第176話 両極のエース

 千葉県マリンズスタジアムにて行われる、日本シリーズの第一戦。

 先制した方が勝てるだろうな、とおおよそは思われていた。

 そしてその先制するのも、レックスの可能性が高い。

 地元のチームの方の勝算の方が薄いというのに、マリスタは満員御礼である。

 それだけ直史のピッチングに期待しているのだ。


 千葉からならば東京までは、それなりに簡単に到着する。

 また千葉も西部となると、東京のイベントを色々とやるような、半東京のような場所であったりもする。

 マリスタも海が近く、色々と便利な場所ではある。

 もっとも野球を行う上では、浜風があるため、それによるエラーも出る。

 とは言え甲子園なども、それなりに海に近いところにはあるのだ。


 直史はホーム側のベンチにも、高校時代には座ったものだ。

 それが今ではもう、ビジターチームのベンチにしか座れないのは、少し寂しいこともある。

 朝からのルーティン作業を終えて、体を徐々に戦闘状態に持っていく。

 もう昔に比べると、すぐに肩が出来る年齢ではないのだ。

 単純に投げるだけならば、それはもう出来るだろう。

 しかし体が硬くなったのは、どうしても昔と比べてしまう。

 直史の武器の一つは、柔軟性にあるのだ。


 しなやかに連動して動く肉体。

 フォームは完成されているようでいて、変化してもいく。

 投げる手の角度を変えたり、セットからのスピードを変えたりと、とにかく変幻自在。

 バランス感覚や柔軟性がなければ、これを維持するのは不可能だ。

 こういったバランス感覚などは、脳が制御する部分でもある。


 中四日ではあるが、コンディション調整は充分と言ってもいいだろう。

 ただマリンズは今年も去年も、交流戦では対戦していない。

 一応一年目と二年目は対戦しているが、それはもう15年も昔の話。

 当時のルーキーが数人、ベンチに残っているかというと、もう残っていないのだ。

 ただ千葉は鬼塚がプロ生活を送ったチームだけに、それなりの情報は手に入る。

 鬼塚が引退する時に、ルーキーだった選手などが、今はまさに中核となっている。

 それに加えてデータ班は、しっかりと分析もしているが。


 体に違和感があった間、直史は調整をしながらも、データを映像で確認してみた。

 レックスと同じくスモールベースボールの傾向が強いが、助っ人外国人の打力は強力だ。

 もっとも日本シリーズでは、その実力を完全に発揮することは出来ない。

 なぜならセ・リーグ球場で行われる場合、DHがないからだ。

 今年は40本以上のホームランを打って、パ・リーグでは二位のホームラン数を誇っている。

 打率も打点も上位なのだが、守備の粗さが問題なのだ。

 一応は守備に入る場合、レフトに入ることになってはいる。


 ただそれは神宮に戻ってからの話で、今は関係がない。

 日が本当に短くなってきた。

 ナイターにて普通に、試合は行われる。

 直史は合理的な人間であるが、夏場に野球をやることだけは、道理を無視して好ましい。

 だいたい一年のうちで、最も肩の出来上がるのが早いからだ。

 怪我をするようなこともないし、ボールも良く走る。

 もっともスタミナの事を考えれば、秋に無茶な連投となる、ポストシーズンがあるのはありがたい。




 今日の試合は完全に、ピッチングだけでいい直史である。

 パの球場で行われる時は、代打を打線に入れることが出来る。

 これはむしろピッチャーの立場からすれば、自動で取れるアウトが一つ少なくなる。

 なのでセのピッチャーとしては、比較的負担は大きくなる。

 もっともパはそれを前提として打線を作っているため、セの球場でやる時は、逆に打線がおとなしくなって助かる。


 マリンズの先発は、予告先発の通り溝口。

 最速163km/hのストレートと、高速スライダーを武器とする本格派だ。

 これにたまに、カーブとチェンジアップを混ぜてくる。

 チェンジアップはともかくカーブは、さほどの脅威でもないが。


 チェンジアップは見逃せばボールになるのだが、ピッチトンネルを上手く通しているので、バットが止まらなかったりする。

 この緩急と、そして高速スライダー。

 速いボールのコンビネーションと、緩急を上手く使うこと。

 これによって三振を多く奪い、左打者には右方向へのゴロを打たせやすい。

 今のパ・リーグで一番三振が取れる先発ピッチャーではある。


 直史は同じピッチャーとして、溝口のこともある程度研究した。

 もっともフィジカルが圧倒的に違うので、自分に活かすことは出来ないが。

 ムービング系のボールを一つ、使えるようになればとは思う。

 実際のところわずかに、ナチュラルなシュート回転をする時はあるのだ。

 右バッターには逃げていくスライダーで、左バッターにはこのシュート回転を活用できるようになれば、おそらくもっといいピッチャーになるだろう。

 三振を取れることはいいが、もっと球数は減らすべきだと直史は思う。


 満員御礼のマリスタにおいて、まずはレックスの攻撃から。

 溝口の攻略方法については、とりあえず球数を投げさせること、とは共有している。

 ポストシーズンなだけに、エースであろうと多少の無理はしてくるだろう。

 だがレギュラーシーズンでは、かなりの試合を完投している。

 またそういう試合においては、完封も珍しくない。

 MLBに行くのには、あと数年はかかるであろう。

 今ならまだ、充分に打つことは出来る。


 先頭打者の左右田は、武史とも対戦している。

 左の武史に比べれば、溝口は右腕でもあるし球速も劣る。

 まだ165km/hぐらいは、ストレートの平均として出しているのが武史だ。

 ただ逆に左右の違いによって、慣れた剛速球よりも速く感じるかもしれない。


 先発にはそうそういないが、リリーフ陣には同じぐらいのパワーピッチャーはいる。

 それこそレックスも大平などは、160km/hオーバーを投げてくる。

 育成から出た怪物であるが、高校一年生でその160km/hを出している昇馬はどうなのか。

 二年後のドラフトは、とんでもないことになりそうだ。

 もっとも来年は来年で、司朗の取り合いになるのだろうか。




 一回の表はとりあえず、球筋だけを見ていこうというのがレックスの方針であった。

 もちろん球が浮いていたりすると、打つチャンスには打っていけばいいのだが。

 溝口は確かにマリンズのエースであるが、完全に安定したピッチングをするわけではない。

 事実レギュラーシーズンでは、負けた試合では調子が悪かった。

 ただし調子がいいと、本当に打てないピッチャーでもある。

 七回や八回を投げて、一失点ぐらいは普通にあるのだ。


 左右田はこのボールを、過去の交流戦でしっかり見ている。

 だがポストシーズンに入ると、また違ったピッチングになってくるのだ。

 とりあえず初球、完全に見逃すと考えたのか、ほぼど真ん中にストレートが入ってきた。

 いきなりの160km/hオーバーに、スタンドからは歓声が上がる。


 マリスタでこういうピッチングを見ると、直史は高校時代を思い出したりする。

 好敵手となるピッチャーはいたが、基本的に直史は、ピッチャー対決はあまり経験していない。

 精々が吉村、玉縄、真田といったあたりではなかろうか。

 本多もいいピッチャーではあったが、負けてはいなかった。

 同学年に岩崎がいたし、下には武史とアレクがいたので、本当に肝心の時以外は投げなくても問題ない。

 そもそもプロになってから投げた回数より、高校時代に投げた回数が、マリスタにおいては多い。


 左右田はあっという間に追い込まれて、そして最後は空振り三振。

 まずはストレートとスライダーのキレは良かったらしい。

 チェンジアップを引き出せずに封じられたのが、左右田としては腹立たしい。

 しかしスピードだけならば、他のピッチャーで充分体験している。

 それでも最初の打席で、アジャストするのは難しい。


 続くは二番の緒方である。

 速球をカットして粘るという技術では、球界屈指であろう。

 二桁本塁打を打った年もあるが、基本的には器用な二番。

 今ではMLBの主流は、二番が強打者というものだ。

 だが日本はいまだに、二番に小器用なバッターを置いていることが多い。


 実際のところはなんでも出来る、というバッターを置いた方がいいのだろう。

 ただそんな、何でも出来るバッターは、そうそういないものだ。

 統計ではその方がいいと分かっていても、運用する首脳陣にノウハウがない。

 四番最強主義というのも、間違っているわけではないのだ。

 ただプロ野球のレギュラーシーズン143試合を考えれば、当然だが四番より一番の方が、回ってくる打席は多くなる。


 緒方は10球ほど粘ったが、それでも最後は内野のファールフライ。

 もっとも一回の表からここまで粘れば、それはそれで充分だろう。

 続いて三番も三振に打ち取られたが、合計で投げさせたのは18球。

 削っていくことを考えたら、このペースなら充分だ。

(とは言っても、緒方一人が頑張ってくれたからな)

 高校時代から緒方は、地味に決定的な仕事をする。

 一軍に定着してからずっと、ショートのスタメンを外れていなかったのだ。

 さすがに守備の衰えを考えて、左右田に譲ったわけではあるが。




 一回の裏、直史がマウンドに上がる。

 それだけでスタンドは、大きなざわめきに包まれる。

 残してきた記録は、数字だけを見ても凄まじい。

 だがその凄さを実感するためには、一試合を通して見なければいけない。

 ピッチングスタイルは、一応は技巧派である。

 しかしほしいところで、三振を奪うことが出来る。


 今季は完投した試合、16試合のうち15試合を完封している。

 そしてその点を取られた試合も、自責点によるものではない。

 ノーヒッターを記録したのだ。

 さらには直前のファイナルステージで、ノーヒットノーラン。

 申告敬遠をしなければ、パーフェクトを達成していたであろう。


 マリンズは一番と二番に、出塁率の高い選手を置いている。

 クリーンナップももちろん優れてはいるが、この二人がホームを踏む回数がとにかく多い。

 機動力を活かしたり、小技なども使ってくる。

 マリンズの考えていることも、レックスと似たようなものである。

 球数を増やして、直史を削っていく。

 溝口が直史に、圧倒的に優っているものが一つある。

 それは若さだ。


 たとえ負けるにしても、スタミナを削って負けておかないといけない。

 日本シリーズの間に、あと一度ぐらいは投げてくるであろうからだ。

 そんな思惑を、直史は完全に把握している。

 ムービング系のボールを使って、ファールを打たせてカウントを稼ぐ。

 そして最後にはストレートや、遅いカーブなどを使って、三振や凡打を打たせるのだ。


 10球を投げさせられた。

 1イニングにつき適切なのは、15球までとも言われる。

 だがそれだけ投げていると、一試合に135球も投げることになる。

 どこかで上手く、一桁の球数の回を作らなければいけない。

「あんまり気にすることはない」

 直史は迫水にそう言う。


 10球で済むのであれば、フルイニングを投げても余裕で100球以内に収まる。

 問題は延長に入ったらどうなるか、といったところだろう。

 もっともさすがにレックスの打線でも、一点ぐらいは確実に取る。

 大量点は少なくても、一点や二点は確実に取るのが、レックスの打線なのだ。

 チャンスを作り出し、長打だけで点を取るわけではない。

 そのあたりはマリンズも、似たようなところがあるのだ。




 しかし一回の裏、粘るはずの一番と二番が、あっさりと打ち取られたのはマリンズにとって痛手であった。

 ゾーンのボールなので、振らないのは難しい。

 かといって確実にヒットにするには、上手くコントロールや緩急で、打ちにくいボールを投げてくる。

 こちらの狙いを見抜くような、そんなコンビネーション。

 本格派や技巧派という以前に、頭脳派のピッチングなのだ。


 今年のマリンズがペナントレースを制したのは、この厄介な一番と二番で、初回から相手のペースを乱すことに成功していたからだ。

 しかし直史は厄介な相手といっても、動揺するような精神の持ち主ではない。

 それに今日は完全に、ピッチングに専念出来る日だ。

 速度は出ていなくても、キレのあるストレートなら、三振も取れれば打ちそこないもある。

 それにカーブとの緩急で、充分に打ち損じは狙えるのだ。


 問題はすると、攻撃の方になるのか。

 溝口相手には、一人あたり五球は粘ってほしい。

 おそらく120球あたりからは、さすがに球威が落ちてくるだろう。

 そのあたりはペース配分をする、直史とは決定的に違う部分だ。

 また武史のような怪物的な体力もない。


 四番と五番は、それぞれ打ち取られてしまった。

 そして六番に、普段は代打のDHが入っている。

 代打というのは基本的に、最低でも出塁をして、数字を残すのが仕事である。

 長打が期待出来るタイプと、打率が高いタイプの、二つの代打はある。

 レックスの場合はチームのカラーもあってか、打率が高いタイプだ。


 それがしっかりと粘ってくれて、このイニングも課せられていた、15球以上を投げさせることに成功。

 2イニングで34球を投げているというのは、溝口やマリンズとしては不本意だろう。

 ただやはりムービングで、打たせて取ることを憶えるべきだ。

 直史は関係ない他チームのピッチャーのことではあるが、そう思っている。

 いくら速いボールを投げても、それだけではMLBでは通用しない。


 どうせまた、ポスティングで移籍するのであろう。

 昨今の日本人選手は、ピッチャーだけではなく他のポジションも、かなりMLBで通用している。

 それでも基本的には、スラッガーはあまりいない。

 いたとしてもちゃんと、走れるタイプのスラッガーだ。

 大介のような存在は、ともかく規格外ではある。




 二回の裏、マリンズの攻撃。

 とりあえず直史に、球数を投げさせることを考える。

 しかし得意のコースに投げられて、しかもそれがわずかに変化する。

 これで内野ゴロを打ってしまうのが、ここまでのパターンだ。

 去年に比べれば今年は、まだしもヒットを打たれている。

 だがそれでも直史のピッチングは、ゾーンだけでも充分に勝負が出来る。


 緩急もそうだが、速いボールに合わせていると、どうしても遅い球を待ちきれない。

 遅いボールで勝負するピッチャーは、確かにいる。

 だが直史のように、カーブやシンカーで100km/hを切るような、そこまでの遅さのピッチャーは少ない。

 またチェンジアップもある。

 このチェンジアップも、球速や落差が何段階かに分かれているのだ。


 早めのカウントで、内野ゴロを打たされてしまう。

 それでもどうにか、二桁の10球を投げさせることには成功したマリンズ。

 ただ単純に球数だけを見ていても、そのボールがどういうものかで、スタミナの消耗や肩肘への負荷は変わる。

 直史のストレートは、今日は最速が今のところ、147km/h。

 150km/hオーバーのストレートは、やはりアドレナリンが出たことによる、例外と思うべきだろうか。


 ともかく両チーム、打線が消極的である。

 このまま下位打線も、ヒットが出ないのかと思われた。 

 しかし今日は、七番に打順を落としている迫水。

 彼は充分に粘った後に、さらに鋭いゴロを打った。

 これが内野の間を抜いていき、両チーム合わせての初めての出塁。

 もっともここからが下位打線なので、あまり期待は出来ないが。


 その読みは正しく、迫水は二塁に進むことも出来ず、三振でツーアウトに追い込まれる。

 上位の左右田に戻ってきたが、ここで都合よく点が取れるものか。

 むしろこういう場面では、緒方の方がどうにか、チャンスを活かすことをしてくる。

 左右田はチャンスを作る選手であって、チャンスを活かすバッティングはあまり出来ない。


 なんとか次の、緒方につなげないか。

 そうは思うのだが、溝口のストレートは単純に、球速以上のキレがある。

 内野フライを打たされて、これでスリーアウト。

 点が入る雰囲気が、まるで出てきていない。


 もっともそれは、マリンズにとっても同じであったろう。

 特に直史の場合は、待球策さえ通用していない。

 このイニングも下位打線を、わずか11球でしとめている。

 まだまだ100球以内の、マダックスを達成するペース。

 しかもこちらは、パーフェクトを継続中であるのだった。

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