第313話 灼熱の一戦

 レックスとライガースの三連戦カードである。

 今年はこれまで、8勝6敗でライガースが勝ち越している。

 レックスはつまり弱いものいじめは得意だが、ちょっと強い相手には互角以下にしか戦えない。

 そんなことを言われても、現実としてライガース相手であると相性は悪い。

 ただ直史が第一戦を投げるのだ。

 これで確実に一勝し、あとはどちらかも勝って勝ち越しておきたい。

 この時期にライガースとの差を広げるのは、後々大きな影響になりそうなのだ。


「ふ~ん、ゴルフねえ」

 直史の実家にまでは行かないが、宿泊しているホテルから抜け出して、マンションに遊びに来ている大介である。

 真琴が甲子園に出発し、明史は神崎家に下宿している今、夫婦の他には次男しかここにはいない。

 そこで子供たちの動向を聞いているのである。

「とりあえずゴルフ場を一つ、経営することにしたから」

「そこまでやるのか。つーか俺が金出す案件じゃね?」

「いや、ゴルフ場を持っておくのは、今後のことを考えてだな」

 首を傾げる大介であるが、色々と役に立つものなのだ。


 年齢を重ねたスポーツ選手などは、さすがにもう高いクオリティのパフォーマンスは出せない。

 ただ比較的高齢でもプレイできて、また金持ちや政治家のプレイヤーが多いスポーツがゴルフであるのだ。

 今後の動向を考えておくと、東京から行ける千葉県に、ゴルフ場を持っておくのは、コネ作りに便利なのである。

 もちろんゴルフ場単体でも、利益が出るようにはしていくのだが。


 ゴルフ場というのはその広さゆえに、河川敷などを除けば、やや田舎にあることが多い。

 そこに一つゴルフ場があると、ある程度の雇用さえ生まれてくる。

 かつては日本人に1000万のゴルフ人口がいたとも言われる。

 今ではもう半分ほどに減っているらしいが、それでも多いのだ。

「色々と面倒なこと、考えてるなあ」

「これも仕事だ」

 野球のVIP席で、商談がされることなどはある。

 ゴルフ場ではさらに、そういうものは多くなるかもしれない。


 こんな年齢になってから始めている直史だが、野球の経験はかなり役に立っている。

 ただ毎日練習をしている百合花には、早々に追い抜かれていそうだが。

「桜も協力してるしな」

「まあ、あいつはほとんどマンガキャラみたいな性能だしな」

 お前が言うな、と大介に言いたい直史である。お前も言うな。


 桜と椿のツインズは、中学や高校時代、さほどの経験もないスポーツに、助っ人として駆り出されるような人間であった。

 特に中学時代は、人数の少ない部活が多かったので、いくつも掛け持ちをしていたのだ。

 凡人の1%程度の練習で、それなりの戦力になってしまう。

 非常識というか理不尽なほどの存在であったが、それには根本的な身体能力の違いと、応用力の高さがあったからだ。

「あの近くだと、むしろチャリで行ける距離に、ゴルフ場もあるしな」

 実はそうなのだが、直史も知っていたはずなのに、言われるまで意識の外にあった。


 桜と椿は基本的に、桜が子供たちの面倒を見て、椿が大介の周りを準備する、というのが長年の体制であった。

 理由は単純に、椿の足がずっと、ある程度の麻痺を残していたからだ。

 それでも子供たちも、いい加減に分別がついてきたので、順番にやっていくかという話にもなっている。

 その桜がまた、今度は次女の里紗を、直史のところで預かってほしい、という話を出してきている。

 こちらはバレエのレッスンのために、千葉の市街地にあるレッスン場に、近いところに住んでいた方が楽だからだ。


 田舎から通うには、難しいということなのだ。

 また欧米人はスポーツなどで成功するには、子供の頃から環境を整えるということを、普通にやっている。

 直史にしても息子の明史を、東京の神崎家に預けている。

 バレエ教室ならむしろ東京の方がいいのでは、という考えもあるだろう。

 だが直史が預けるというのと、ツインズが預けるのでは、ちょっと意味合いが変わってくる。


 直史や武史の意識からすると、長男の頼みを次男は普通に受け入れる。

 逆に次男も長男に対して、願ったら長男はそれを請け負う。

 だが妹が兄に頼る場合、長兄に頼るのならばいいのだが、次兄に、しかもほぼ婿入り状態のところに頼むのは、ちょっと感覚が違うのだ。

 このあたりは田舎の感覚なので、どうにも説明はしづらい。

 直史はまだ一度見ただけだが、実家の周辺にゴルフの練習が出来る環境を、重機を使って作られていたりする。 

 そして田舎の年寄りにも、少しだけゴルフをする人間はいて、そこに練習に来たりする。

 最初に声だけかけて、後はずっと勝手に使うのが、田舎の社会と言えようか。


 百合花の環境は、ゴルフに関してはむしろ、恵まれていると言える。

 ただテニスまでやるとなると、相手が必要になってくる。

 普通に桜が相手を出来るが、あくまでもテニスはゴルフの基礎を作るためのもの。

「なんでそこまでやるんだ?」

「う~ん、お前には分からないか」

 大介は身体能力が傑出しているが、他のスポーツはやっていない。

 陸上競技ぐらいは、ある程度やっても結果を残したが。

 100mを10秒台で走れるのだから、たいしたものなのである。


 直史などは体幹のトレーニングに、バレエ以外にテニスというのは、確かにいいだろうと思う。

 他のスポーツでもいいのかもしれないが、それには相手がたくさん必要になる、団体競技は向かないだろう。

「キャンプでも休みの日なんか、ゴルフやってるやつらいたなあ」

 大介の知る限りでは、金剛寺などが普通にやっていた。

 今のチームでも何人か、連れ立って出かけているのは知っている。

 プロ野球のキャンプというのは、あまりはめを外しすぎると、すぐにマスコミがやってくる。

 だがゴルフ場は基本的に、そういったものに追いかけまわされにくいらしい。


 ともかく大介も理解した。

 百合花はゴルフをやることに決めて、そのためにテニスもするのだ。

 どちらもある程度は桜が教えられるが、コースなどは近くを回っていく。

 地元の学校にはゴルフ部などはないので、ある程度は我流でやっていくのだ。

 もっとも肉体操作という点では、桜の才能は突出している。

 小さい頃にはバレエをしていたが、小学校でもうやめるという時に、強烈に引き止められもしたものだ。


「お前もやってみるか?」

「止まってるボールを打つだけだろ? 出来なくはないと思うけど」

 そう言いながら空振りをするのが初心者だが、大介なら少し素振りをしただけで、芯を食った当たりは出してきそうでもある。

「ナオもゴルフ場に行ってるのか?」

「そんな暇があるわけないだろう」

 こうやって男親たちが報告だけを受けている中、子供たちはどんどんと成長して行くのである。




 翌日、火曜日はナイターで、レックスとライガースの対戦である。

 レックスは絶対のエース直史が先発で、ライガースはここで試合はまだ捨てていないと、友永をスライドさせずにぶつけてくる。

 今年は開幕を除いて、とにかく直史との対戦が少なかった。

 なので現在の状態を、実戦で確認したいという、そんな気持ちがライガースにはある。

 ただここでボロボロに負けてしまうと、一気に差をつけられてしまうかもしれない。

 それも分かっているのだが、ピッチャーの投げるボールからは逃げられないのだ。


 レックスのホームで行われるため、一回の表からいきなり、直史と大介の対決がやってくる。

 今シーズン対戦した試合では、三打数の一安打で、それも打たされたようなヒットであった。

 スターティングメンバーを発表したが、ライガースはいつもと同じである。

「一番に持ってくるとか、そういう奇襲はないな」

 レックスの監督の西片は、ライガースの監督の山田と、一時的に同じチームにいた。

 これが甲子園での試合となると、選手ではなく監督へのブーイングが大きかったりするのだ。


 こんな敵地の東京神宮であっても、熱心なライガースファンは一定数以上いる。

 もっとも直史の投げる試合となると、なかなかそうチケットも買えるものではないが。

「やるとしたらむしろ、クライマックスシリーズでいきなりでしょうね」

 直史は大介が、一番バッターを打っていたMLB時代を知っている。

 それだけが理由ではないが、ワールドシリーズで勝てなかったシーズンである。


 レックスはとにかく、変化のない試合を行う。

 ポストシーズンはともかくレギュラーシーズンのペナントレースは、安定して勝てる方が強い。

 爆発力で逆転するのも、それはそれで興行として面白いだろう。

 だがレックスのプロフェッショナリズムは、勝つことにその目的を置いている。

 ヒットがバンバン出るのではなく、場面においては高校野球とさえ思える、確実な一点を取ってくるのだ。


 特に今日の試合は、ライガースが相手となっている。

 一点を取れれば勝てる、という試合になる可能性が高い。

 だが実は直史の場合、負けた試合というのはおおよそ、二点以上取られて負けている。

 甲子園で唯一喫した敗北も、3-0というスコアである。

 MLBのワールドシリーズでも、逆転ホームランを浴びている。

 つまりそれまでは勝っていたのだ。


 0-0のまま試合を進めた方が、結果としては勝ちやすい。

 そのためにもまず、この一回の表が重要な場面となるだろう。

 マウンドに立っても、130km/hにもならない程度の、ゆっくりとした球で投球練習。

 それを続けて、いよいよ試合の開始である。

(サイレンの音が聞こえる気がするな)

 もちろん気のせいであるが、大介と対戦するとなると、記憶が過去から記憶が過去から蘇ってくる。


 先頭打者の和田は、二球目までボールを見てきた。

 三球目でようやく手を出して来たが、それはカットも出来ない。

 ショートへの速い、つまり余裕のあり打球で、一塁ベースアウト。

 ボテボテのゴロの方が、和田の足ならセーフになる可能性は高かっただろう。




 さて、試合も始まったばかりであるのに、いきなりの盛り上がりである。

 ただスタンドはむしろ、音が消えていく。

 小さなざわめきはずっと聞こえているが、大きく聞こえるのは一部のライガースファンの応援だけ。

 むしろプレッシャーがかかるような、緊張感の中で直史は投げなければいけない。

(まあこういう空気の方が、むしろ投げやすいんだけど)

 直史はプロになっても、本当に本気で投げたのは、復帰一年目だけだ。

 明史との約束を果たすため、本当の意味で本気で投げていた。

 プロになってからはむしろ、アマチュアの学生時代より、気楽な気持ちで投げている。

 プレッシャーによって潰れることは、この程度の場面ではない。


 平均よりも長い、物干し竿と呼ばれる大介のバット。

 それは外角に逃げても打って行くぞ、という威嚇のための牙でもある。

 直史はここで、まずストレートから入ることを考える。

 普段はさっさと投げてしまうが、ここでは間合いを取る。

 そして想定していた初球を投げたのだ。


 ストレートが高めに入ってきた。

 内角よりではあるが、内角ギリギリのインハイというわけでもない。

 大介はこれに対して振っていったが、途中からその意図に気付いていた。

 スイングの軌道をぎりぎり修正して、ボールはファールチップでバックネットに突き刺さる。

(また厄介なことを)

 あのまま打っていたら、よくてもセンターフライであったろう。


 ボールのホップ成分が、相当のものであったのだ。

 しかしながら球速は、147km/hというものである。

 その球速であれば、本来はもっと落ちるものなのだ。

 ならば大介のスイングの軌道で、間違いなくホームランになっている。

 スピンの回転だけではなく、リリースポイントも修正している。

 たったの一球で打ち取ろうという、貪欲な初球の攻め方であった。


 真っ直ぐを大介に投げる。 

 多くのピッチャーが、選択しから外すものである。

 あるいはアウトローギリギリを外したところなら、それでもありうるだろう。

 しかし高めに投げるというのは、理論上はそれなりに打ち取れると分かっていても、実際に投げるのは難しい。

 プレッシャーによって、高く外してしまうことが多いのだ。


 迫水にしても他のピッチャーなら、こんなサインを出すことはない。

 だがミーティングでもしっかりと話したし、サインにも頷いてくれたのだ。

 そして直史の持っている球種のバリエーションからしたら、これは充分に取れる初級の選択肢となる。

 もっとも大介は、これで今日の方針をある程度決めた。

(高めは捨てた方がいいな)

 本当ならばヒットが打ちやすいと言われる高め。

 だが今日はアウトローなど、低めのボールを狙っていった方が良さそうだ。




 たったの一球だけで、これだけ絞っていく。

 直史としてもこの一球で、大介の意識がどこにあるのか、ある程度は推測してきているが。

 スイングを見れば、今日の調子は完全に分かる。

 特に軌道を変えてきたのは、普通ではない方向の思考だ。

 いや、あの一瞬であれば、思考ではなく反応なのか。


 普通ならばあそこで、打つためにスイングを上に修正してくる。

 だがそのスイングであれば、センターが後退するフライになっていたはずだ。

 ならばファールにした方が、ストライクカウントが増えるだけで済む。

 それは確かにそうなのだが、反応だけでそんな動きは出来ない。

 これはもう経験によるもの、としか言えないであろう。


 大介が直史に圧倒的に優るものがあるとしたら、それは経験値である。

 プロの経験値だけを言っても、倍以上のシーズンを送っているのだ。

 ただ直史は、思考の経験値であれば、大介を上回るのだ。

 もっとも大介の場合は、思考ではなく反応で、ボールをミートしてくるのだが。


 0.1秒などという数字が、長く思えてしまう。

 それが野球の中の、バッティングという動作である。

 そんなに長い時間があれば、逆に思考する時間が増える。

(次はカーブあたりを)

(いや、それは違うな)

 最初のサインに首を振り、二度目で頷く。

 迫水も相当に、直史を操作することに慣れてきたものだ。

 もっとも実際は直史が、サインを出させているという方が正しいか。


 キャッチャーというのは経験値が重要である。

 また経験よりもさらに、分析が重要である。

 多くの試合を見て、どうしてここでピッチャーはこのボールを投げたのか。

 打たれた場合も抑えた場合も、どちらも考えていかなければいけない。

 またピッチャーの投げた球が、逆球になる場合もあるのだ。

 直史の場合はありえないが、他のピッチャーであるならば、結果的に抑えればいいという状況はある。


 しかし直史の場合は、結果ではなく過程からして、抑える確信がなくてはいけない。

 もっともホームランさえ打たれなければ、それでアウトになる可能性はある。

 既にワンナウトは取っているし、大介の後ろは振り回すバッターが続く。

 それでホームランが出ればいいのだが、直史はホームランなど、とにかく打たれることがないピッチャーなのだ。

 特に今年は一本も打たれていない。




 二球目、またも高めのストレート。

 大介はこれを、そのままで見送った。

 やはりこれもストライクではあるのだが、よりインコースに投げられていた。

(二球目をこうするために、最初はギリギリを狙わなかったのか?)

 大介としては、そのあたりも考えないといけない。


 ともかくこれで、既にツーストライクになったのは確かだ。

 あと一つストライクを取れば、それで抑えたことになる。

 だがファールを打たれては、単純に球数が増えるだけ。

 もちろん組み立てていく上では、調整のためのボールも投げる必要はあるのだが。


 ストレートを二球続けたのだから、今度は変化球というのが、普通の組み立て方である。

 特に直史であれば、緩急差を使うカーブを投げてきてもおかしくはない。

 あるいはここで、チェンジアップを使ってくるか。

(今度は遅い球?)

(それでは当たり前すぎる)

 またも二度目のサインで、直史を頷かせることに成功した迫水である。


 ここで直史が投げたのは、スピードボールであった。

 今度はアウトハイのボールで、またもゾーン内か。

 大介のスイングは止まらないが、途中から姿勢を崩していっていた。

 直史の投げたのはツーシーム。

 外に少しだけ外れていて、本来の大介ならば、打てる可能性があったコースである。

 しかしここでは腕を伸ばし、なんとか当てることで終わらせる。

 ファールが三つ続いたわけだが、カウントはそのままなのである。


 ツーシームはナチュラルシュートなどとも一緒にされることがあるが、実際はボールの握りで変化をつける。

 そのため腕の振りは完全にストレートと同じで、ボールにわずかな変化がかかる、ムービングファストボールだ。

 もっとも直史の場合は、速いのに大きく曲がるシンカーも投げられる。

 ここでそれを使われていたら、空振り三振になっていたかもしれない。

(けどまあ、選択肢を潰したことで、少しずつこちらの有利に傾いてはきているぞ)

 一球ごとにピッチャーとバッターの駆け引きがある。

 ツーストライクになってからも、まだまだこの打席の勝負は、行方がわからないものであった。

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