18章 燃焼の季節へ

第452話 燃焼の季節

 オールスターが終わると本格的に、夏になったと感じてくる。

 高校野球も甲子園に続く、夏の地方大会が始まるのだ。

 東京ドームで今年は試合をする司朗だが、去年までは神宮で戦っていた。

 あそこは大学野球の聖地であるが、東京の高校球児にとっても、甲子園につながる舞台であったのだ。

 もう二度と、あの夏を経験することはない。

 そう思うとプロのステージに来た自分なのに、どこか悲しいものを感じてしまう。


 プロ野球ももちろん、勝利と優勝を目的としている。

 だが年間の試合を見ると、負けている試合もあまりにも多いのだ。

 高校時代にはあった、一度負ければそこで終わりという、ひりひりした感覚はない。

 その緩みが怖い。

 もっと集中して目の前のボールを打っていく。

 しかしどこかで抜いていかないと、レギュラーシーズンを戦い抜くことはしんどいだろう。


 プロは全力疾走をしない。

 もちろん場面によるが、内野ゴロが正面に飛べば、抜いて走ってアウトになる。

 司朗は比較的力を入れて走るが、それでも抜いて走る場面はある。

 プロの守備ならミスはしない、と判断しているからだ。

 実際のところはプロでも、送球でのエラーはかなり多い。

 だがそれは不充分な体勢であったり握りであったり、ランナーが内野安打になりそうな場合だ。


 司朗は相当に内野安打も打っているが、セカンド正面に打った球を、ミスしてくれるなどとは考えない。

 力を抜くのは相手が、プロとしてミスはしないことを認めているから。

 それでもショートなどに浅いゴロを打ったら、全力で走ることはあるが。

 左バッターというのは、打った体勢をそのままでスタート出来る。

 だから一塁までの距離が、実際には一歩以上短いと言えるのだ。


 実家から寮に戻った司朗は、遠征の準備をする。

 次はライガース、そしてカップスとアウェイでのカードが組まれているのだ。

 特に重要なカードは、もちろんライガースとの試合である。

 リードオフマンと正遊撃手を失ったレックスは、ここから少し勝率を落としていくはずだ。

 そのレックスに近づくため、そしてライガースとの差を広げるため、直接対決は勝っていきたい。


 オールスター後の最初のカード、レックスの試合は、スターズが相手となっている。

 ただそのスターズも、第一戦は武史が投げるのだ。

 今年はまだ一度しか負けていない武史。

 もちろんレックスも直史が投げるなら、互角以上に戦えるだろう。

 だがオールスター前の最終戦に投げた直史は、そこで投げるなら中四日。

 今の直史にそんな間隔で、投げさせることはありえないのだ。


 完全に抑えられてしまっている。

 しかしそれでも全盛期に比べれば、まだしも打てると言われている佐藤兄弟。

 当たり前の話だが、司朗はその全盛期と戦うことはない。

 だから比較するとしたら、もうそれは記録によるものになるだろうか。

 もっとも野球はルールも微妙に変わるし、メカニックも変わっていく。

 一時期はピッチャーが圧倒的に有利な時代もあったし、それを覆すための手段も色々と模索された。

 今はやや、バッターが有利になっているだろうか。

 どこを基準にしたらいいのか、それが分からない問題ではあるが。




 タイタンズには同じくレジェンドと言われる悟がいる。

 高卒で日本に残ったため、ホームラン数が600本を超える怪物だ。

 そんな悟であると、全盛期の父や伯父との対戦が少しある。

 当時はリーグが違って、あまり対戦できなかったが。

「あの人は、その時々で違う形に、最強であり続けてるからなあ」

 それが悟の、直史に対する感想である。


 高校時代に既に、伝説に残るようなことをやっていた。

 試合全般で見たならば、ホームランを打ちまくった大介のほうが派手である。

 しかし決勝などで、強敵相手に残した戦績が、他のピッチャーには出来ないものになっている。

 タイブレークになっても一本のヒットも許さず、また15回をパーフェクトで抑える。

 事実として映像は残っているのだが、当時のリアルタイムでこれをどう感じたか、悟なら話せるのだ。


 高校二年生の夏に、直史は事実上のパーフェクトをやっていた。

 春にはノーヒットノーランをしたが、その時には準々決勝で負けている。

 そして三年の夏には、15回までを投げきってパーフェクトのまま決着が着かず、翌日にも振るイニングを完封した。

 記録上はパーフェクトを達成していないのだ。


 その点では昇馬の方が、既にパーフェクトやノーヒットノーランを複数回達成している。

 しかしそれでも直史のピッチングは、劣るものではないと言う。

 昇馬は確かにパワーピッチャーで、上杉と並ぶような高校野球の怪物だ。

 だがその内容はちゃんと、誰にでも分かる凄さと言えるだろう。

 直史はそれに対して、人間の想像を超えたような、そういうピッチングをしていたのだ。

 そしてそれは後に、大学野球やプロ野球でも見せ付けられることになる。


 他にも多くの偉大なピッチャーはいたのだ。

 それこそ上杉なども、複数回のパーフェクトを達成している。

 しかし直史の達成回数は、MLBでは直史一人で、全ての達成回数の半分ほどを占めている。

 達成者の達成した試合を並べていくと、おかしなことになってくるのだ。

 何かの間違いのようにも思えるが、事実なのだからおかしい。


「それでも確かに、衰えているのは間違いないな」

 悟がそういうのは、直史の欠場が増えているからだ。

「昔のあの人は、日本シリーズに一人で四勝したり、本当におかしかった」

 四試合中三試合を完投完封し、パーフェクトもしてしまうのだから恐ろしい。

 投げ合った相手は蓮池や上杉正也など、レジェンドクラスのピッチャーである。


 何度も対戦している悟だが、本当に大事な試合では、負けないピッチャーというのが直史である。

 真なるエースの条件を勝利することとするなら、直史こそがまさにエースである。

「誰かが言ってたんだけど、エースに相応しい条件は二つあるんだ」

 悟の説明は、分かりやすいものであった。

「一つは、こいつなら絶対に勝ってくれるというピッチャー」

 直史はまさにそれであろう。

「そしてもう一つは、こいつで負けるなら仕方がないというピッチャー」

 ああ、と司朗は納得する思いであった。




 オールスター後のライガースとの三連戦。

 真夏の甲子園で、その対戦が始まる。

 だがナイターであるとやはり、甲子園という雰囲気が薄れる。

 あの甲子園は、高校球児たちだけのものだったのだ。

(あれがあるから、アマチュアのレベルが確保されるんだろうな)

 幼少期はアメリカで育った司朗だが、それでも甲子園の特別さは分かった。


 アメリカもカレッジスポーツは盛んで、それこそ下手なプロよりも盛り上がる。

 MLBなど不人気球団であっては、観客が5000人ぐらいしか入らない、という試合もあるのだ。

 日本の場合は野球の甲子園が、とにかく特別すぎる。

 昭和の昔はラグビーが盛り上がった時期もあったらしいが、結局プロ野球にまで続く野球には勝てない。

 サッカーなどはユースと高校サッカーに分かれてしまって、むしろ複雑化しすぎている。

 バスケットボールの人気が上がってきて、Bリーグが出来たのはいいことではあろう。


 甲子園にやってきた司朗であるが、ここでは完全にアウェイ。

 高校時代などは東京の代表ながら、かなり応援してもらえたものだ。

 もっともそれは監督であるジンが、選手としても監督としても、甲子園に何度も来ていたから。

 同じ帝都大系列の帝都姫路で、久しぶりに兵庫代表を優勝させたから、というのもあった。

 プロの世界に入ってくると、甲子園は完全にライガースのホームである。

 それでも少しは司朗個人のファンというのはいるのだが。


 本人の認識はともあれ、司朗は完全なスポーツエリートなのである。

 両親は共に日本代表となったサラブレッドであり、高校時代も甲子園の頂点に三度立った。

 全く悪い評判のないイケメンであり、タイタンズが正面から獲得に動いた。

 久しぶりのスーパースタートして、NPB全体が司朗のことは歓迎している。

 ただしライガースは別である。


 関西の中でも特に、大阪や兵庫はライガースファンが圧倒的に多い。

 そしてその熱狂度も、他のチームの及ぶところではない。

 日本で唯一のフーリガン、などと呼ばれることもある。

 もっとも優勝して道頓堀川に飛び込むぐらいで、充分におとなしいものではないか。

 本場のイギリスのフーリガンなどは、そんなに甘い存在ではない。

 応援の熱狂具合は、ライガースが上回るかもしれないが。


 ライガースはオールスター前のカップスとのカードが、雨で全て中止になっていた。

 よってある程度は試合勘が鈍っている。

 大介はこんなことなら、オールスターに出ていても良かったかもしれない。

 一週間も試合がなかったというのは、ちょっとシーズン中では異例のことである。


 レックスもそこそこ雨の延期があったため、79試合しか消化していない。

 これはライガースと同じ消化数である。

 それに対してタイタンズは、もう84試合を消化している。

 打率はやや大介がリードしている。

 レックス戦で直史相手に、ヒット一本は打ったが、それだけでは足りなかった。

 司朗としてはここで、ヒットを稼がなければいけない。

 打率も重要であるが、それよりは最多安打。

 大介と競争しなくていい、そちらのタイトルの方が取りやすい。


 敬遠を含めたフォアボールの出塁数が、圧倒的に違う。

 ただ司朗もだんだんと、敬遠される機会が増えてきた。

 長打の一発は大介ほどではなくても、得点圏での目立つヒットが多い。

 すると統計であっさりと、出してしまうのが今の野球だ。

 勝負強いクラッチヒッターであるため、敬遠が選択肢になる。

 もっとも大介のような、クラッチスラッガーよりはマシであろうが。




 第一戦が始まる。

 先頭打者の司朗は、初球を打ってセンター前に運んだ。

 ライガースの先発は、FAで移籍してきた友永。

 安定した先発ローテのピッチャーであるが、突出したエースというわけではない。

 ライガースはやはり、強いエースがほしいのだ。

 それでもおおよそのチーム相手なら、打撃で上回ってハイスコアゲームに持ち込める。

 タイタンズもまだ、先発にエースクラスというピッチャーを持っていない。

 なかなかピッチャーでいい選手を獲得するのも育てるのも、難しい話であるのだ。

 今は25歳になると、すぐにメジャーを考えてしまう時代なので。


 かつてはトップクラスのエースでも、メジャーで通用しなかったりした。

 だが今では上手くメジャーに適応させる、ステップアップの手段が確立されているのだ。

 高卒ピッチャーが一年二軍で働いて、そこから六年一軍の主力となる。

 これならばまだしも、チームとしては悪くないと言えるだろう。

 しかしこれが大卒ピッチャーであればどうだろうか。

 こちらは年齢ではなく、プロ六年目の条件が適応されて、マイナー契約しか結べなくなる。

 ピッチャーの29歳以降というのは、もう全盛期を過ぎていたりするものだ。


 ピッチャーは高卒で、25歳を目途にアメリカに行けばいい。

 だが大卒となると、そのあたりも話が別になる。

 司朗としては別に、MLBに憧れがあるとか、そういうわけではない。

 ただ年俸の格差というのが、日米間の移籍を歪なものとしている。

 それでも高卒選手なら、25歳までは日本で活動した方が、メジャー契約を結べることになるのだが。


 ポスティングでメジャー移籍し、そしてFAでより良い契約を結ぶ。

 これが日本の選手の、一番いい稼ぎ方になるだろう。

 司朗の場合は野手であるが、スラッガーの能力がありながらセンターを守れる。

 守備力と強肩、そして盗塁が揃っているので、メジャーでも通用すると思われる。

 他の理由としては、165km/hを投げる昇馬から、ちゃんとヒットを打っていることなどであろう。


 メジャーのスカウトからすると、一番の狙いは昇馬なのである。

 夢の両利きピッチャーとして、どちらでも160km/hオーバーで投げられる。

 そして一試合に平気で、20個もの三振を奪っていく。

 今年の夏もNPBよりも、甲子園とそこに至るまでを、じっくりと見極めたいスカウトは多い。

 MLBのフィジカルに対して、日本は技術などで勝負する、などと言われてきた。

 しかし昇馬のフィジカルは、既にMLBクラスである。

 その上でまだまだ、伸び代を感じさせる。

 素質としては間違いなく、最大のものであろう。


 もっともこれだけ傑出していながらも、伸び代とかどうとかではなく、底知れなさがある。

 野球の枠にとどまらない、人間の肉体的な最高のパフォーマンス。

 身近で父の姿を見てきて、伯父の姿も見てきている。

 こういった環境までもふまえて、昇馬のことは評価しているのだ。




 この試合司朗は、初回にまず単打を打った。

 そして第三打席では、ランナーがいるところで深いツーベースを打つ。

 そのまま自分もホームを踏んでいるが、盗塁も一つ記録している。

 つまりマルチヒットを達成しているわけである。


 それに対して大介は、ヒットは一本ながらそれで打点を稼ぐ。

 自らもホームを踏んで、ライガースの方が得点をしていく。

 ただこの試合は、ライガースの友永の調子が、普段よりも良かったことが、勝因と言ってもいいだろう。

 大介の打率は少し低下し、司朗の打率は少し上昇した。

 シーズンも後半に入ってくると、一試合の結果だけでそうそう、順位が変わることは少なくなってくる。

 それでも二人の首位打者争いは、この数年なかったほどの接戦となっている。

 単に競っているというだけではなく、史上稀に見る高いレベルでの争いだ。


 試合自体の結果は、ライガースが勝利する。

 6-4というスコアであり、ピッチャーがなかなか打線を抑えられていない。

 ただ負けていてもタイタンズは、司朗の活躍で見出しが作れる。

 ヒットを二本打ったので、シーズン記録を更新する可能性へまた一歩進んでいるのだ。


 首脳陣としては、タイタンズの寺島はかなり、苦々しい思いであった。

 試合勘が鈍っているはずのライガースから、カードの初戦を取れなかった。

 ピッチャーの差はさほどではなく、どちらも勝ちを狙っていける先発であった。

 だがライガースは雨天延期のために、ピッチャーのローテを調整出来ていた。

 それがこの結果につながったのかもしれない。


 ペナントレースの首位は、レックスが走っている。

 二位と三位が潰しあうのは、レックスにとってありがたいことであろう。

 ただライガースもタイタンズも、そこはあまり心配していない。

 レックスは主力の今季絶望のため、ここから数字が落ちてくるのは間違いないからだ。

 せっかく高めた得点力が、また落ちてしまう。

 スターズとの試合で、それを確認させてもらおうではないか。


 そもそもスターズは、第一戦の先発が武史である。

 ここはさすがにレックスも、落とすものだと考えていい。

 だがチーム力の落ちているスターズから、どうやって勝ち星を得ていくか。

 それを見てから色々と、レックスの攻略法を考えていくのだ。


 主力が抜けることによって、チーム力が低下する。

 そういったアクシデントで優勝の行方が変わるのは、確かによくあることだ。

 だが見る側としては、万全の状態同士で、戦う試合が見たい。

 それは両チームの首脳陣も分かっている。

 それでも相手の不運を、ある程度は喜んでしまうのだ。


 この日、レックスはスターズとの試合を落とした。

 だがピッチャーの強さを比較すれば、それは普通のことだろう。

 武史も点を取られているため、完全に一方的なものではない。

 木津が投げて、それなりの試合にはなったのだ。

 本当に得点力が高いチーム相手でも低いチーム相手でも、あまり結果の変わらないピッチャーである。

 この試合はロースコアに終わったのは言うまでもない。

 クオリティスタートを決めたものの、レックスは敗北し、木津は負け投手となったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る