第412話 ピッチャーの消耗

 弱小球団とは言え、地元に存在する球団で、本多は育ってきたのだ。

 出身はやや愛知でも東側であるが、高校は名門の名徳に進学。

 甲子園でも活躍し、ハズレだがドラフト一位で、高卒野手として入団している。

 二年目からは既に、完全に主力として機能。

 だがほとんどが最下位で、Aクラス入りも一度も果たせないというチームでは、モチベーションを保つのにも限界がある。

 メジャー挑戦というのは、環境を変えたいという気持ちがあったからだ。

 ならばFA移籍よりも球団に金が残る、ポスティングの方がいいであろう。


 本当ならリーグ優勝ぐらいしてから、渡米するのが良かったのだ。

 だがいつまでも強くならないチームにいて、だらだらと時間を過ごすのは嫌であった。

 フェニックスのフロントとしても、本多の言いたいことははっきりと分かる。

 打者指標でフェニックスの中では、ほとんどの部門で一位なのだ。

 ドラフトからの育成も出来ていないし、外国人補強も出来ていない。

 かといってFAで積極的な獲得もないのである。


(せめてもの手向けだ)

 本多は今年、キャリアハイの数字を残しつつある。

 それによって己の価値を高め、移籍金も高くしようと考えているのである。

 契約が大型化すれば、それだけ移籍金も高くなる。

 本多にとってもフェニックス球団にとっても、どちらにとってもいいことだ。

(なのにいきなり出てきやがって)

 司朗に対する怒りは、完全に八つ当たりである。


 その本多も今日は、ヒットが打てていない。

 直史が相手であると、当たり前のようにあることだ。

 だがMLBでも無双した直史から打つことは、あちらでやっていく上でも自信になる。

 もっともMLBも当時と今では、いろいろとスタンダードが変わっているが。


 野球はバージョンアップ、あるいはバージョン変更が、頻繁になされるスポーツだ。

 特にデータの蓄積と分析がされるようになってからは、単純な才能や素質だけでは通用しなくなっている。

 打率よりも出塁率が重視されるようになった一番。

 基本的に送りバントはしてこない。

 球数を減らすために、ムービング系が発達した。

 そしてフライボール革命への対処として、高めへのストレートが重要となっている。


 フィジカルによる球速は重要だが、ボールの持っている特性がそれ以上に重要になる。

 あえてキレイな真っ直ぐを投げさせようともしない。

 クセ球などと日本でも言われる、ミスショットを誘う球は貴重なものだ。

 だが出力はしっかりと出るように、色々と測定などもする。


 直史のボールは少なくとも、五年間の間はMLBで無双した。

 期間としては短いが、その間に達成したことは、他の誰にも不可能なことである。

 それ以前のNPBでも無双しているし、なんなら大学野球でも無双している。

 さらには復帰してからの三年間も、無双してしまっているのだ。

 ただ今年は少し、調子が悪そうであるが。


 今年こそなんとか打って、存在感を高めたい。

 もっとも直史は打たれても平気な場面では、そこそこ簡単にヒットを打たれることもあるのだ。

 パーフェクトなどを達成している試合は、むしろ僅差の試合の方が多い。

 チームの得点力がアップしている今年は、必要ないからパーフェクトをしていないのでは、という無茶な推論が浮かぶ。




 レックスは初回から先制点を上げた。

 そして直史は初回を、三者凡退に抑える。

 二回にもレックスは一点を取って、リードした展開で試合は進む。

 その二回の裏は、四番の本多からの攻撃である。


 直史の危険な領域での本気を、フェニックスはほとんど体験していない。

 なにしろ普通にやっていれば、レックスが勝ってしまうからだ。

 この試合にしても直史は、深く潜っていくことはしていない。

 多少は打たれても、失点にさえならなければ問題ない。

 そんな気分で投げてはいるのだが、変化球を駆使されれば、よほど狙いを絞っていないと、ヒットさえ打てないものだ。

 そして直史の配球のパターンは、あまりにも球種が多く、そして適当に投げているように思える。


 少なくとも確かなのは、常識的な配球はしない、ということだ。

 読みが通用しないので、反射で打っていくことになる。

 だがその反射で打つのには、難しいパターンで投げてくる。

 これこそがリードなのだと、そう言わんばかりに。

 速いボールの後には、遅いボールに対応しにくい。

 その程度の常識は備えて、ピッチングのパターンは無数に存在する。


 あとは難しい点は、ストレートとスルーの二つである。

 ホップ成分の高いストレートに、通常の常識に反したジャイロボール。

 これを入れられただけでも、普通のバッターは対応がしにくい。

 反射で打つにしても、これまでの経験の蓄積が、ボールの軌道の予測を阻害する。

 沈みながら伸びるストレートは、本多でも空振りするようなものなのだ。


 今年も150km/hが限界で、140km/h台の後半で主にストレートは投げる。

 このスピードならば今のNPBには、いくらでも投げるピッチャーがいる。

 それなのに直史は、このストレートで空振り三振を奪うのだ。

 ホップ成分の量が、一般的なストレートに比べて、圧倒的に多いからである。


 リリースをより前に、そして低いところから投げれば、スピン以外でもホップ成分は上がる。

 動体視力に優れていれば、その瞬間に球種が分かるかもしれない。

 だが誰も成功していないということは、不可能であるということなのだ。

 こういったスピードボールに加えて、スローカーブとチェンジアップがある。

 特にスルーの逆回転チェンジアップは、ほぼ誰も打てない。

 見逃すことが出来れば、ボール球になどのが確実なので、それが攻略法ではあるのだが。


 本多の第一打席は、空振り三振で終わる。

 レックスがあまり点を取らないのなら、直史は勝利だけを目指して投げてくるだろう。

 そのために普段よりも、出すランナーを少なくして来る。

 本多の第四打席が、回ってくる可能性が低くなるということだ。


 まさしく今日の直史は、空振り三振を奪う数が多い。

 そのくせスローカーブを使えば、スイングすらしない三振も奪える。

 スイング出来ない三振と言うべきか。

 速球系の後に投げられると、スローカーブの軌道は視界から消える。

 これでストライクを奪うのだから、チェンジアップも緩急のためには大事なものなのだ。




 レックスは試合の中盤までに、四点のリードを保っていた。

 三振の多かった直史のピッチングが、打たせて取る方向に変わってくる。

 すると一本ぐらいは、普通のヒットが出てしまう。

 これを打たれた瞬間に、失望のため息がスタンドから漏れたのは、はっきりと分かった。


 本多は第二打席、上手く合わせるように打って、ショートライナーで終わっていた。

 やはりここは一発、長打を狙わなければ四番ではない。

 その三打席目にはまさに、スローカーブを使ってきたのだ。

 リリースの瞬間の腕に集中するほど、見逃してしまうのがスローカーブである。

 速球に反応しようとしていた体は、そこでイレギュラーを起こす。

 エラーの出た状態の体は、スイングが出来なかった。


 ホームランを狙う今の野球では、自然と三振も多くなってしまう。

 そんな中で大介は、去年もたったの32回しか三振していない。

 司朗は132打数で12三振であり、大介は100打数で5三振。

 これだけ打数に差があるのは、当然ながら大介が敬遠されまくっているからだ。

 対して本多はもう、30三振をしている。

 三振が少ないというのが、二人と本多の違いであろう。


 本来は三振が増えてでも、長打を増やすべきなのだ。

 だが大介はとにかく、三振するぐらいならどうにか、カットで逃げてしまうことが出来る。

 プロ入り後で一番三振が多かったのは、デビュー年の50個である。

 だが一番多くても50個というのは、ツーストライクまでホームランを狙っていっても、追い込まれればヒットや出塁に切り替える、というスイングにしているからだ。

 司朗もせいぜい、60個ぐらいの三振になりそうな推移である。

 スラッガーは三振が多いという定説は、大介に大しては当てはまらない。

 このあたり司朗は中距離打者と言われる理由の一つなのだが、そもそも長打率が七割になるバッターが、本当に中距離打者でいいのか。


 あらゆるスポーツは進化して行く。

 その進化の途上で、かつて不要と捨てたものが、また必要とされるかもしれない。

 あるいは進化ではなく、変化でしかないのか。

 少なくとも出力と精度は、上がっているのは間違いないのだが。


 6-0というスコアになったが、直史はまだヒットを二本しか打たれていない。

 それも単打が二本である。

 しかもそのうちの一つは、ダブルプレイで消してしまっていた。

 なんともひどい、死体蹴りではないのか。

 オーバーキルであることは間違いない。


 直史としては上手くスタミナも節約出来た。

 序盤に球数を使ったが、終盤は完全に打たせて取るピッチング。

 9イニングを投げきって、球数は99球。

 今年三度目のマダックスである。

 10個の奪三振のうち、9個は六回までに奪ったもの。

 最後の3イニングは、完全に打たせて取っていたわけだ。




 フルイニングを投げて二桁三振を奪って、マダックスを達成。

 だがノーヒットノーランやパーフェクトを目的としてやってきた観客からは、物足りないと感じてしまう。

 特に前半の奪三振に比べると、終盤は打たせて取るというものであった。

 直史が投げると試合時間が短いので、観客が飽きるということは少ない。

 しかしある程度試合時間は長くないと、観客がビールを飲むのも少なくなるのだ。

 もっとも地方開催であるので、プロ球団の球場におけるような、野球グルメはあまりないのだが。


 次は関東に戻って、スターズのホームでの三連戦となる。

 ただ武史の投げるローテではないし、また悪い情報も入ってきた。

 武史が練習中の肉離れによって、短期間の離脱となったのである。

 去年に比べれば、せいぜい二週間の離脱で済む。

 それでもNPB復帰一年目から考えれば、故障が多くなってきている。

 MLBでも最終年は、わずかだが離脱しているのだ。


 人間の肉体は衰える。

 正確には衰えは、もっと早くから始まっているのだが。

 30代の半ばぐらいまでは、肉体の衰えよりも技術の向上が上回る。

 そのためそれぐらいまでは、野球選手も通用する一流が多い。

 より肉体の衰えを抑制し、技術を積み上げていくなら、それだけ引退は遠くなる。

 それでも限界はあるのであるが。


 ともあれこの時点では、3チームが勝率五割をオーバーしている。

 レックスは20勝12敗、ライガースは20勝13敗、タイタンズは20勝15敗となる。

 カップスもぎりぎりではあるが、五割を切ってしまっている。

 ただこの時点でも既に気になるのは、消化試合の数の違いだ。


 ドームであるホームを持つタイタンズは、レックスやライガースよりも、安定して試合を消化していける。

 もちろんアウェイであるならば、同じく延期になったりはするが。

 ただシーズンの終盤に、残り試合が多くなればどうなるか。

 比較的日程が予備として取られている、NPBではいいピッチャーを使いやすい。

 つまりレックスには有利になりやすい。


 直史を中六日で、使い続けるということ。

 それはレックスにとって、運のいい日程になるということだ。

 当然ながら雨で延期になっても、直史だけはスライド登板となる。

 登板数が増えれば増えるほど、レックスはペナントレースを制する可能性が上がる。

 ただしそれでもなお、ペナントレースを勝てなかった場合。

 コンディション調整に時間を取れず、逆にレックスは不利となっていく。


 今の直史は、休養して回復するのに、かなりの時間をかけている。

 単純な体力だけではなく、肉体にかかった負荷も相当のものだ。

 ダメージから回復するのに、安静にしている必要がある。

 30歳前後の頃には、もっと簡単に調子を整えることが出来たものだが。


 先発ローテでなければ、もう投げられなくなっている。

 自分のペースを守るためには、移動の時間も利用しなければいけない。

 つい必要以上の力を出してしまうと、そこからの調整に時間も労力もかかる。

 もっともこの試合は、計算の範囲内で投げることが出来たが。




 次のカードはトップ3チームが、それぞれ下位のチームと対戦して行く。

 ライガースはカップス、タイタンズはフェニックス、レックスはスターズである。

 そのスターズで武史が投げられないと、一気に対戦相手は楽になる。

 今年はこれまで直史以上に、五試合に先発して全勝していたのだから。


 肉離れはつまり筋肉の断裂で、その程度によって回復期間は変わってくる。

 武史の場合は肩肘は丈夫であったのに、今回は脇腹を痛めたのだ。

 ピッチャーのピッチングは精密動作の集合だけに、そういうことも確かにある。

 わずか一本の骨が折れただけで、選手生命が終わるのがピッチャーなのだ。

 もっともバッターにしても、複雑な掌の骨が折れれば、それでもう打てなくなってしまうものだが。

 スポーツ選手は多かれ少なかれ、故障との戦いを行っている。


 レックスはスターズとの対戦で、百目鬼、オーガス、塚本のローテで対戦する。

 ライガースはカップスと対戦するだけに、一試合は落としてくれることを期待しよう。

 レックスにしてもオーガスはやや調子を落としているが、百目鬼がエースクラスのピッチングを見せている。

 あとは塚本であるが、今年は五試合に先発し、全てに勝敗がついている。

 クオリティスタートにはやや微妙なところであるが、レックスの得点力上昇が、それをフォローしている。

 

 オーガスにしても当たった相手が、打力の優れたライガースやタイタンズが多かったこともあるが、やや失点が増えている。

 契約的にレックスは、新しい外国人を取ってくるかもしれない。

 もっとも今年のシーズン中に、見つけてくるのは難しいだろうが。

「どうなんだ?」

「ボールが全般的に弱くなってるな」

 直史としては自分が頑張っても、他が打たれてはペナントレースに勝てない。

 そして豊田はオーガスが、少なくとも今は衰えて見える、と言っているのだ。


 30代の半ばであり、はっきりと衰えが見えるには、早い年齢であるとは思う。

 だが選手によっては、確かにそれぐらいの年齢でも、球威が衰えたりはするのだ。

 あとはどこかを故障していて、本人がそれを内緒にしているか。

 しかし計測してみれば、明らかにどこかが悪くなっているのではなく、普通にパワーが衰えていっているように見える。

「少し二軍で調整する必要があるかもな」

 開幕から二試合は、むしろ調子が良かったのだ。

 何かの拍子で不調に陥るというのは、別にオーガスに限ったことではない。


 今のレックスは一軍で試したいピッチャーが数人いる。

 なので短期間オーガスを休ませ、そのコンディションを整える、というのは悪いことではない。

 直史としても豊田が言うように、少し休むことはいいと思う。

 単純に休むことで、気分をリフレッシュすることもあるからだ。




 ピッチャーの調子というのは、アナログとデジタルで判断して行くことが出来る。

 アナログというのは要するに、そのピッチングを見てキャッチャーの意見を聞き、考えていくことだ。

 デジタルはもちろん、機械による計測で、その球質の変化を考える。

 オーガスの球質を見れば、スピン量がわずかずつ下がってきている。

 あとは体力を測定しても、確かに色々と落ちてはいるのだ。


 パワーピッチャーであることが無理ならば、技巧派に転向するしかない。

 それが不可能ならば、もうプロの世界にはいられないのだ。

 もっともオーガスもそれなりに稼いだ。

 アメリカに戻っても、充分なぐらいは預金があるのではないか。

 とはいえ為替によって、色々と帰るタイミングも変わってくる。

 今年は契約があるので、二軍で少し調整をするというのは、悪いことではないだろう。

 それも次の試合の結果を見てからだ。


 第一戦は百目鬼の先発である。

 三島がメジャーに行き、直史はちょっと例外であるため、現在のレックスのエースとも言える百目鬼。

 今年も一試合完封し、まさにエースの貫禄が備わってきている。

 リリーフが一枚欠けているレックスは、七回まで投げられるピッチャーは貴重である。

 百目鬼は今年、五試合に先発しているが、四試合はクオリティスタートなのだ。


 先発が安定して六回までを投げ、打線がそれを援護して、リリーフがリードを守りきる。

 今年のレックスは打線の援護は増したが、リリーフがまだ微妙に弱い。

 去年が強すぎたとも言えるのかもしれないが、それは平良が戻ってきてからの話になる。

 もっとも平良が戻ってきても、ピッチングの感触をすぐに、取り戻すことは出来ないであろうが。


 二年も連続でクローザーをやっていると、それだけ壊れる可能性も上がる。

 もっともレックスはかなり、リリーフを休ませることは出来ているのだが。

 連投は二試合までで、回跨ぎはなし。

 それがレックスのリリーフ運用法だ。

 豊田が現役の頃から、これはずっと変わっていない。

 レックスの強さの中でも、リードしている試合を勝つこと。

 それがこのチームの強さの一つと言えるであろう。


 アウェイでの試合のため、直史はブルペンにいない。

 もっともマンションでは、体を休めているのだが。

 ピッチングに集中しすぎると、体力よりも気力が消耗する。

 脳が疲れてしまうことで、睡眠を欲するようになるのだ。

 そのためこのカードは、スタジアムのブルペンには行かない。

 回復までの時間が、かなりかかるようになっている。

 それをしっかりと計算した上で、直史はローテを守ろうとしているのであった。

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