第352話 影響力

 野球選手の評価には、数字以外のものも含まれるべきなのだ。

 たとえばキャプテンシーなどというのは、もっと重要視されるべきものだ。

 上杉が偉大であったのは、歴史に残る巨大な存在であったが、同時に面倒見も良かったからだ。

 そういった流れで神奈川に地盤を作り、そこから政治家へと転身していった。

 そもそも当初予定では、普通に新潟の議員の地盤を引き継いでほしいと、父親からは思われていたのだが。

 日本の上杉、になってしまったのだから仕方がない。

 ただ上杉も含めてこのあたりの年代で、NPBトップクラスながら、メジャーに挑戦しなかった選手はそこそこいる。


 直史の場合も、数字以外のことを評価すべきだ。

 いや、もちろん200イニング連続無失点や、パーフェクトやノーヒットノーランの数字は、偉大なものであるのだが。

 直史が本当にチームに貢献しているのは、そのイニング数であろう。

 また完投数まで考えると、本当にリリーフを休ませることに成功している。

 そしてこの試合も、直史の影響が残っていた。

 ライガースとの第二戦である。


 レギュラーシーズンでのライガースとの、最終対決となったこの試合。

 当然ながら追いつきたいライガースは、絶対に勝たなくてはいけない。

 だが前日の直史のピッチングによるショックから、まだ立ち直れていないのか。

 大介さえも最初の打席は凡退し、ホームである試合なのに勢いが出て来ない。

 ピッチャーの対決は、百目鬼と友永なので、そこまでの差はないであろう。

 しかし序盤の打線の不調が、レックスには追い風となった。


 直史に負けるのは、まだ仕方がないと言える。

 だが他のピッチャーに負けるのは、どうしてもまずい。

 どのピッチャーであっても、レックスにここで連敗するというのは、ほとんど致命傷であると言える。

(まずいな)

 選手のみならず首脳陣まで、どこか焦りがあるように見える。

 そう落ち着いているつもりの大介も、最初の打席はボール球に手を出し、アウトになってしまっている。


 直史の昨日のピッチングは、流れを変えてしまうピッチングであった。

 大介がホームランを打ち、無失点記録を消した後、むしろ本領を発揮し始めた。

 あそこまでまだ力が残っているとは、大介でさえ思ってもいなかったのだ。

 それに最後の一球は、力と言ってもパワーというようなものではない。

 まさに精神力の勝負で、大介は負けたのだ。


 単純な敗北ではなく、精神の敗北。

 これをちょっと、ライガースは甘く見ていた。

 直史は今季、二桁奪三振を何度もしている。

 だが一試合あたりの最高は、昨日の18奪三振である。

 その気になればいくらでも、打たせて取るなどという余計なことは必要ない。

 そんな実力差によって、ライガースは打ちのめされていたのだ。


 打線の混乱から、友永にも悪影響が出る。

 大介もボールを打っていったのだが、ミートが上手くいかない。

 フライが上がって運よく、深く守っていたセンターの前に落ちたヒットになっただけ。

 完全に打線が沈黙している間に、レックスは四点を取っていた。




 直史は本日はベンチ入りしていない。

 だが先に関東に戻るというわけでもなく、ブルペンでその試合の様子を見ていた。

 完全に調子を崩しているライガースは、まるで一昨年の日本シリーズのよう。

 あの時も直史によって、呪いをかけられた打線は、それが解けるまでに随分と時間がかかった。

 大介はあの年の、直史の事情を知っている。

 そして翌年のレックスは、チーム編成が上手くいったこともあり、直史の力は前年から回復せずとも、ライガースを退けたのだ。


 今年の直史は、去年の直史から回復している。

 だが全盛期の時のような、訳の分からない支配力は持っていないような気がした。

 それがホームランを打たれたことによって覚醒してしまったのか。

 本気で投げたら寿命が縮む、などと言っていたのは確かである。

 直史本人としては、そこまでのものではないと思う。

 ただ脳が危機だと感じたら、人間の肉体はポテンシャル限界以上の動きをする。

 本当はそれが、真の限界であるのだが。


 直史は相手のメンタルまで破壊している、という自覚などはない。

 確かに三振を大量に奪ったが、それぐらいは以前にもしている。

 また全員を三振でアウトにしたわけでもなく、大介にはホームランを打たれた。

 だからこの程度で、ライガース打線に影響が出るとは思わなかったのだ。


 最近の選手はメンタルが柔らかいのか、と直史は考える。

 少なくとも以前の、最初にNPBで投げていた頃は、もっとこちらを攻略してこようという動きを見せていたはずだ。

 データも過去の二年を見れば、球種なども理解してくる。

 なぜ打てないのか、ということがむしろ不思議である。

 ただそれは本人に、客観性がないからだ。


 どうしようもないと言うべきか、当たり前と言うべきか。

 むしろ直史はやや悲観的に、自分の能力を捉えている。

 何をしようがもう、昔のような球速は戻ってこない。

 あるいは壊れることを承知の上で投げれば、一球ぐらいは可能なのかもしれないが。

 相手の分析と、実戦の経験で、直史は上回っている。

 しかしこれはどういうことなのだろう、と思いもするのだ。


 変化球と緩急で攻めた後、ストレートで空振りを奪う。

 普通に他のピッチャーもやっていることだ。

 直史はサウスポーという天性の武器もなく、工夫をしながら勝負している。

 結局は経験が違うのかな、と思うのだ。


 百目鬼がしっかりと投げていって、七回にようやく失点する。

 ここからレックスは、万全のリリーフ陣につなげていった。

 今日は負けるかな、と試合の前には思っていた豊田も、序盤のドタバタから流れのおかしさは分かっていた。

 中盤に入るとしっかり、リリーフ陣には準備をさせていた。

 そしてここで、三点のリードがありながら、ライガースに投げていく。

 やや調子を取り戻しつつあるライガース打線だが、そこに爆発力のある大平を投入するのだ。


 フォアボールでランナーを出すのはいつものこと。

 しかし失点はすることなく、ついに九回を迎える。

 ホームのライガースは裏の攻撃に、最後の望みをかけている。

 だがレックスも万全の平良が、大介以外の部分に対して勝負するのだ。




 大介を抑えられるピッチャーが、直史だけというわけではない。

 しっかりと組み立てたり、あるいは大介の読みが大きく外れれば、打てない時はあるのだ。

 それこそ直史も、普通にヒットを打たれることはあるのだし。

 平良はここまで、セーブ機会の失敗がわずかに一度。

 試合によってはセーブがつかない点差であっても、相手の上位打線を相手にした時は、しっかりと投げている。

 そして大介の五打席目が回らなければ、それでレックスは勝てるだろう。


 ライガースは代打攻勢をしかけてきた。

 昨日の直史と対決していない代打なら、まだしも影響は少ないだろうという読みである。

 ただ昨日は代打でも打てる方を、直史相手に遣っていってしまった。

 今日残っているのは、そこまで期待して使えるバッターではない。


 データの少ない若手が、一本のヒットを打ったのみ。

 失点にはいたらず、平良はセーブを達成する。

 今年も最優秀救援投手、つまりセーブ王を確定させている。

 ピッチャーのタイトルをほぼ、独占するレックス。

 大平がホールド数が足りないのは、時々平良と入れ替えて、クローザーもしていたからだ。


 また安定感では、やや平良ほどではないということもある。

 だがフォアボールでランナーを出しても、三振でピンチを処理するのが大平のスタイル。

 サウスポーということもあり、上手く平良と使い分けることが出来るのだ。

(予定外に、うちの勝ちか)

 平良の安定感を考えれば、さすがに大介には回らなかった。

 逆に言えば回ってしまえば、回っていれば逆転されていた。

 甲子園の大声援を聞いても、クローザーの平良はもう慣れたものだ。

 こういったプレッシャーへの対処法が、クローザーを含むリリーフには必要な心構えであろう。


 かくして最後の二連戦、レックスはライガース相手に二連勝。

 レックスは90勝47敗1分。残り五試合。

 ライガースは86勝51敗。残り六試合。

 一応まだライガースが、逆転する可能性は残っている。

 だがこれまでのレックスの勝率を考えれば、ほぼ勝負は決まったものであろう。

 一戦目はともかく、二戦目は絶対に勝たなければならなかった。

 さすがの甲子園のライガースファンも、これには意気消沈してしまったらしい。


 レックスは二勝すれば、ライガースが全勝しても優勝。

 その対戦相手の中には、フェニックスとの連戦が含まれている。

 そして残りは、タイタンズとの三試合。

 これは雨の延期になった分も合わせて、間隔が少し開いている。

 つまり直史が一試合は使えるわけで、そこで勝てば四試合のうち、一つを勝てばいいだけとなる。


 直史としてはもちろん、先にフェニックス相手に連勝してしまって、優勝が決まってくれたほうがいい。

 自分の成績にはこだわらない直史だが、今年はもう24勝している。

 シーズン20勝以上というのを、先発でのピッチングだけで達成。

 それがもう10シーズン全てで果たされているわけだ。




 ペナントレースを制すれば、それだけファーストステージでも登板の必要がなくなり、直史は楽が出来る。

 勝ち上がってくることがライガースだと想定しても、誰か他のピッチャーで一つ、どうにか勝っておいてほしい。

 クライマックスシリーズのファイナルステージは、初戦と最終戦で投げるとして、中四日しかない。

 直史もここだけはどうにか、投げるように調整はする。

 しかしもう六試合のうち三試合に投げるという、若い頃のような無茶はしたくない。


 昨日の試合で直史は、普段の試合よりも集中して投げた。

 アドレナリンなどの脳内分泌物で、想定以上のピッチングが出来たと言えるだろうか。

 だがボールのスピードなどが上がったわけではない。

 それでも何か、普段よりもピッチングの、質が向上したことは間違いないのだ。


 いくらなんでもここから、ライガースがペナントレースを逆転することはないだろう。

 もちろんそれを言ってしまうと、変なフラグが立ってしまうのだろうが。

 しかしレックスは、もうあとは順当に勝てばいいだけ。

 ポストシーズンを見据えて、選手たちは調整していきたい。

 だがまだ優勝が決まったわけではないというのが、なんとももどかしさを感じるのだ。


 レックスはライガースとの試合の翌日、休養日に東京に戻ってくる。

 直史としてはなんだか、随分と家を留守にしていたような気もする。

 ここから残っている試合は、全てホームの神宮での試合。

 フェニックスとタイタンズを相手としていて、まず三勝は出来ると思うのだ。


 帰りの新幹線の中では、直史は首脳陣とも色々と話した。

 機会があればあと一試合、投げたいかどうかということなどだ。

 優勝が決まってしまったなら、もう投げる必要はない。

 ならば当然、投げたくないのが直史である。

 ただライガース戦で投げたことで、何かおかしくなったかも、というのは確認したい。

 タイタンズ相手にそれを、試すのは悪くないだろう。


 レックスに比べるとライガースは、カップス、スターズ、タイタンズ、フェニックスとの試合を残している。

 一試合を除いては甲子園での試合なのだが、その一試合が問題となる。

 スターズのホームゲームなのだが、スターズはここで武史を投げさせるかもしれない。

 もしもそうなるとライガースは、一つ落とす可能性が高くなる。

 それだけでもう、ペナントレースは絶望的になるのだ。


 しかしレックスは、あまり相手の自滅に期待しない方がいい。

 甲子園で対戦するカップスとの試合には、一日の間隔がある。

 バッティングの調子を取り戻すために、ライガースは色々と行っているはずだ。

 レックスは自力で優勝するべきである。

 ライガースが負けて優勝が決まって、自分たちは負けて胴上げでは、なんともしまらない終り方だろう。

 ビールかけの準備はしているだろうが、やはり勝って優勝というのが気持ちはいいはずだ。

 直史はもう、何度も経験しているものだが。




 ライガースには後がない。

 いや、もう全て残りの試合を勝っても、レックスが相当に負けない限りは、逆転は無理であるのだが。

 幸いと言えるのはシーズン終盤のため、試合間隔が空いているということ。

 そのため比較的、強い先発で回していけるのだ。

 順位が決定しているチームは、もう若手を試したり、ベテランの引退試合にしたりと、色々とやってはくるだろう。

 ライガースの優勝はほぼないだろうから、目の前で優勝する姿を見たくない、というのもあまり考えない。

 そこに一応、付け入る隙がないわけではない。


 とりあえずはまず、カップスとの最終戦である。

 これはポストシーズン、ファーストステージで当たった時のためにも、勝っておきたい試合だ。

 レックスは二勝すれば優勝だが、一勝している間にライガースが一敗しても、それで優勝するのである。

 大介はとりあえず、個人成績は置いておく。

 三冠王は確実に取れそうだが、今年は盗塁数で大介を上回る選手が出てきた。

 それでも現時点で、48盗塁。

 キリのいい50盗塁を目指そうか、という話にもなってきたりはする。


 走塁は意外なところで、故障の原因になったりする。

 だから勝利のためならともかく、自分の記録のためにやることなど、認めないのが大介である。

 そもそも数だけを言うならば、若い頃にNPBでは90盗塁をしたシーズンがあるのだ。

 体が小さいがゆえに、ダッシュ力が凄まじい。

 それが今も、ショートを守っていられる秘訣でもあるのだろう。


 ホームランも結局、あっさりと60本は達成した。

 三冠に最高出塁率など、他のタイトルも取っている。

 これでショートを守っているのだから、貢献度の指数はとんでもないことになる。

 実際に打球の範囲や速度を見てみれば、大介の守備力が際立っているのが分かる。

 また今年もゴールデングラブ賞かな、といった感じだ。

 左右田などはポジションが被るので、さっさとコンバートされてくれ、などと思っているのだが。


 カップス戦の先発は畑である。

 優勝云々は別としても、自分の成績にはこだわりたいのが畑だ。

 打線の援護が大きいとは言っても、今年も立派に二桁勝利。

 そろそろ100勝が見えてきているが、まだまだ20代なのである。

 畑は今年、カップス戦のあとにも、一試合は投げる予定になっている。

 そこでも勝てば、17勝5敗という数字になる。

 普通のチームであるならば、とんでもないエースの数字だ。


 だが防御率などを見てみると、4近くであったりする。

 それでもしっかりとローテを、一年間守っている。

 このピッチャーの持っている余裕が、ライガースの強さであるのか。

 友永はともかく他のピッチャーは、不調であっても他のピッチャーで埋められる。

 たとえばフリーマンが、今年は去年ほどの出来ではなかった。

 結果としてみるならば、まだ充分に貯金は作っている。




 この日のライガースは、土曜日ということもあってデイゲーム。

 先に勝つことが出来れば、ナイターのレックスにプレッシャーを与えることが出来る。

 レックスとしても本当なら、デイゲームの方が良かったかもしれない。

 ただ神宮は今日も、大学野球が行われている。

 それが終わってからでないと、レックスは練習にも入れない。

 もちろんビジターでやってきたフェニックスは、ちゃんと練習時間を確保出来る。


 ホームゲームではあるが、このあたりが不利なのが、レックスと言えるだろう。

 いっそ自前の球場が持てたらとも思うが、東京の中心にあることの、メリットが大きすぎる。

 もっとも東京ドームにしても、以前から移転計画などは出ているのだ。

 しかしレックスの場合、タイタンズほどの資金力はない。

 それでもしっかり結果を出しているので、ファンがタイタンズから離れていく。

 もっともレックスも、キャッチャーのいい黄金時代というのが過去にあった。

 迫水もその時代のような、鉄板の正捕手になってほしいものである。


 直史はこの試合、当然ながら登板の予定はない。

 ベンチメンバーにも入っておらず、ブルペンで様子を見守る。

 そして試合が始まる前に、甲子園の結果が届く。

 ライガースは見事に、カップスとの最終戦に勝利していた。

 だがフェニックスも、それほど強いピッチャーを、ここに当ててきたりはしていない。

 そもそも相性が、圧倒的に悪いのがレックスなのだ。


 ただ試合前に、レックスに都合のいい情報も入ってくる。

 ライガースは日程の関係で、明日がいきなり移動して試合となっている。

 そのスターズ戦において、スターズは武史を予告先発で出して来た。

 ローテが少し空いているなと思ったら、ここでライガースにぶつけるつもりであったらしい。

 今年はシーズンの、おおよそ半分を離脱してしまった武史。

 それでも二桁は勝利しているので、MLBも通算した二桁記録は、ずっと続いていたりする。

 上杉も二年間の離脱があったので、武史の記録が、大卒とはいえ19年連続となる。


 細かい故障はあったものの、それでも二桁勝利をしている。

 そもそも全てのシーズンで、二桁の勝利をしているのだ。

 直史もそうであるが、武史の場合は途中の断絶がない。

 その点では大原などよりもよほど、馬力があると言っていいのだろうか。


 この間の復帰戦では、木津を相手にレックスを負かしてくれた。

 今度の対戦相手は、ライガースの津傘となっている。

 津傘もライガースのピッチャーの中では、かなり貯金を作っている。

 それでも200勝に到達するような、そんなピッチャーになるかは疑問だ。

 もっともキャリアの成績というのは、とにかく長く続けなければ達成できない。

 武史は来年も続けるつもりのようだが、ひょっとしたら二桁勝てなくなれば、引退するのではないか。

 そのあたり兄弟でも、直史は不干渉を貫いている。


 とにかく目の前のフェニックス戦である。

 オーガスと木津の両者が勝てば、それでもういいのだ。

 優勝してしまえば、あとはポストシーズンに備えるのみ。

 そう思いながらも直史は、ピッチャー陣の様子を見る。

 タイタンズ戦はあちらの打撃力もあるため、計算して勝つことは難しい。

 出来ればこのフェニックス戦は、連勝して決めてしまいたいところなのだ。

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