりと風貌からして城の官僚、それもそこそこ位の高い人ではないだろうか、とリオは推測する。それに、黒装束を脱いでジャンパースカート姿のナオと、ブラウスにキュロットスカートを履いたアリサが困った顔で応対していた。


 男性はリオを見つけ、待ちかねたとばかりに嬉しそうな声を上げた。


「貴殿が堂上リオか。待っていたぞ」


 ナオとアリサが黙って身を引く。三人で話し合って、城側から何かあればリオに窓口を一本化しておけば面倒がない、ということになっているのだ。


 リオは精一杯の愛想笑いをして、男性へ問いかける。


「俺がリオですが、何でしょう?」

「実は、貴殿に頼みがある。これを近隣の、魔物の生息地中心に植えてきてほしいのだ。手順はこの封筒の中に書いてあるとおりで、植えて三日ほど観察してほしい」


 これ、と男性が指差したのは、足元に置かれていた三つの大きめの布の袋だ。上には封筒が載っており、手順書と書かれている。


 魔物の生息地中心に、という言葉に我慢ならなかったのか、苛ついた様子のナオが男性へと叫ぶ。


「そんな、魔物のいるど真ん中に行って、しかも居座れって!? 冗談じゃないっての、殺されるじゃん!」

「だが、重要な実験だ。無論、報酬は弾む」

「報酬って……!」

「やめろ、ナオ」


 リオはすっと割って入り、ナオを引き下がらせる。


 あくまで冷静に、リオは考えを巡らせるために、とりあえずは依頼の内容を確認することとした。


「開けてもいいですか?」

「ああ」


 快諾を得てリオは布の袋を一つ、口を結んだ紐を引っ張って開く。


 すると、中からは——充満していた爽やかな香りが押し寄せてきた。思わず咳き込み、リオはその正体を探ろうと袋の口を広げる。中身が露わになったところで、離れた位置から鼻を押さえるナオとアリサがその正体を見破った。


「何、この匂い。ミント?」

「だよね。すっごい爽やか」

「それ植えて何になるの? 魔物が嫌うとか?」

「虫じゃあるまいし」


 袋の中身は、非常にいきいきとした大量のミントの苗と土だった。


 リオとしては、デザートのアイスクリームに飾りとして乗るミントの一葉が思い浮かんだのだが、どうも袋の中のミントと思しき苗たちは、葉っぱが人間の手のひらよりも大きい。下手すると顔ほどもあるのではないか。それに、とても生命力に満ち溢れた鮮やかな緑色をしていて、ただものではないと一目で分かるほどだ。


 ようやく、男性は依頼の内容について一歩踏み込んだ説明を始めた。


「その薬草はとある魔物研究者が生育したもので、魔物を寄せ付けない効果があるそうだ。だが、魔物研究者が実地に赴いて実験するには危険すぎる。なので、貴殿らに頼みたいのだ。これを植えるだけで魔物を避けられるとなれば、魔物による被害を食い止める一歩となる。それと、なるべく手間がかからないよう肥えた土と生育に必要な養分をセットにし、日当たりのいい場所へ置いて水をかけるだけでいいように最大限手順を簡略化してあるから、と言伝も受け取っている。どうか、受けてはもらえないだろうか」


 そんな都合のいいものがあるのなら、どうしてもっと早く与えられなかったものか。


 リオのそんな思いは胸にしまわれ、愛想笑いのままリオは男性の頼みを承諾する。


「分かりました。すぐに出発します」

「おお、よろしく頼む。必要なものがあれば言ってくれ、できるかぎり用意しよう。私はルシウス大臣の秘書官を務めている、リシャールという。城の南側三階にあるルシウス大臣の執務室隣にいるから、いつでも声をかけてほしい」


 リシャールは三つの布の袋と手順書を置いて、にこやかに帰って行った。


 リシャールの上司であるルシウスという大臣の名前は、リオも聞いたことだけはある。ただ会ったことはなく、あくまで大臣たちの中でも年長の、足が不自由なため職務の第一線から退いている老人だ、と聞いていた。


 そのルシウス大臣が、わざわざリオを罠に嵌めるような行動を取る、というのも考えづらかった。この依頼でリオに何かあれば王女派が黙ってはいないだろうし、もし何かする気ならリオよりもよっぽど嵌めやすいクラスメイトたちが大勢いる。


 とはいえ、リオの思考はそこが限界だった。それ以上のことはよく知らない上に、もし本当にこのミントのようなものに魔物を遠ざけるような効果があって実験を依頼してきたのだとすれば、やはり善意からかその期待に応えたい気持ちはある。


 実質的に三人のリーダーであるリオの言葉を待つナオとアリサへ、リオは鬱々とした気持ちを消してにぎやかな仮面を被り、音頭を取る。


「とにかく、やってみるしかない。隠密行動だ、気を引き締めていくぞ!」

「あー、やりたくないなぁ……」

「隠密行動ならあーりんに任せろー!」


 こうして、リオ、ナオ、アリサの三人組は実験のため、その日のうちに魔物のいる西方へと出立した。


 少しずつだが、運命の歯車が噛み合っていく。悪い未来ばかりではなく、よい未来もリオたちには残されていた。

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